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【教育論】教育って誰のため?そのために私たちにできること

教育って誰のためですか?

もちろん「子どものため」ですよね。

大人のために教育をするわけではないはずです。

また、子どもにとって「今」さえよければ良いのでしょうか?

つまり、今を良くすることが教育の目的かというとそんなことは無いと思いますし、それでは全くダメだとも思っています。

では、教育はなんのためにあるのか、それは「子どもの未来のため」です。

  • 提出物や宿題を期日通りに出す

  • 漢字や英単語を覚える

  • 数学や理科の問題が解ける

  • 各教科で高い点数が取れる

  • 有名大学の入試に合格する

これらを達成することを目的とした教育になっていませんか?
大人がこれらを第一目標にしていたら、子どもは「あ、これらを達成すればいい(褒めてもらえる)んだ!」と思ってしまうはずです。

だから、教育は「子どものもっと先の未来」を見て行われなければいけないと思います。

『授人以魚 不如授人以漁』

これは、老子の格言で「困っている者に魚を与えるのか、魚の捕まえ方を教えるか」というものです。
魚を与えてやったらその日から2.3日は生き延びるかもしれませんが、その後はまた飢えに困ってしまいます。
一方で魚の捕まえ方を教えれば、一生飢えには困りません。お腹が空いたら捕まえられますからね。

教育も一緒だと思っています。
今、困っている生徒に対して答えを与えることは、魚を与えてやることです。それでは、再び困ったときに助けを求めなくてはいけなくなるでしょう。
一方で、答えではなく、考え方やきっかけを与えることは、魚の捕まえ方を教えてやることです。自分の力で答えを導き、困っても自分で考える力が身についています。

そうやって自分で考える力がついたら、子ども(大人もですが)は自然と成長していきます。

教育は「種まき」、学校は気づきの場所

その考え方やきっかけを成長する「種」です。そう、私は、教育を「種まき」だと思っています。(笑)

また、学校という環境も教える教わる場所ではなく、気づく気づかせる場所なのかもしれません。

「わぁ〜楽しいな〜!!」や「へぇ〜そうなんだ!」と新しい発見の楽しさに気づく場所
「そんなの知らなかった!」「まだまだ知らないことだらけだな〜!」と無知な自分に気づく場所
「もっと知りたいな〜」「次はこんな分野にも興味があるな」と無知な状態から成長する楽しさに気づく場所

私は、5年間の高校教員生活をかなりの進学校で送っていました。
第一志望の合格を目指して、ほとんどの生徒が今の課題に精一杯でしたが、その中でも多くの生徒が上記のような学びの楽しさを享受していたように感じます。
また、その時は課題をこなすのに必死でも、そこで新しいものを知るという経験ができていれば(種がまかれていれば)、その後の人生で少しでもプラスになってくれるのではないかなと思っています。

「お前は進学校ではない、いわゆる困難校みたいなところに行ったことないからわからないんだ!!!!」
と言われてしまいそうですが、これはどんな学校でも、さらには小学校も中学校もどこでも一緒だと思っています。

楽しい学生生活を送ってもらう中でも、目先の成果のみに囚われず、こんな大人になってほしいなと願いながら種をまき続けるのが教員の仕事です。

またこれを別の例で例えるなら
今、この瞬間に芽を出すことを目標にして、「超チート級の最新の高性能肥料と温室空間を作って、24時間常に監視し成長を促す」ことが教育ではないはずです。温室生活はいつまでも続きません。
一方で、将来は自分で勝手に成長し続けられるように、「肥沃な地を耕して種を植える。土地をどんどん広げてってやる。必要であれば水なんかもちょっと与えてやる。」
教育ってこんな感じが正解なんじゃないかなって思います。

あまりに時代や技術が進歩しすぎて、最新の農園で植物を育てるように、子どもをぬくぬくと温室で育てるのが普通であるような世の中になっている気がします。

そこにちょっと違和感を持ち、「子どもたちの未来」のために教育をし、またさらには「未来の子どもたち」にとってもより良い環境が作れたらいいなと思っています。

では、今日はこの辺で。
今後も自分の教員時代のまとめや記録のために、【教育論】シリーズをどんどん上げていく予定です。

また次回の投稿でお会いしましょう♪
bye👋

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