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珠玉集

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心の琴線が震えた記事
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#自己啓発

エッセイ: 寄り添いはときに危険なもの

 甘いもの、甘言だな。 以下、【閲覧注意】とさせていただく。 けして際どい言葉や表現は使ってないけども、 追体験をする人がいると想像して。  ある接待をした被害者が、3月に会見をする情報が流れた。  彼女は週刊誌へ告発して以来、フォトエッセイの出版やInstagramのコメント欄を開放している。    対する関係者であろう芸能人は引退してしまい、関わったテレビ局も深夜に渡る長時間の会見を開くなど、世論を賑やかにしていた。  被害者が会見する予定に伴い、ネット上では非難轟

掌握: キュゥと鳴いた日

 寒い日には出歩かない。 俺は膝へ電気毛布をかけ、ドキュメンタリーの録画を観ながらうつらうつらしていた。  夕飯を買いに出なければ、食べるものがないと分かりつつ外出するのが億劫なり、うたた寝する。 「おはよ!朝だよ! いつまで寝てるんだよ」 キンクマが俺の肩へ乗り、耳元で大きな声を出す。  一瞬で目が冴え、時計を見ると針は5時を差し、外の暗さへ焦り (こんなはずじゃなかったのに) 呆然とする中で、キンクマは俺の襟元を引っ張り 「タツジュン。僕が居なくなったら、 新しい子を

失言の後に見えた『気持ち』

 友人の悲しみに寄り添うことができなかった。 申し訳なさと友人の心の痛みを想像すると胸が苦しくて、反省を記す。  去年から友人が会社でパワハラに遭っている話は聞いていた。先輩からのエゲツない言動で友人が鬱っぽくなりながらも「仕方ないよね」とパワハラする先輩へ諦めに似た言葉で締めていた。  先日のこと。 友人はまた先輩から酷い言葉を言われた。  「その先輩って、どんな人?」 これがわたしの失敗ポイントだった。 友人は先輩のInstagramのアカウントをLINEに送ってく

行間を読まずに事実を拾う

 SNSの発達でより顕著になったのが、読解力。  そりゃそうだ。 国語の偏差値70以上の人から40を切る人まで誰でもアカウントを作れば発信できる。 アカウントがなくても読むことができる。 読んで内心に留めればいいものを、絡んでくるからトラブルになる。  行間を読むのも大切だが、書いてないことを読んだ気になって議論を吹っ掛けられたり、 もしくは目に入ったワードのみを拾って攻撃されたりなど、読解力の低下。理解力とも言えるのかもしれないが、読書をしたとて補えないのではないかとわ

noteのつづけ方。結論はとてもシンプル

 noteのつづけ方について、 おふたりの意見を拝読し、とても頷く部分がある。  このタグを見るにつけ 「他人の意見を参考にするのは良いが 結局のところは140字のつぶやきを導入部にして 習慣化を図るか、もしくは意地でも投稿しなきゃいけない理由なんてないんだよ」  noteへ何かしら投稿すると○日というポップアップが出て、継続が途切れるのは無念だと続ける人もいるし、そういう人は#noteのつづけ方など参考にせず、日夜ネタを探して記事を書くのだと思う。  わたしがnote

【広島限定】 地元スーパーのBGMで涙した日

 スーパーのBGMで涙したことがありますか?  地域限定、どうしても書きたかったローカルネタを中四国地方のために書く。    わたし達、幼なじみがドライブへ出ると 誰となくスーパーのBGMを口ずさみ、空でユニゾンできるのが当たり前で、当たり前じゃない奇跡。  それだけ昔から帰省などで耳に入ると脳内をリピートする。 心が荒んだときは、歌詞が心へ沁み渡りマスク越しに涙が溢れたこともあった。  地元へ帰ってきた安心感とそれまで抱えた苦悩を知っていたかのようにリピートするBGM。

言葉は根を張り、春に花が咲く

 人々は花になりたがり、本物は木になりたがる。  温暖前線の影響を受け、脆く散る花よ。 書く人は賞レースに身を投じ、一喜一憂して枯れていく。それもまた定めであり、自分が何者かを知った跡かもしれない。 受賞や評価は結果に過ぎず、プロセスの一部に過ぎない。  雨に打たれる木は、自分の言葉が自己表現の手段であるのを知っている。 書くのが好きで、その中で自分自身を見つけていくことが成長に繋がると信じている。  本物は種や接木から芽を出し、天との根比べ。 花が咲くのは過程であり、

Here we go! 新春最初は感想文

みらっちさん(吉穂みらいさん) 『音楽のように 言葉を流す』  吉穂みらいさんのエッセイ集 『音楽のように 言葉を流す』は、タイトルからして詩的でロマンチックな印象を受けました。  みらいさん自身が文学を愛するラブリーなキャラクターであることを知っているので、彼女の言葉がどのように流れるのか、とても楽しみでした。  タイトルを見た瞬間、期待感がありました。  リネンに囲まれたお部屋や、素材を活かしたお料理のレシピ、そして天井から吊るされたアイビー、ぶどうの蔓で編まれたカ

心が折れたわたしを救った

 読むきっかけは、単純なもの。    八田零さんにお誘いいただいた企画、 「今年の一冊」に参加いたします。  田中泰延さんがXで自身の著書に触れていらっしゃったのを見て 「どんな本を書かれているのだろう」興味が湧いた。  田中さんは上田豪さんや前田将多さんとYouTubeでも活動されて、失礼ながら出版よりも動画の方を先に知っており、動画はとても楽しみ。  気になるアーティストが音楽活動以外に映画に出演したら試しに観てみたくなるのと同じ感覚。 単純に田中さんがどんな人かを

掌握: あの頃に観たものを

 マフラーは赤、全身は緑色でイメージはバッタ。 いやいや、バッタモノのバッタじゃなくて。虫。 えっ、虫が怖くて見たことがない。 じゃあ、お前はどうしてココにいるんですかって。  蜂に見える。ああ、そういう時代もあったな。 今はタマムシかって。 そうだな、バッタは七色じゃねぇな。  子どもとママさんにウケたらいいのは分かるよ。 でもな、俺らの時代の仮面ライダーは緑色なの。 赤いマフラーして 「変身」とかって両腕をぐるっと回して、今みたいにカードをベルトに挟むなんて軟弱じゃね

ジム通いと創作活動の類似点を考えたハナシ

 『筋トレ』筋肉トレーニングも目的により、 回数を重視するのか、重量を重視するかで筋肉の育て方が異なる。  回数を優先すると疲れにくい身体になり、重量を優先すると筋肥大したマッチョな身体になりやすい。  わたしの場合は筋肉をつけたいので重量を意識し、トレーナーから教わった自分に合うキロ数から少しずつ負荷を上げている。  どちらも筋肉に作用するので継続してトレーニングをすることへ是非はないのだが、創作も筋トレに似ているなと気づいた。  筋肉を鍛えることで体力が向上するよう

童話: 勘違いした北風

 北風と積雪を避けるように動物たちは冬籠りをしています。  強い風は山の頂上から吹き下ろし、森を冷気で包み込んでいました。  木々はしなり、雪が舞い散る中、北風は力を誇示するかのように鋭く冷たい風を吹き荒らします。 「俺様の力を見ろ」 叫ぶ北風の声は、誰にも届きませんでした。 彼は冷たく、強い風を吹かせることに誇りを持っていましたが、心の孤独は消えません。  誰も北風に近づこうとはせず、話しかける者もいません。北風は気にしないふりをしていましたが、内心では寂しさが募って

掌編: 慰めてくれる友

 ヤケになる風を月が慰める。 太陽と争った風は、旅人の上着を剥がそうとし失敗。じわじわと暖めた太陽が賭けに勝った。  月はポロっと「強引だったね」 呟き、風が強風になる。 「このままじゃ鬱になりそう」 「そっか」月は風の泣き言へ耳を傾け、 「強引でも風が必要なときがある。 風には長所があるよ」  月は地球に立つ、大きな風車を指差した。 「あの羽を回さないと。 地球人は電力需要を求めている。 風の力を待っているんだ」 風は口を尖らせ「知ってるよ」と無愛想。  月は次に家

掌編: 霧にいた二十年

 霧の朝を車内で迎えた。 二十年記念日は雲海を見ながら過ごしたい、 そんな夫の要望で日付が変わる頃には家を出て、車内で眠っていた。  目覚めると辺りは霧の中。ほんの数メートル先が幕を張ったように不透明。対向車のヘッドライトも白味がかってマイルドな光を射す。 めくる風景は山林で、枝がない真っ直ぐな杉が整然と緑を成していた。 「もうすぐ着きますよ」  夫は正面を見たまま、私の起きた気配で声をかける。 「山ってもっと鬱蒼としているかと思いました」 ドリンクホルダーから取るミルク