きっと自己嫌悪ほど最悪なものはない
いつもお読みいただきまして有難うございます。
最近の心境の変化について少し述べてみようと思います。
最近、自己嫌悪することが全く無くなったのです。
ここ近年よく自己嫌悪に悩まされることがありました。
過去の自分のしてきたことを後悔したり、自分の境遇に呪詛を投げかけたり、時々最悪なメンタルに陥るときがありましたが、ここ数カ月はそんなこともすっかり無くなりました。
神社に行くようになってからです。
このブログにも何度か書いておりますが、私は六月初旬くらいにツイッターで見た「倒産した企業の八割は神棚がなかった」というツイートに衝撃を受け
「やはり神様はいるのではないか!?」
と思ったのです。
それから、私は神道や古事記、神社についての本を読み漁り、神棚の祀り方や神社の参拝の仕方なども勉強しました。
ちょうど新型コロナウィルスで仕事が無くなっていた時期でもあり、「苦しいときの神頼み」だったのだろうと思います。
私は、仏教に関しては、昔からかなりのめりこんでおりましたが、神道はそうでもありませんでした。
仏教は、バックパッカーをしていたとき、「Zen(禅)」が好きな外国人ヒッピーたちのような感じで、外国人目線で仏教を見る癖がつき、「神を想定しない」宗教というところにクールさを感じていたのでした。
なので「仏に会っては仏を殺せ!(臨済録)」などと勇ましいことを言う「禅」が一番好きでした。今でも禅は大好きです。
また、何度もこのブログに書いているように四国のお遍路や高野山を参った時の影響も、仏教好きに拍車がかかりました。
その時はさすがに、弘法大師や諸仏の大いなる力の存在を感じないわけにはいきませんでしたが、時を経るにつれて、不遜にも、今まで加護を受けた仏さまなどのことなどすっかり忘れてしまっている時期もありました。
やはりどこか、目に見えない存在を信じることのこっぱずかしさのようなものもあったのでした。
しかし、「倒産した企業の八割は神棚がなかった」という厳然たる事実がある。
松下電器(現パナソニック)では、各支社や工場など100カ所に龍神を祀っていたり、西武グループは箱根の九頭竜神社を丁重に祀りその周りの土地を買い占めて保護している、という話もあります。
大きな会社は、神の力を借りているということです。
私も、神の力にあやかりたかったというのが本当のところですが、また、「俺は日本人なのに、日本の神様をあまり知らなかったんだな」という申し訳なさも思ったのでした。
神道はよく「祓いに始まり祓いに終わる」と言います。
祓うのはつまるところ「穢れ(けがれ)」ですが、「穢れ(けがれ)」とは「氣枯れ」のことをいうらしいです。
「氣」が「枯れて」しまっているから、元気がなくなり悪いエネルギーに取り込まれて自己嫌悪に陥ったり、元気がなくなるのです。
神社に行き、清浄な空気に身を浸し、神様に手を合わせてみると、ふと心が軽くなったりします。 そして、神様への参拝を何度も繰り返し行うことで、自分がどんどん素直になっていくことに気が付くのです。
今迄自分がため込んできたエゴや思い込みが祓われて、本来の自分の姿が現れるような感じです。
これは仏教の行に関しても同じことです。
白隠禅師の「坐禅和讃」にも「衆生本来仏なり~」とあるように、座禅や念仏をする意義も、この「エゴ」の除去にあると思うのですが、これらをするよりも私にとって一番効果があったのは、神社で手を合わせ感謝の念を神に捧げることでした。 簡単ですからね。
きっとお寺で、仏様に手を合わせることも同じ効果があるでしょう。
最近、心を病んでいる人から相談を受けることがあります。
彼らもきっと「氣枯れ」ているのだろうと思います。
だから私は、嫌いなことは極力せずに「氣」を使わず、おいしいものを食べて、そして「神社に行け」とアドバイスしました。できれば午前中に。 そしたらだんだんと気力が湧いてきて、クヨクヨすることもないだろうと思うのです。
彼らにとって神社の参拝が良いのかどうかはわかりません。
一人は親がクリスチャンで、小さい頃から教会に行っていたと言っていたので、教会に行ってみたら?とアドバイスしておきました。縁あってクリスチャンになったのだから、彼には仏や日本の神よりも、イエス・キリストや天使たちへの霊脈が強いのかもしれないからです。
私は「氣枯れ」が祓われたのか、近年悩まされ続けた「自己嫌悪」が全くなくなりました。今思っても、「自己嫌悪」ほど最悪なことはないです。
自分の人生を否定することになるんですからね。そんなことしたら、親にも申し訳ない。
あと、運動して身体を目いっぱい動かすのも、精神の不調に間違いなく効果があります。運動についてはまたいつかお話しします。
今日はここまでです。
ここまで読んで頂き、ありがとうございました!m(__)m