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『伝える』責任感
『note』で文章を書きはじめたことで、改めて意識するきっかけとなったのが『伝える』責任感についてです。
僕は記事を投稿する直前に、文章を再確認することを怠らないようにしています。
僕以外のnoteユーザーさんも同じだとは思いますが、その行動の本質って「読者にどう伝わるだろうか?」を改めて考える為だと思うんです。
僕はその行動こそ、日常に置き換えても凄く大切なことだと、先日考えさせられました。
文章にしても、会話だとしても、誰でも自由に発する権利があるからこそ『伝える』責任感について考えないといけないわけです。
SNSは言うならば無法地帯みたいなものです。運営さんがある程度は秩序を守ってくれてはいますが…さすがに限界はありますし、「ストレスの吐口」に使用しているユーザーさんも見かけたりします。
その使用の仕方って、明らかに『伝える』責任感が欠如しているからだと思うんです。
自分の発したことで、不快になる人がいるかも知れないと配慮することは、SNSに携わる上で最低限守ってもらいたい暗黙のルールだと、僕は考えています。
ただ僕はそれを否定したいというわけではなくて、解決策として『note』で自分の気持ちを100%伝える為に文章を書くことを提案したいと思った次第なんです。
その方法で、もしかしたら『伝える』責任感が改められるかも知れません。
「ストレスの吐口」にしている人は、おそらく感情的に殴り書いているとはずなので、考えて文章を書いていないと思うんです。
考えて文章を書くことは、多少なりとも時間を要します。しかし、時間を要することで感情的な面は逆に冷静になっていくはずなので、物事の「本質」が見えてくると思うんです。そうすると感情的にSNSで発することは無くなるという考えです。
文章だと多少の違いで「読者への伝わり方」が変わってしまいます。なので、自分の気持ちを100%伝えたいなら自然と神経質になって、言葉をチョイスし、伝え方を一生懸命考えて、工夫すると思うんです。
そういう記事の書き方を続けいけば「ストレスの吐口」目的でSNSを使用することって無くなっていくのではないでしょうか。
僕はそういう伝える側が「伝わり方」を考える時間の必要性を主張していきたいわけなんです。
会話だと「相手にどう伝わるか?」をあまり考えずに、自由に発してる人が多い印象を受けないでしょうか?
未だにファミレスや酒場などに行った時には、嫌でも愚痴の会話って外から聞こえてきたりします。
愚痴は…文章とは違って「伝わり方」を再確認しないまま発してるわけです。それは…
アドリブで感情的に伝えている
ってことですよね。これって他人事ではなくて、割と自身もしているのかも知れません。
僕も含め、そういう何気ない発言の危うさを改めて理解しないといけないと感じました。
自分は悪気が無かったとしても、相手を知らずに傷つけてしまうということは、自分の落ち度でしかないんです。
そういう人間関係のトラブルを未然に防ぐ為にも、常に『伝える』責任感を持って発言しないといけないですよね。
要するに、今回の記事で僕が伝えたかったことは…
「伝える」と「伝わる」は、必ず一緒ではない。
ということです。受け取る側の心境や理解の仕方によって、良くも悪くも変わってしまう。
だからこそ「伝える」前に…「伝わり方」を配慮して考えることが重要だということです。
そういう意味でも「気持ち」を上手く伝えることが「伝わり方」を左右するかも知れませんね。
特に「言葉を扱う仕事」を生業としている人は、安易な発言が威厳を失うきっかけになり兼ねないかも知れない…ということを頭に入れて、重々理解した方が良い気がします。
というのも、この題材の出所って実はそこからというわけなんです。だから僕がこの機に『note』ユーザーさんにも共有したいって思ったわけなんですよね。
ということで、今回は『伝える』責任感についてお伝えしました。
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