中学社会科のネタ帳その16 平安時代の文化 仏教編
平安時代は新しい仏教がもたらされます。新しい仏教がもたらされることで平城京=奈良で台頭していた仏教勢力をおさえる、という側面もあります。
1つが天台宗。最澄という人物が広め、比叡山に延暦寺を建てました。
もう1つが真言宗。空海という人物が広め、高野山に金剛峯寺を建てました。空海は別名、弘法大師。
「弘法も筆の誤り」ということわざの弘法は空海です。彼は書の名人で、その彼が点を打ち忘れた、というエピソードから名人にも失敗はある、という意味だそうです。(ちなみに彼は筆を投げて点を打ち、書を完成させた。それに人々は拍手喝采だったそうです。)
真言宗は密教と呼ばれるもの。密教の密は秘密の密。その教えは秘密とされていたものです。(天台宗の中でも、密教化が進むものもあります。)
山にこもって、修行を行い、こっそりと伝授され悟りを開く。そんなイメージでしょうか。
比叡山にいったことがありますが、気温が低いです。バスに乗っていくのですがクネクネの道を登っていきます。バスでもなかなかに厳しい道のり。当時の人も大変な道のりを歩いていったのでしょう。
高野山もすごく寒いそう。高校によっては、ここで勉強合宿をするそうです。(友人は、夏でも寒い高野山、と言っていました。)
密教は全ての立場の人に広まるわけではありません。平安時代、これらの宗派は主に貴族の間で広まりました。
後の鎌倉時代は武士が台頭し、「俺らも仏教を学びたいけど難しいからもっと身近なものに」という感じになる。鎌倉時代の仏教との違いは「身近さ」です。
イメージは、硬式テニスを身近なものに、という発想のもと、日本でソフトテニスが産まれたような感じ。硬式テニスが平安仏教、ソフトテニスが鎌倉仏教、という感じでしょうか。(ソフトテニスの起源には諸説あります。)
他にも平安時代は様々な文化が発展します。次回に続きます。