本多劇場
脳が溶けていたのかどうかは分からないけど、どこか浮ついていた。
ついに本多劇場の舞台に立った。
思わず「ついに」と書いてしまったけど、ものすごい憧れがあったりするわけではない。
学生として演劇をやっていた頃は王子にある王子小劇場や池袋にあるシアターグリーンなどの劇場に立つことの方がなんとなく憧れがあった。
多分、学生演劇出身の若めの団体や勢いのある学生劇団がそれらの劇場で公演を打っていたり、小劇場の演劇祭が行われていたから憧れがあったのだと思う。
ぼくの学生当時はそのような団体とほとんど関わりがなかったし、そういう劇場に頻繁に出演しているひとが売れていく、あるいは売れているのだろうなと思っていた。
でも30歳になってみるとそうでもなかった。
別に王子小劇場やらシアターグリーンに数多く立っていても、売れる売れないにはさほど関係がなさそうだ。
逆に演劇のメッカとも言える下北沢に対する憧れはほとんど無かった。
大学が下北沢の近くにあったので、よく遊びには来ていた。
でも別に演劇を観に行ってたわけではないし、下北沢でやっている演劇にも興味がなかった。
きっと自分たちより一回り上の世代のひとたちが今のぼくと同じように下北沢で演劇を作っていたのだと思う。
そう考えると一回り下の世代と今のぼくは別に関わりがないのだから、観劇にさほど興味のない学生が劇場に足を運ぶ理由がないのも頷ける。
それでも、学生時代のぼくでも本多劇場だけは知っていた。
演劇修行を経て、プロの俳優として5年、下北沢にある本多劇場グループの劇場には2回立たせてもらった。
本多劇場グループの劇場に立たせてもらったぼくだからこそ、本家大元の本多劇場の“遠さ”を感じていた。
どういう経緯があれば、本多劇場に立てるのだろうとは思っていた。
そういうところから出てきた「ついに」ということば。
浮き足立つには十分だった。
最初に台詞を発声するシーンで、しっかりめにことばを噛んだ。
びっくりするくらい呂律が回っていなかった。
舞台面は稽古場のときとほぼ同じサイズなのに、なんだかエネルギーが足りない。
稽古場から劇場に場所を移したときによく起こる現象ではあるのだけど、こんなに感じたことは初めてだ。
足の指でしっかり地面を掴む。
多分、精神的な表現だけじゃなく、物理的にも必要な空間なのかもしれない。
本多劇場初日は数時間で終わってしまったが、とても良い失敗をたくさんできた気がする。
明日からは足の指で地面を掴む。これで行こう。
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