魂を込める
演出家から「良い作品じゃなくて、凄い作品を産み出したい」的なことばが出た。
激しく同感した。
二回目の通し稽古が終わった。
本番に使う衣装を着て、否が応でも本番が視野に入ってくる。
ここ最近のぼくは頭がグルグルしていて、日常生活でハイセンシビリティ的な状態になっているので、精神の維持が難しい。
ぼくの芝居も急ピッチな修正が必要で、余裕が全くない通し稽古だった。
当然、修正がうまくいった部分もあれば、さらに改善すべき点も出てきた。
今ぼくは【自分の目で誠実に世界を見る】ことに取り組んでいる。
自分の目で世界を見ることが、他者に身を委ねることに繋がるのではないかと思っているからだ。
今回の通しでぼくは、自分の目で誠実に世界を見ることに追われてしまった。
その状態は決して悪くない。でもそれだと良い作品止まりになってしまうのがすごく分かる。
通し稽古が始まる前、ぼくはひたすら、暗示をかけるように「世界を見ろ」と自分の目にジェスチャーしていた。
それと同時に脳裏には「最終的には魂だろ」ということばも浮上していた。
でもぼくは、ひとまず誠実に世界を見ることに専念した。
二兎を追う余裕がぼくにはなかった。
正直、“魂を込める”ということが何を意味するのか、具体的に何をすればいいのかは分からない。
とても精神論的で、主観性の強いことばだ。
でも演出家からは「凄い作品にしたい」というオーダーが出た。
多分これは“魂を込める”ということばと同義に近いんじゃないかと思っている。
ここから本番に向けて、怒涛の連続通し稽古が始まる。
自分の目で誠実に世界を見る。
そして魂を込める。
さっきふと、その次のことばが頭に浮かび上がった。
【少し楽しみたい】
ちょっと楽しんでみたいと思った。
でもこの楽しいは俗物的な楽しいではない。
楽しみたいということばに腰掛けるつもりはない。楽をするつもりは一切ない。
ことばの意味的には“心を躍らせたい”というのに近いのかもしれない。
心のドライブ感。作品のリズム感。
劇場に衝撃の渦を作り上げたい。
そのために次の段階は“魂を込める”ことだ。
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