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脳が溶ける

舞台を上演するためには大抵の場合、舞台セットが必要になる。
今関わっている作品にも当然舞台セットがあって、演出家と美術家が話し合って決められたのであろうものがありがたいことに稽古場から立て込まれていた。

稽古場から劇場に場所を移す際、当然その舞台セットは一度解体され、運搬され、本番の劇場の舞台に再び立て込まれることになる。

舞台セットの物量が多ければ多いほど、その工程は大変さが増していくのだが、今回はなかなかの物量があった気がしている。
気がしているだけで、実は少なかったりするのかもしれない。今回以上の物量の舞台に触れたことも当然ある。

ただそれでも舞台セットを立ち上げるためには時間が必要だ。

なので俳優にとって劇場への仕込み日は体調を整える日にされることが多い。はっきり言えばオフだ。

本当に感謝しかない。劇場仕込み日のたびに有意義な一日にせねばと思うのだが、大体いつも長めに寝てしまう。

今回は特に一週間近くオフ日がなく、ずっと走り続けてきたので物理的な疲労は正直溜まっていた。なので睡眠欲がすごい。

そんな調子で、有意義な一日にせねばというプレッシャーを感じつつ、朝遅めに起き、カレーを食べ、劇場に用事があったので一瞬顔を出して、家に帰ってきて、お昼にもカレーを食べ、お昼寝をして。

というような相当自堕落な生活を送ってしまった。

自堕落な生活をしていると“脳が溶ける”ような感覚に陥る。
稽古で積み上げてきたものがたった数時間の過ごし方によって崩れてしまう気がしてしまう。

なので急いで台本を引っ張り出してくる。
でも脳溶けプレッシャーのまま台本を読んでも、ただ焦りが生まれるだけになる気がしたので、ひとまず瞑想をする。

瞑想中にも脳裏には

「ああ、脳が溶けていく、早く台本を読まねば」

ということばが浮かぶ。
でも焦らない。意識をどうにか呼吸に持っていく。

約15分間の瞑想を終え、台本を読み始める。
自分の役とか関係なく、劇場の舞台に立つ前に一度真っ新な気持ちで、初見のつもりで読めたら良いなというモチベーションで読み始める。

すると面白い。真っ新どころか台本から共演者の皆さまの声が聞こえてくる。

脳みそがどんどん落ち着きを取り戻す。
稽古での積み重ねを実感したのだ。

でもそれはあくまでぼくの脳内で再生されているだけであって、過去の記憶の寄せ集めだ。

舞台上で全く同じことは何ひとつ起きない。
だから稽古での積み重ねは実感しつつ、それはただ“ある”というところに置いておく。そこに執着しない。

本番の舞台で、相手を目の前にして、その相手を、世界を、誠実に自分の目で見る。確かめる。

明日が楽しみだ。

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