適当のススメ
真面目な人と、適当な人
いきなりだが、みなさんは物事に対して、適当に考える方、真面目に考える方、どちらだろうか。
人それぞれに思うところはあるだろう。
真面目なのは悪いことじゃない。むしろ長所だと思うし、否定する気もない。
ただ、今回はあえて適当をオススメしたいと思う。
なんでもありの世の中
突然だが、今の世の中はなんでもありだ。ありとあらゆる情報がそこら中にあって、いろんな人の考え方、生き方に簡単に触れることができる。
考え方も生き方も、他人に迷惑をかけなければ自由。そんな印象を僕は受ける。
だからこそ、上を見たらキリがないな、とも感じる。
真面目に考えられる人ほど先が見えすぎてしまって、すくんでしまうこともあるのではないか?
可能性がありすぎるから
可能性がありすぎるから、逆に戸惑ったりすることもあるんじゃないかと思う。
頑張れば何者にでもなれるかもしれないけど、なれる可能性は必ずしも高くはない。
ここまで大きな話ではなくても、これはいろんなことに当てはまると思う。
何かをすれば、必ずほかの選択肢が頭にちらつく。
「もっといい方法があるんじゃないか?」
「他の人はもっといい思いをしているんじゃないか?」
そしてそれは、ちょっとスマートフォンをいじればより明確になってしまうことも多いはずだ。
結果として、真面目であればあるほど、他と自分を比較してしまうと思う。
適当な人であれば気にしないようなことであっても。
真面目の弊害
かくいう私も、もともと真面目に考える方だ。真面目に考えすぎてしまって、完璧主義に近い面すらあった。
特にひどかったと思うのは、大学受験に向けた勉強の時だった。
僕は国立大学を目指していたのだけれど、その理由は学費が安いからとかそういったことではなかった。
合格するために、5教科7科目が必要だからだった。
「?」となった人がほとんどだと思う。つまり、
「これまでに習ってきたどの科目も、全てきちんとこなしたい。目標としている国立大学に入ることが、それが成し遂げられた証明になるはずだ。」
こう考えていたのだ。今の自分からすると、ストイックすぎて怖くなる。
何かをやめられない、捨てられない。そしてそれらを完璧にこなしたい。そういうタイプだった。
そういった考え方を改めるようになったのは、大学に入ってからだった。
大学には、専攻、サークル活動、バイト、考え方、そのどれもが多様で、色々な人たちがいた。
もちろん高校時代までに接してきたクラスメイトにもいろんな人たちがいたが、大学という開放的な世界では、一人一人の個性がいっそう色濃く浮き出て輝いているような、そんな印象を受けた。
そして、学生生活を充実させている人ほど、いろんなことにチャレンジをしている、と感じた。
バイトを掛け持ちしたり、わけもなく旅に出たり、女の子に振られまくったり、、
とにかく色んな場面で打席に立って、バットを振り続けている、僕はそんな印象を受けていた。
僕もそんな風にやってみたいと思ったが、それと同時に気づいた。
自分の完璧主義は、邪魔になるということに。
完璧なんかじゃなくてもいい。
何でも手を出してみて、やってみてダメなら次に行けばいいし、嫌になったらやめてもいい。
こんな当たり前のことに気づかず、自分の行動を縛っていた。
それから、一度染み付いてしまった考えを変えるのには苦労や葛藤があったけれど、今では立派な適当人間だ。
自分の中に残っている完璧主義な僕が、「それでいいの?」といつも心配してくるので、たびたび葛藤してしまうのだけれど。
適当のススメ
長々と書いてしまったが、今の世の中では真面目すぎると変に先が見えてしまって、足がすくんだりすることもあるんじゃないかな?と最近思ったりするので、文章にしてみた。
決して真面目な人を貶めたりするつもりがあるわけではなく、適度に肩の力を抜いて生きてみてもいいんじゃない?くらいの気持ちで書いているので、そこは了承して欲しい。
適当も、悪くないよ。