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過去を受け止められるまで【死にたい夜に効く話.35冊目】『生きるとは、自分の物語をつくること』河合隼雄、小川洋子著

最近、ちょっと不思議な経験をした。

芸は身を助く、なんていうけれど、昔やっていたことが自分のピンチを救った。おまけに、それがきっかけで新しい出会いがあったり、今まで踏み出せなかったことに挑戦するきっかけができたりと、いいことが次々と起きた。

自分としてはこれが、ものすごく複雑な心境だ。
なぜならそれは、わたしが中学時代に特に将来何かの役に立つとも思わずなんとなくやっていたこと。
わたしにとって中学時代は暗黒時代そのもので、諸悪の根源。人生の足を引っ張る負の記憶以外の何物でもなかった。

そんな最悪以外の感想がなかった中学時代で得たものが、今の自分のためになっているというのがなんとも複雑というかなんというか。

真っ暗闇でしかなかった中学時代の記憶が、全く違うものに見えてきたのだ。

そこで思い出した。昔から好きな本だ。

『生きるとは、自分の物語をつくること』は、臨床心理学者の河合隼雄先生と小説家の小川洋子さんによる対談集。心理学者、作家という立場から、誰もが生きていく上で必要な「物語」について語られる。

「物語」というものについての認識がガラリと変わった一冊だった。「物語」とは、いっときの娯楽ではなく、生きるために誰もが必要なものだったのだということを知った。
「物語」の持つ力とは何か興味がありながらも、その理由がわからずに(何を調べればいいのかもわからずに)いた学生時代、一つの答えを得た気がした。

人は、生きていくうえで難しい現実をどうやって受け入れていくかということに直面した時に、それをありのままの形では到底受け入れがたいので、自分の心の形に合うように、その人なりに現実を物語化して記憶にしていくという作業を、必ずやっていると思うんです。小説で一人の人間を表現しようとするとき、作家は、その人がそれまで積み重ねてきた記憶を、言葉の形、お話の形で取り出して、再確認するために書いているという気がします。

河合隼雄、小川陽子『生きるとは、自分の物語をつくること』新潮社、2011年、pp.47-48

私は、「物語」ということをとても大事にしています。来られた人が自分の物語を発見し、自分の物語を生きていけるような「場」を提供している、という気持がものすごく強いです。

同書、p.48

河合 僕の言い方だと、それが「個性」です。「その矛盾を私はこう生きました」というところに、個性が光るんじゃないかと思っているんです。
小川 矛盾との折り合いのつけ方にこそ、その人の個性が発揮される。
河合 そしてその時には、自然科学じゃなくて、物語だとしか言いようがない。
小川 そこで個人を支えるのが物語なんですね。

同書、p.106

 いくら自然科学が発達して、人間の死について論理的な説明ができるようになったととしても、私の死、私の親しい人の死、については何の解決にもならない。「なぜ死んだのか」と問われ、「出血多量です」と答えても無意味なのである。その恐怖や悲しみを受け入れるために、物語が必要になってくる。死に続く生、無の中の有を思い描くこと、つまり物語ることによってようやく、死の存在と折り合いをつけられる。

同書、pp.125-126


誰もが自分で自分自身の物語を作っている。ただ、誰もが上手に、自分が生きていけるようにうまく物語を作れるわけじゃない。だから、カウンセラーというプロの力を借りたり、小説のような作品から力をもらったりするんだろう。

わたしはうまく物語を作れていた?

この本は学生時代に読んで強烈なインパクトを与えられた本だったけれど、頭で理解していることと自分ができているのは別の話で、自分はまだ過去を受け止めきれていなかったんじゃないか。
見たくないもの、受け入れたくないものとして、目を背けてほったらかしにして、わざわざその頃の記憶を真空パックしては結果的に大事に保存してしまっていた。

近頃、自分にとって拒絶してきた過去の記憶が少しずつ形を変え出してきた。起きた出来事はもう変えられないけど、これから生きていくためにできることはあるはずだ。

自分の物語を新しく「発見」する時期が来たのかもしれない。


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