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僕がnoteを毎日描く理由。そして習慣の重要性

まだ始めて間もない僕が言うのもなんだが、僕はnoteを毎日、それも朝起きて一番にすることに決めている。たとえ、どんな用事があろうとも、noteだけは書こうと決めた。

それはつまり習慣化するためだ。noteを利用している人たちは周知されているかもしれないが、習慣化は非常に重要であると僕は思っている。

習慣化とはつまり毎日のやるかやらないかの思考を排除した考えだ、「今日は用事があるから」とか「後になったら」とかを自分の意思かかわらず問答無用でやらなければいけないことを合理的に継続できる最適な方法であると思っている。

読んでいる方も騙されたと思って是非やってみてほしい。

だからと言って、noteを書くのが楽しくないわけではない、しかし今日は書きたくないなとか、あとで書けばいいかとなるとズルズルと後回しになっていくのが常だ。というか今までの僕がそうであった。

例えば、「よし今日から毎日筋トレするぞ!」と初日は当然のことながら張り切るのだが次の日、またその次の日となるとその決意はどこかへ飛んでいってしまう。これを、解決するには習慣化するしかないと考えたのだ。

昔、学校へ行くと言う行為は別に好きじゃなかったけど学校へ行くと決まっていたから毎朝同じ時間に起きて学校へ行っていた。これにたいして、「よし今日は学校へ行こうか行かまいか」なんてことを毎朝考えていたらいちいち脳のメモリーを消費するし、合理的でない。上でもいったが、それを解決するのが習慣化なのだと思っている。

習慣化は考えることの放棄か

習慣化をすると必然的にいちいち判断する必要がないというのは、考えることを単に放棄しているのではと考えるかもしれないが、そうではないと僕は思っている。

つまり、習慣化をする前にそれは今の僕に本当に必要かどうか真剣に何時間も考えることにしている。そして、何時間もあらゆる生活指針を複合的に考えた末に出した結果をそれ以降は盲目的に信じ行動することが最も効率の良いことに気づいた。

いちいち、その場で考えるのではなくその習慣を始める瞬間に深く何時間も考え絶対的な方向性を定めた後に習慣化を始めれば、後になってやっぱりこの習慣を身につけるよりもこうした方がよかったんじゃないかと、気持ちが揺らぐことも少なくなるし、要所要所での判断スピードも格段に上がった。

何を考え、何を考えないかを自分自身でマネジメントすることも重要であると言うことを習慣化を通して気付かされた気がする。

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