間質性肺炎の母を支えた話の続きです。
ご覧頂きありがとうございます🕊️
今回は、間質性肺炎の進行段階別でどのようにサポートをして行ったかのお話です。
病気が発覚してから呼吸器(酸素濃縮器)を使用するまで。
この段階は、まだ自分1人で身の回りの事や自分自身の事は出来ます。
ですが、私は病気が発覚してからは出来るだけやれる事はやりたかったので食事の用意はしていました。
この期間は母の場合発覚から半年程。
残念ながら母は進行スピードが早いとのことでした。
病院も定期的に通院するのですが一緒に行き、話を聞いたり今後の流れや病気について少しでも知るために、
母の現状を書き起こしておいたり、
質問事項を書いてから行っていました。
酸素濃縮器を使用してから。
日常の動作でも少しのことでしゃがんで
呼吸を整えたりしなければならなくなったタイミングで、常に酸素濃縮器を使うことになりました。
自宅では機械を設置して使用しました。
外出時は医療用酸素ボンベを使用しました。
酸素濃縮器はこのように、濃度の高い酸素を直接取り込める装置です。
マスクはせずに鼻にチューブを当てるような感じで吸入していました。
この段階で介助が必要だったこと。
この段階ではまだ身の回りの事などは本当にゆっくりと行えば出来ます。
ですが、外出などは酸素ボンベをキャリーでコロコロ持ち運ばなければならないので確実に付添が必要です。
移動距離も徒歩ならゆっくりゆっくり休みながら歩いてお散歩程度…という感じでした。
なるべく体力を落とさないことは大切な事ですが、肺に負担をかけるのは本当に良くないのでバランスがとても難しいです。
この時期では同時に
病気が進行していく恐怖
が大きく心に影響する時期でもあり、
メンタル面でのケアの方でもサポートが必要です。
メンタル面でのサポート。
1番難しかったかなぁと思います。
日々出来ていたことが簡単に行かなくなる。
日常の動作で苦しくなってしまう。
この先いつ動けなくなるんだろうとか、
治療法がない中でどうしようもない絶望感。
母は弱音を吐きませんでしたが、
きっと想像出来ないほど辛かったはず。
できる限りいつも通りを心掛けました。
最近更に早く呼吸が乱れてるな…と感じても、
普段通り。
私自身も不安な顔をしたり、悲しい顔を見せないように徹底しました。
できる限り気分転換に出来ることを考えて、
母は細かい作業が得意だったので
折り紙や裁縫などをして過ごしていました。
次回は車椅子の生活になってからのお話です。
車椅子の生活になってからは、殆ど介護用ベッドの上で生活するようになりました。
酸素濃度もだんだん数値を上げて過ごします。
食事をすることも呼吸が乱れて負担になるので、食べる量が減り、体重もかなり落ちていきます。栄養管理も始まりました。
そこについてを記事にしようと思います。
読んでくださり本当にありがとうございます🕊️
頑張って続けていきます🍀*゜