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失敗談も成功談も、どれも欠かせない人生経験


今よりももう少し若いころ、失敗することがこわかった。

受験に失敗したら人生が終わるくらいに思っていたし、むしろ普段のテストさえもそのくらいの危機感で挑んでいた(真面目か)。
志望校さえも、本当にこの選択で間違っていないかな…なんて怯えていたし、就職する時も同じだった。


いま思い返してみると、なにがこわかったんだろうと思えるけれど、ひとつひとつの行動とそれに伴う結果がこわかった。

仮にうまくいったとしても、どこに落とし穴があるのかびくびくしたりと、改めて考えると結構小心者だったのかもしれない。

だけれど、今になって思うことは失敗しても成功しても人生がそこで終わるなんてことはなかなかやってこないということだ。


あの時こわかったものはきっと、「未知の経験」だったのかもしれない。

失敗した後に、自分の世界がどんな風に変わっていくのか、成功したとしてもそのあと何が待ち構えているのか、誰にも分からないことにビクビクしていたんだと思う。


それでも今となっては成功談も失敗談も、検索してみると見つかるような時代になってきた。

少し前までわたしは、ノルウェーのワーキングホリデーに向けて準備していたため、「ワーホリ 経験談」「ワーホリ 失敗談」などというワードで検索しまくっていた。
ノルウェーに限ったことではあるけれど、入国後に「入国したよ」という申請が必要らしいが、現地に着いてから予約すると1ヵ月待ちになることもあるという。そしてその審査が完了しないと仕事ができないらしいのだ。

こんな風に、自分が失敗しなくても人の経験から「最低限の失敗しない方法」を見つけられる時代になってきている。

最低限の失敗に関しては、案外共通点があるため誰かの経験を知ることによって、失敗を防ぐことができる。

そして、仮に失敗したことがあったとしても、発信をすることで誰かにとっての失敗しない方法として役に立てる可能性がある。
そう思えたら、失敗談もひとつの経験になるんだと気付くことができた。


偉人や成功者と呼ばれる人たちも、失敗の上に成り立った成功であることも多い。

他人の不幸は蜜の味というのではなく、だれだって失敗しているんだと知ることができると、そりゃわたしが失敗しないわけがないような気さえしてくる。

むしろ、その失敗経験があったからこその復帰戦で成功している人も多い。

誰も経験していないような失敗談は、むしろ成功への第一歩目なのかもしれない。


失敗はできたら、したくないことかもしれない。

だから、避けられる失敗談はだれかの失敗談から学んで避けていけたらいいんだと思う。
それでも避けられない失敗はきっと、自分の人生に欠かすことができない経験になるはず。

その経験の先、どんな景色を見ることができるかは、自分の行動によって変化していく。

どんな道に進んでも、新しい居場所を見つけていけたらいいな。
そんな気持ちに「きっと、大丈夫」と、偉人の失敗談は背中を押してくれるような気持ちになる。




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Aina ☺︎
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