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シュラフとフトン

「千マイルブルース」収録作品

デビュー作でもある拙著「千マイルブルース」の大半は、掌編小説です。
というか駆け出しのその頃は、そんな依頼しかなかったのです。
「〇日までペラ三枚でよろしく」
「割けて2ページだね」
「ちゃちゃっと面白いの書いてよ。短いので」

つまり一話完結の、尺が決まっている依頼がほとんどでした。
それも10分とかからずに読める尺です。
「どうぞ、お好きなだけ書いてください」となるのは、ずっとずっと後のことです。

なので原稿用紙数枚で、物語を完成させなければなりません。
それも面白いものを。
つまらなければ、次がないのですから。
それを月に数本かけ持ちしていました。
もう、頭が沸騰する毎日でした。
不眠症になり血尿が出たのもこの頃です。
取材費がギャラを上まわり、書けば書くほど貧乏になりました。
でもそのおかげで、今があります。
自分なりの創作法が身についたのです。
ここは小説家を目指す人たちが多いプラットフォームだと感じていますので、ご要望があればそんな話も書いてみたいと思います。

話が逸れましたが、「千マイルブルース」は、そんな四コマ漫画的掌編がメインの作品集です。
シリアスなものもありますが、コミカルなものも多いです。
序破急や起承転結を意識し、さらに落語的オチで締めることを心掛けました。そして「横須賀Dブルース」同様、世間に周知されていない事象を、人たちを、積極的に取り上げました。それも物書きの役割だと思ったからです。

ということで、挨拶代わりに掌編の無料作品をもうひとつ。
「シュラフとフトン」という、およそ20年前に発表した作品です。


シュラフとフトン


「シュラフかフトンか……」
 俺は、迷っていた。
 目の前には、キャンプ場と旅館が並んでいる。いつもなら旅館などに目もくれないが、じつは長旅でだいぶ疲れがたまっていた。コインシャワーだけで、風呂にも入っていない。おまけにテントのボトムに穴が開き、シュラフが湿っている。たまには天井の木目でも眺め、フカフカのフトンの上で大の字になりたい……。
 悩んだ末、帰路はすべて一般路、そのために早朝出発、帰ったら当分カップ麺、という折り合いをつけ、俺は旅館に泊まることに決めた。
 部屋に通され、ベテラン仲居の気配りに、今までとは違った旅気分を味わう。なんとも大名気分である。すると手伝いだろうか、髪を後ろで束ねた男の子がお茶を運んできた。いや、もう成人なのだろうが、小柄なうえに中性的で、まるで『男の子』なのだ。いやいや、これはヘタしたら『女の子』でも通る。眺めている俺に気づいたのか、ベテラン仲居が笑った。
「じつは私の息子なんですが、性別を間違えて生まれてきましてねえ」
 それで本人の希望で、ここで行儀見習いをさせているという。しかし、母親である仲居に困惑した様子はない。それどころか、理解し、温かく見守っている感じさえ受ける。なるほど、オカマちゃんか。すると母親でもある仲居が俺を窺った。
「お目障りでしたら……」
「いえ、自分にそういう偏見はありませんから」
 偽りはない。ライダーそれぞれ旅の指向が違うように、人間の性の指向もそれぞれのはず。俺の言葉に安堵したのか、男の子が笑みを見せてきた。そんなことより、今宵フカフカのフトンで寝られるかどうかが、目下の俺にとっての社会的関心事なのだ。
 久々の風呂に満足して食堂に案内されると、これも久々のご馳走が待っていた。そして、先ほどの中性的な彼もいた。食事の世話をこまごまとしてくれ、チラチラと俺を見てくる。すると、おずおずと訊いてきた。
「どなたかのご紹介ですか?」
「いや、飛び込み。たまには旅館もいいかなと思ってさ」
 彼が顔を寄せてきて小声になった。
「そうではなく、今日のパーティーの」
「パーティー?」
「ええ。私たちの」
 訊けば今夜、隣のキャンプ場に彼の仲間たちが集まるらしい。俺は箸を宙で止め、首を傾げた。
「仲間、つうと、もしかして……」
「オカマとニューハーフです」
 上弦の半月が浮かぶ夜に開くという親睦会。会の名は、『ハーフ・アンド・ハーフ』。バイクで遠方から参加する者もいるらしく、俺をその関係者だと思ったと話す。俺は無関係だと伝えたが、ちょっと覗いてみたい気もした。よければ連れて行ってくれないかと頼むと、彼は快く承知してくれた。だが、わからないことがある。
「オカマちゃんとニューハーフって、どう違うの?」
「明確な定義はないんですよね。でも私の解釈では……」
 体に薬やメスを入れるかどうかだろう、と言う。そしてそれは、『性同一性障害』の悩みの通過点でもある、と継ぐ。俺は初めて聞く言葉に首を捻った。
「性同一性障害?」
 体の性別と心の性別が一致していない状態、のことらしい。最近は医学の世界でも研究が進んでいるが、まだまだ世間では理解されていないと話す。
「十年後でも二十年後でも、いつか普通に語られ、認められる日が来ると信じているんですが……」
 食事が済むと、そろそろパーティーに出かけると彼が言う。俺は着替えるために部屋に戻った。すると、純白のフトンが敷いてある。俺はうつぶせになってみた。むろん、フカフカである。今夜はコレで寝られるのだ。俺は、無性に感激した。

 彼に連れられ半月の下に出向くと、そこはまるで異空間だった。低いオネエ言葉が飛び交っている。まったく女性にしか見えないシルエットから、「もう少しがんばりましょう」まで、数十人が談笑している。こんな月夜のパーティーは見たことがない。キャンプ場の一角が、性別不明で埋まっているのだ。いや、ここの皆は……。
 俺は彼に囁いた。
「男なんだよな、みんな」
 薄く化粧した彼が頷いた。そして彼に理解者だと紹介されると、皆がワッと寄って来た。俺はたじろいだ。「まあ、ワイルド!」「タイプだわ!」という声に、どう反応してよいかと困惑する。しかし次第に場に馴染み、何人かと話すうち、俺はすっかり打ち解けた。皆、とても真面目なのだ。自分の性に、真摯に向き合っているのである。
 俺は参加者のひとりに、気になっていたことを尋ねた。
「オカマちゃんは、ニューハーフへの過程なの?」
「それは、人によるわね」
 半月の明かりの下で、彼女でもある彼が続ける。
「満足の仕方、線の引き方はそれぞれだから。でも、『ホルモン』でみんな悩むかな」
 女性ホルモンを投与すると、より女性化するのだが、半年で精子が死滅し二度と再生しないと言う。つまり、後戻りができない。だがそれでフンギリがつき、『女性二種』に進む人が多いと話す。あとは切ったり膨らませたり。そしてその境目で、この会で今一番悩んでいるのが、俺を連れてきた彼らしい。

 そうして時も進み、俺は眠気を催した。明日早いからと失礼し、宿に向かう。さあ、お楽しみだ。フカフカのフトンの上で大の字になるのだ。すると、なぜか仲居見習いの彼が追ってきた。少し相談があるという。
 深夜のロビーで向かい合うと、やはり先ほどの話だった。奇跡的に周囲に理解され、付き合っている『彼氏』からもホルモン投与と性転換を望まれているのだが、踏み出すことに迷いがあると言う。違和感のある男を払い正直に女として生きたいのはやまやまだが、後悔しないだろうか、自分の本質まで変わってしまうのではないか、と。
 俺は、必死に欠伸を噛み殺して聞いていた。人生を左右する真剣な相談なのはわかるが、今は眠くて仕方がない。頭など、まったく回らないのだ。
 ああ、フトンに入りたい。あのフカフカなフトンに……。
「……シュラフとフトン、ってあるよね」
 思考回路を通さぬ言葉が口から勝手に出る。彼がキョトンとしている。いいや、続けてしまえ。
「同じ寝具だけど、でも、どちらが上でどちらが下だということはないんだ。バイクにはフトンは積めないし、シュラフで大の字にはなれない。つまり違う個性なんだ」
 俺はなにを言っているのだ? かまわん、続けてしまえ。
「そして君は、フトンの心を持ったシュラフだ。君の彼は、シュラフも認めているがフトンのほうが好きなんだ。なんだ、俺と一緒だ……。つまりだ。たしかに違う個性ではあるが、しかし、縫製を変え、生地を変えても、中の綿は変わらないんだよ……」
 なんだかムチャクチャなことを言っている。だが、重いまぶたが閉じる直前に見えたものは、彼の満面の笑みだった。

 すっかり朝になり目を覚まし、俺は唖然とした。ロビーのソファーで寝ているではないか。妙な姿勢だったせいか、あちこちの関節が痛い。
「クソ! なんてこった!」
 俺は掛けられていた毛布をはぎ取った。少しでもフトンで寝てやろうと慌てて部屋に戻ると、ない。片付けられている。唖然として立ちつくす俺に、おはようございます、とほがらかな声がかけられた。彼だ。だが振り向くと、見事な『女』になっているではないか。化粧をして和服を着て、すっかり仲居のお姉さんだ。表情も晴れ晴れとしている。そうか。でも、ふっ切れたそっちはいい。
 俺は未練がましく座敷に視線を落とした。彼女になった彼が言う。
「あの、お床、払いましたけど……。なにか?」
「いや、おかまいなく」


初出 「アウトライダー」(ミリオン出版) 2002年1月号

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