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SNS時代の権力の話
1 : 今、権力はどこに存在しているのか
今回は、少し思うところあって、オカルトからは少し離れた話をしたいと思います。
ちょっと前になりますが、先月、以下のようなポストをしました。
「メディアがどう見られているか」という話をよく目にするようになったけど、多くの大手メディアは、大前提として、社会運動ではなく経済活動としてやっている(つまり最終目標が世の中を変えることではなく、部数およびプレビューを稼ぐこと)という点はもっとちゃんと双方が認識すべきだと思う。
— 日常の中の怪異X (@yokokaii_x) November 24, 2024
このポストの背景として、10月に行われた衆院選や11月17日に行われた兵庫県知事選の結果を受けて、SNSとオールドメディア(テレビや新聞)の対立が、各種メディアで頻繁に取り上げられるようになったことがあります。
このポストの主旨は、大手メディアは大きな権力*を持っているにもかかわらず、その権力を行使した結果、社会がどうなったかは、彼らにとって重要なことではない。
それは、彼らの行動原理が社会運動でなく、経済活動だからであって、最終目標はプレビュー稼ぎや部数を伸ばすことだからだ、という話です。
この問題の本質は、権力を行使している側がそのことに無自覚、あるいは、それを制御するシステムが存在しないことにあると思います。
一方で、オールドメディアが批判される機会が増えた背景には、SNSの普及により、私たち一般人も手軽に権力を持つ時代となったことが挙げられるでしょう。「SNSとオールドメディアの対立」とは、ある意味では、権力vs権力の争いの構図であるとも言えます。
であるならば、SNSが主流の時代では、常に、権力はどこに存在し、どの程度の影響力を持っているのかを把握することが大切だと考えます。
*本記事では、SNSやネットを通じた社会への影響力のことを、世論や社会的行動を大きく変える力、あるいは力を持たない他者への強制力を持つものという意味で、あえて「権力」と強めの言葉で呼ぶことにします。
2 : 弱者や被害者を装った権力
「権力」という言葉が、政治的な文脈で使われるイメージが強いため、もしかしたら少々大袈裟だと感じる人もいるかもしれません。
しかし、実際には、家庭内や職場内など、あらゆる場所に遍在し得るものです。
ただ、目に見えにくいものであるのも事実です。
権力を行使している側がそのことに無自覚、あるいは、それを制御するシステムが存在しないことが問題だと先に述べましたが、こうした構造をあえて目に見えにくい形で悪用している人たちも少なくないと感じます。
身近な例では、何か購入した商品に欠陥があった場合、店舗名や企業名をわざわざ明記して、その詳細をSNSに投稿する行為もそれにあたると考えます。
つまり、個人的な制裁のために、店舗や企業側の不備を公に晒す行為です。こうした投稿がバズって、おすすめに流れてくることが多々あります。
商品の欠陥に関連するトラブルは、消費者は、店舗または企業なりと直接やり取りして、それに見合った対応を求めればいいだけのことなのですが、わざわざそれを晒すことが権力の行使になり得るのです。
なぜなら、一件のネガティブなポストが拡散されることによって、企業イメージが失墜し、その企業に関わる人々の生活にも影響が及ぶ可能性が十分にあるからです。
運悪く欠陥品を買ってしまった消費者が「深く傷つけられた」と感じ、その思いを誰かに聞いてほしいと思う気持ちは、よく分かります。
しかし、それでも企業名を伏せて投稿したり、鍵アカで投稿するなど、工夫すれば済む話です。
ここでも問題なのは、SNSの拡散力により、特定の人や団体に制裁を加えられる構造に対して、発信者が無自覚であること、または、それを制御するシステムが存在しないことです。
また、このような手口が悪質なのは、権力者側が、権力を持ちたいときだけ都合よく弱者(被害者)を演じることで、「弱者(被害者)は強者(加害者)に対してなら、どんな制裁を下すことも許される(なぜなら正義だから)」という構造を自ら作り上げている点です。
※この問題は、過去記事でも取り上げているので、よかったら読んでみてください↓
3 : 選挙を揺るがすSNSの権力
こうした権力の行使が、今後さらに深刻な問題となる可能性があります。
例えば、冒頭で触れた兵庫県知事選関連で耳にしたニュースです。
当選した斎藤知事は、SNSの力を武器に勝利したと評価されていますが、最後まで当落を争っていた稲村和美氏陣営のXアカウントが、選挙中に二度凍結されていたというニュースです。
問題なのは、このXのアカウントが凍結されるメカニズムにあります。
恐らく、正式ルールとしては公表されていませんが、凍結された経験のある人(某有名な発信者)の話によれば、一定時間にアクセスが集中することにより、セキュリティ上の理由で自動的に凍結される可能性が大きいということです。これは、選挙時に敵対する陣営を狙い、組織的に凍結させる計画が行われる可能性があることを意味します。
つまり、政治家であろうと、一般人であろうと、政治に影響を与える力を持てるということになります。
このことが本当なら、民主主義の基盤を脅かすことにもなりかねない、深刻な問題だと感じます。
4 : 権力の実態はチートスキル?
これまで挙げてきたような例に共通するのは、正規のルールから外れた方法で力を得ている点だと思います。つまり、「ルールや制約を無視して状況を打開できる術=チートスキル」になっている側面があるように感じるのです。
また、「ハックする」という言葉が頻繁に聞かれるのも、こうした流れと無関係ではないでしょう。
チートスキルが流行る背景には、さまざまな要因が絡んでいると考えます。
例えば、政治をはじめ、社会全体が、資本主義や成果主義を推し進めた影響もあると感じます。その一方で、「失われた30年」と言われるほど、日本が経済成長していない現実があります。
このような状況下で、時には無いパイを奪い合うように、サバイブすることを強いられているのが、今の現役世代とも言えると思います。
善いか悪いかは別として、世に言われる「成功者」のロールモデルが、はっきりと「財を持つ者」になったなぁ、としみじみ感じたりします(某有名な実業家は、これからは各人が株を所有し、「財=権力」という社会にしていこうと宣言していましたが、個人的にはとても訝しんでしまいます)。
また、今は、インターネットやテクノロジーによって、かつてないほど物事が効率化された時代です。
「タイパ」という言葉が流行ったりすることからも分かるように、常に目的地までの最短ルートを探すことが求められます。
チートスキルが流行る背景として、これらがもたらす鬱屈した感情は、無縁ではないと感じます。
さらに言えば、仕事が効率化する一方で、一度レールから外れるとやり直しの効きにくい社会でもあると感じます。
その結果、Bullshit Jobs(くそどうでもいい仕事)に追われる日々の中で、少しでも社会に対して自らの存在をアピールしたいという思いが募ったとしても、不思議ではありません。しかし、社会を変革するほどの影響力を一個人が持つことが難しいことは明らかです。
そんな中、SNSが持つ拡散力・影響力というのは、まさに「チートスキル」以外の何ものでもありません。憂さ晴らしには、うってつけの道具なわけです。
5 : 権力に潜む負の動機とその見極め方
もちろん、各SNSによって制約は設定されていますが、現状では限界があると感じます。逆に、取り締まりが行き過ぎれば、表現の自由が侵されるようになる危険性も十分にあるでしょう。
だからこそ、各人がリテラシーを高く持つことが大切だと感じます。
そのためには、先述のように、個人の利益のためや、憂さ晴らしのために権力を行使する人たちの発信に惑わされないようにすることが重要です。
しかし、発信者がどんな動機で発信しているかを見極めるのは、なかなか困難なことでもあります。ましてや、先述のように権力者が弱者を装っていることもあるため、外部からは実態が見えにくいのです。
そこで、権力の裏側に潜む動機の見極め方について考察してみたいと思います。
◆
まず、金銭的な利益のための発信や活動から身を守るのは、そこまで難しくないように思います。
というのも、例えば冒頭で触れた大手メディアのケースですが、すでに述べたように彼らの動機は社会運動でなく、経済活動なので、そこに特別な感情が入り込むことはほとんどありません。なので、とても分かりやすいです。
つまり、彼らは社会変革のために発信してるわけではないので、受け手側も常に「話半分で聞く」というスタンスでいれば問題ないわけです。
問題なのは、個人的な憂さ晴らし、つまり負の感情が動機になっている発信や活動の場合です。
超能力者などでない限り、発信者の心まで見抜くのは難しいことなのですが、実は、ある種の法則があると考えます。
その前に、まず押さえておきたいのは、怨みや憎しみの感情ほど、強い推進力と持続力を持つ感情はないという点です。
つまり、ネガティブな発信や活動は、長期スパンで継続されていることが多いと推測できます。
また、怨みや憎しみが動機となった場合の特徴として、表向きは「世のため人のために、正しいことをしているんだ」という形をとっていることが多いように思います。
もっと言うと、当人もそう錯覚している場合が往々にしてあります。
というのも、当初は特定の誰かへ向けられていた感情が、晴らされないまま自分の中に滞留してしまうと、それが無意識のうちに全く別の方向へシフトしている場合があるからです。つまり、内面化された負の感情です(例えば、幼い頃に親などから受けた不当な扱いなども、こうした負の感情の温床となります)。
こういう人が政治家になったり、社会運動の先頭に立ったりすると大変なのです。動機が「怨みを晴らすこと」である以上、怨みが消えるまで批判や攻撃を繰り返すことになります。そして当人は、それが世のためになると本気で信じていたりします。
これに振り回される周りの人たちは、たまったものではありません。
内面化しているだけに、外側からそれを見抜くのはなかなか困難なのです。
そこで、先ほど述べた「ある法則」の出番になります。
6 : 負の動機を見極めるための「ある法則」
その法則とは、負の感情が動機になっている発信や活動は、徐々に形骸化し、手段が目的化していくという傾向のことです。
負の感情が動機の場合、最終目標がはっきりと設定されません。
なぜなら、実現されてしまうと、真の目標である「怨みを晴らすこと」から逸れてしまうからです。なので、うまくぼやかすために、表面的には到底実現できないような目標が、あえてカモフラージュとして設定されていると考えていいと思います。
最終目標が設定されないので、当然、何かが達成されることもありません。
その上、活動の総括もされないので、徐々に形だけのものになっていきます。そして、手段が目的化した状態のまま、怨みはその活動によって晴らされることはないので、延々と批判や攻撃が繰り返されることになります。
その結果、必然的に支持者を引き寄せる求心力は低下していきます。
発信者や主導者はそれを防ぐために、他の同業者などを「敵」認定して、批判したり、攻撃し始めます。そうすることで、支持者の結束を取り戻そうとするのです。
最近の例で言えば、左派が、「自民党を支持する有権者は劣等民族だ」と言ったりするのがいい例です。
これは、組織がカルト化していく兆候とも言えます。
カルト化した組織は、言うまでもなく、近づくべきではありません。
「なんか、うちのリーダー、最近やたらと競争相手に毒づいてるなぁ」と感じたら、それはカルト化の兆候なので、即座に距離を置くことをおすすめします。
見極め方について、以下にわかりやすくまとめてみました。
『負の動機による発信や活動の見極め方』
①具体的な目標が設定されているか→達成が現実的だと感じられる目標ほどいいと思います。
②きちんと総括が行われているか→目標が達成された場合は、新たな目標が設定されたか、あるいは運動が完了したかを観察して、手段が目的化していないかを見極めます。
③リーダーおよび主導者が他の組織を「敵」認定したり、強く批判するようになっていないか→組織がカルト化していないかが、大体分かります。
まあ、そうは言っても、「何となく正しいことを言っている風」の人に騙されることは、誰にでも起こり得ます。
コツとしては、その「人」でなく「何をしたか」に注目することです。
政治で言えば、党派性ではなく、是々非々で政策ごとに良し悪しを判断する、といった具合です。
7 : 最後に
今回、SNSなどネットを通じた社会への影響力を、あえて「権力」という言葉で捉え直すことで、その影響力の大きさや秘匿されがちな性質について、読んだ方がより解像度を上げて考えるきっかけになれば、という思いがありました。
また、人の負の感情にも着目しましたが、実際は完全な正や負の感情というのは、存在しないだろうと思います。なぜなら、人の感情は常に複雑に絡み合っており、正と負はグラデーションだからです。そのため、外からは見えにくいのだと思います。
だからこそ、あえて目に見える表面的な事象を手がかりに、攻撃的な負の情報から少しでも自分の身を守る方法はないかと、日々考えていました。その経過報告が本記事になります。
発信する側も、当初はネガティブな動機がなかったとしても、さまざまなしがらみを経験するうちに、次第に怨みや憎しみに囚われることがあると想像します。
特にオカルトは「ミイラ取りがミイラになる」現象が起きやすいと感じます。知らず知らずのうちに、ネガティブな動機で発信を続けてしまうことのないよう、私自身も気を付けたいと思います。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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