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【UFO情報開示】「心が望む世界が現実になる」ということについて


最近、アメリカでは、トランプ大統領就任に伴い、UFO情報の開示を巡る話題がいっそう注目を集めています。

そんな中、noteでリアルタイムなUFO情報を発信されている伊福部大耀さんの記事で、Lester Nareさん(肩書がいろいろあるようなのですが「ヒューマニスト」とのこと)の啓発的なポストを取り上げていて、とても普遍的で重要な内容だと感じました。
伊福部さんの当該記事を参照してもらうのが一番なのですが、私見も少し書いておきたいと思い、取り上げることにします。※後半に私見を述べます。


以下が、伊福部大耀さんの当該記事です。


以下が、Lester Nareさんの元ポストとその和訳です。


これは私の心の中で何度も浮かんでくることです。

壊滅的な開示(Catastrophic Disclosure)は存在しないし、かつて存在したこともありません
たった一つの出来事や情報漏洩、暴露が「突破口」を開き、世界的な合意を強制するという考え方は、20世紀的な発想の遺物に過ぎません。しかし、現代の断片化されたポスト・トゥルース(真実が相対化された)の現実においては、もはや合意形成の唯一の地点は存在しません

情報だけではオーバートンの窓(Overton Window、社会的に許容されるアイデアの範囲)は動きません。それを動かすのは、物語(ナラティブ)のコントロールです。

「制御された開示(Controlled Disclosure)」という概念は、政府が徐々に国民を非人間知性(NHI: Non-Human Intelligence)の現実に慣れさせることができると想定しています。一方、「壊滅的な開示」は、否定できない出来事が認識を強制すると仮定しています。しかし、どちらの考えも、情報を社会が処理する方法についての時代遅れのモデルに基づいています。これは、中央集権的な権威が現実を決定づけることができるというモデルです。

そうした世界は、もはや存在しません。

代わりに、私たちは、絶えず議論が続く開示の状態に生きています。それは、リークや内部告発、暴露が少しずつ流れてきますが、決して完全な合意には至らない状態です。その理由は以下の通りです:

・信頼できる唯一の権威が存在しないため、検証が困難である。
・証拠のすべてが、即座にイデオロギー的な派閥によって武器化される。
・現象そのものが複雑すぎて、理解しやすい「真実」としてまとめることができない。

たとえ非人間知性が直接姿を現したとしても、その反応は普遍的ではなく、イデオロギー、宗教、地政学的な立場によって分裂するでしょう。もはや世界は一斉に「目覚める」ことはありません。

だからこそ、「開示(Disclosure)」という言葉は、今起きていることを正確に表現しているとは言えません。重要なのは「開示」ではなく、「合意(Consensus)」なのです

なぜなら、本当の進歩は、一度の啓示的な瞬間から生まれるのではなく、偏見を減らし、科学的正当性を高め、政治的意志を強化する、持続的で信頼できる情報の流れから生まれるからです。

壊滅的な開示はそもそも起こり得ません。しかし、合意形成は可能です

元ポストの和訳


Lester Nareさんが言っていることをあえて一言で言えば、「一つの真実によって全員が一斉に先へ進むということはあり得ないだろう」ということだと思います。

ポスト・トゥルースの時代(事実より個々の感情が優先される社会、すなわち真実が一つではない社会)において、絶対的に正しい情報は存在し得ないということを認識することが、まずは重要だということでしょう。

その背景として、元ポストで説明されている通り、「中央集権的な権威が現実を決定づけることができた」世界は、もはや存在しないということがあります。つまり、信頼できる唯一の権威が存在しないということです。

また、「政府の透明性」についても言及されていますが、日本においても、支配者や権力者らの発信が常に社会全体の利益を優先して行われるわけではないのは自明であり、慎重に情報を精査する必要があります。

さらに、どんな情報も権力(イデオロギー派閥)によって恣意的に操作されがちという問題もあります。
SNS時代では、権力は公人だけが独占しているわけではなく、至るところに遍在します。そのため、日本でも発信者が自らの派閥に都合よく情報を操作するということは日常茶飯事です。


重要なのは、元ポストにもあるように、現在の社会では普遍的なリアクションというものが存在しないという点でしょう。それは、主に「イデオロギー、宗教、地政学的な立場によって」受け取り方が分かれるためです。

言い換えれば、今の世界において個人にとっての現実は、その人が「見たい世界」のフィルターを通してのみ形成されるということでもあります。





それが正しいとすれば、未来は一人一人がどんな世界を望むかによって分岐することになります。

実は、このことは私がこのアカウントでたびたび論じてきた超常現象の本質とも深く結びついています。

それは、例えば「幽霊は脳が見せている幻覚だ」と断定してしまえば、その時点から現実はそのようにしか捉えられなくなるというセオリーそのものでもあります。

特に、心霊や超能力などの心理作用を伴う超常現象は、きわめて自己暗示的な要素が強く、自分がイメージした結果が現実に影響を及ぼす性質があります。
また、否定的な人の集まりの中では現象が起きにくくなる傾向があることも、こうした性質を裏付けています。

オカルトの歴史を振り返ってみても、世間がこのことを認識できてさえいれば、表舞台から「排除」されずに済んだ能力者や関係者たちも多かったのではないかと思います。このことは、現在のオカルトシーンにおいても決して無縁ではないように思います。


私はこのnoteで、懐疑的な人の心理についてなるべくさまざまな角度から考察してきたつもりですが、結局のところ「一人一人がどんな世界を望むか」に尽きるのではないか、という思いがあります。
「信じる心」の重要さについてたびたび論じてきたのも、それが理由です。

そして、どうしても「信じる側」に立てない心理には、本来の自分の内なる声に耳を傾けられないという自己否定の問題が潜んでいると考えます。

つまり、その人の人生において、まだまだ乗り越えるべき問題があるということです。
とはいえ、ある種の「悟り」に達している場合を除いて、自己否定感を抱かない人はいないのではないかとも思います。
かく言う私もまた、その問題に直面している一人として、そう実感しています。





今後、UFO情報の開示やNHI(非人間知能)との邂逅の問題だけでなく、さまざまな分野で、これまで陰謀論や荒唐無稽だとされてきたようなことが現実になるケースが、少しずつ増えてくると予想します。

しかし、それは先述のように、ただ一つだけの真実としてあまねく人々に同時に降り注ぐことはなく、特定の条件を満たす人にだけ訪れる「変化」だという気がします。

別の言い方をすれば、現実に強制力がないため、スルーしようと思えばできてしまうということでもあります。

極端な例で言えば、街中を宇宙人が歩いていても「宇宙人など存在しない」と信じている人は、気にも留めずに日常を過ごすことになるということです(漫画みたいな話ですが、このまま行けば普通にあり得る話だと思っています)。


しかし、現実そのものは、強制力があるかどうかに関わらず変わって行かざるを得ない部分も当然あります。そのため、恐らくどこかの時点で価値観の違う者同士が激しくぶつかり合うような状況が予想されます(というか、すでにあちこちで起きていますが)。

そうならないためにも、まずは先述の通りポストトゥルース時代の構造をよく理解しておくことが重要ですが、その上で、極端な思想や考え方に偏らない情報収集や、とにかく物事を柔軟に捉える姿勢が肝要でしょう。

そのためにも、先述のとおり、それぞれが自己否定の問題と向き合い、対処することで、視界を常にクリアに保っておくこともとても大切だと考えます。





元ポストでも、重要なのは一度の「開示」ではなく「合意」であると説明されています。今後、価値観の違う者同士のぶつかり合いを避けるためにも、社会全体での「合意」形成が必須となるでしょう。

ここでいう「合意」に至るために重要なのは、やはり世論だと考えます。

政治的な動きが重要なのは言うまでもないことですが、その動きを変える力を持つのも(特に民主主義国家である以上は)民意および世論です。
それだけに、私たち民間の発信者一人一人がどんな世界を望むのかが、ますます重要になってきていると感じます。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました!

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