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大人の「読み聞かせ」について考える。

次女と一緒に図書館へ。

次女と行くと、彼女はいつも紙芝居を選んで持ってくる。
「図書館へ行った時は、紙芝居を2つ読む」
というのが、いつからか定番のようになっている。

とはいえ、正直そんなに読むのが好きなわけではないし、感情豊かに読むのは苦手。
いつものように淡々と読んでいた。

読みながらふと思ったこと。

大人になってから、誰かに
「読み聞かせてもらう」経験って、あっただろうか?

******

子どもに絵本の読み聞かせをする、というのは定番な感じ。
正直なところ、あまり多くはやらなかったけど笑

ただそれも未就学児までで
小学生にもなると、国語の教科書を自分で音読することはあっても、読み聞かせの機会って減る気がする。

実際、小3の娘と一緒に図鑑や本を見ることはあっても、読み聞かせはしない。
ちなみに「読み聞かせ」という言葉はそこに上下関係がある感じがして、あまり好みではない(個人の感想です)。
が、他に適切な表現が見つからないのでこのまま使う。(うるさい)

で、読み聞かせの機会が減るから
小学校のPTAボランティアで、本の読み聞かせを募集していたりするのかな?と。
あくまでも想像でしかないのですが。

ということは
読み聞かせって、実は子どもだけでなく
大人になっても大事だったりするのかな?

読み聞かせのメリットデメリットについては、たぶんググれば出てくるので、今日は触れない。

ただ、冒頭に書いた

大人になってから、誰かに「読み聞かせてもらう」経験って、あるだろうか?

これ、一つ思いついた。

そう、オーディブル。
いわゆる耳読書なのだが、これって
一種の「読み聞かせ」だよなあと。

オーディブルは、歩行中や手が使えない時にも聞ける、という便利な面しか見えていなかったが
もしかしたら、大人が「読み聞かせてもらう」貴重な機会なのかも。

あれ?
そうすると、落語なんかも読み聞かせの一種?

まあ落語は一旦置いとくとして、
オーディブルが大人の「読み聞かせ」だと思うと、ちょっと捉え方が変わってくるかもしれない。

紙の本やKindleでの読書が「積極的」読書だとしたら、オーディブルは「やや受け身」な読書だと思っていた。
だって目で追わなくても、読んでくれるから。

積極的に本を読むことは、もちろん楽しい。
でも、「読んでもらう」経験も実は大事なのかも?


最近Kindle paperwhiteを買ったこともあり、少しオーディブルから離れていたけど、久々に聞いてみようかな。

そんなことを思った日曜日でした。

<あとがき>
オーディブル、著者が男性でナレーターが甘い声の女性だったりすると違和感があり、話が入ってこない場合もありますが…本のイメージにピッタリだったり、良い声だなあ…と惚れ惚れする人もたくさんいます。
大人向けの本一冊を音読するって、なかなかな手間ですよね。それが月1,500円のサブスクで聴き放題って、結構贅沢な話なのかもしれません。
今日もありがとうございました。

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