大人の「読み聞かせ」について考える。
次女と一緒に図書館へ。
次女と行くと、彼女はいつも紙芝居を選んで持ってくる。
「図書館へ行った時は、紙芝居を2つ読む」
というのが、いつからか定番のようになっている。
とはいえ、正直そんなに読むのが好きなわけではないし、感情豊かに読むのは苦手。
いつものように淡々と読んでいた。
…
読みながらふと思ったこと。
大人になってから、誰かに
「読み聞かせてもらう」経験って、あっただろうか?
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子どもに絵本の読み聞かせをする、というのは定番な感じ。
正直なところ、あまり多くはやらなかったけど笑
ただそれも未就学児までで
小学生にもなると、国語の教科書を自分で音読することはあっても、読み聞かせの機会って減る気がする。
実際、小3の娘と一緒に図鑑や本を見ることはあっても、読み聞かせはしない。
ちなみに「読み聞かせ」という言葉はそこに上下関係がある感じがして、あまり好みではない(個人の感想です)。
が、他に適切な表現が見つからないのでこのまま使う。(うるさい)
で、読み聞かせの機会が減るから
小学校のPTAボランティアで、本の読み聞かせを募集していたりするのかな?と。
あくまでも想像でしかないのですが。
ということは
読み聞かせって、実は子どもだけでなく
大人になっても大事だったりするのかな?
…
読み聞かせのメリットデメリットについては、たぶんググれば出てくるので、今日は触れない。
ただ、冒頭に書いた
これ、一つ思いついた。
そう、オーディブル。
いわゆる耳読書なのだが、これって
一種の「読み聞かせ」だよなあと。
オーディブルは、歩行中や手が使えない時にも聞ける、という便利な面しか見えていなかったが
もしかしたら、大人が「読み聞かせてもらう」貴重な機会なのかも。
あれ?
そうすると、落語なんかも読み聞かせの一種?
まあ落語は一旦置いとくとして、
オーディブルが大人の「読み聞かせ」だと思うと、ちょっと捉え方が変わってくるかもしれない。
紙の本やKindleでの読書が「積極的」読書だとしたら、オーディブルは「やや受け身」な読書だと思っていた。
だって目で追わなくても、読んでくれるから。
積極的に本を読むことは、もちろん楽しい。
でも、「読んでもらう」経験も実は大事なのかも?
最近Kindle paperwhiteを買ったこともあり、少しオーディブルから離れていたけど、久々に聞いてみようかな。
そんなことを思った日曜日でした。
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