「お忙しいところ」という挨拶の根拠とは?
「お忙しいところ」
よく聞くワードですよね。
この挨拶についての話がおもしろかったので、紹介します。
✅「お忙しいところ」の根拠
この挨拶の根拠としてあるのは、忙しいことは望ましい状況であるという観念。
忙しいとは、商売が繁盛している様子。
暇は、悪いイメージ。
「暇人」と言えば、明らかに揶揄であって、褒めているのではない。
暇は持て余すものであり、暇を出されたら失業する。これが世間のイメージ。
✅著者は暇人
著者の森博嗣さんは、1日に1時間しか仕事をしない。
ゆえに、暇なのだそう。
✅「お忙しいところ」の行く末
社会が成熟し、今の日本のように全体的に豊かになってくると、そんなに働かなくても質素な生活ならできる、という人は多くなってくるのでは?と。
暇=「さほど忌み嫌う状況ではない」、と感じる人も多くなってくるのではないか?という話でした。
感想
「大変お忙しいところ〜」という文面のメールや電話を受けると、
「いや、別にそんなに忙しくはないけど…」
と思ってしまいます。
「お忙しいところ」っていう枕詞(?)も、よく考えると古い感じがします。
会社に全身全霊を捧げて忙しく働く、みたいな概念って、もう消滅しつつありますよね?
忙しくならないように、例えば人間じゃなくても良い仕事は手放すようにするなどして、余裕を持った生活を送れるようにするのが、現代なのかな?と思ったりしますが…甘いんですかね?
「忙しい」=正義、だとすると
「オレ、今日1時間しか寝てねーよ(ドヤ)」って言う人種とさほど変わらない?
うん、忙しいのイヤだなあ。
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これ書いていて、気が付きました。
と、娘によく言ってしまっていることに。
忙しくならないように、調理家電を導入しているのに。
忙しくならないように、全自動洗濯機なのに。
etc…
つまり、忙しくはないのです。
だから…
今日からは、こう言って丸付けします。
「丸付け、それは暇を持て余した神々の遊び。」
ではまた!
▼「暇を持て余した神々の遊び」はこちら。