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言葉の宝箱1299【金さえあれば、金の使いようで、人の心はどうにでもなる】


『武田信玄(三)火の巻』(文春文庫:1974年11月25日)

・迷うのは人情です。迷わない方がおかしいのです P173

・諦とは悟ること、すなわち菩提の境地に達することである(略)
人生に余りが無くなったとき、もうこれで死ぬのだと悲しむ人があるが、
それはおろかなことである。
人生に余りが無くなったことは無いということではなく、
これから別な新しい希望に満ちた世界が始まるということである。
その世界こそ、ほんとうに無限界に拡がる世界である(略)
僧でない人のことを俗体という。
俗体だから救われないということもないし、
僧だから、新しい世界において恵まれるということもない。
人の心は区別がないが、考え方によって区別が生ずる。
未知の世界が恐ろしいと思う人の心はその恐ろしい世界に迷いこみ、
未知の世界にはなんのおそるるものがないと思えば、
その世界は花園になる(略)
あきらめるというのは捨てることではない。
どうでもいいと投げ出してしまうことでは決してない。
俗体の世をあきらめるということは、俗体の世に起きたことに、
こだわっていてはならないということである。
俗体の世から離れるときには、俗体の世のことは考えずに、
新しい世界のことだけを考えていればよいのである。
俗体の世は俗体にまかせてやろう、
いっさいはもう自分とはかかわりのないことだと
思うようになったときが悟りである P178

・金さえあれば、金の使いようで、人の心はどうにでもなる P230

・あれこれと考えるが、考えが纏まって来ると、
信玄はそれを、文字に表した P230

・わからないときには、
まず幾つかの疑問点をあげて、その一つ一つを消して行けば、
最後に残るものが真実に近いものになる P294

・人にはそれぞれ天命というものがある。
いかにして、その人に与えられた天命をまっとうするかというところに
生きる意義がある P312

・分からないところが小説になるのである P392




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