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特別対談:「食✖️マーケティング✖️哲学」 (料理愛好家 畑井貴晶さん)

コロナ禍以降、皆さんも実感できる変化のひとつは、外食から”家食”ではないでしょうか?

外食機会が減ったことによって、家で自炊する(以下、”家食”)という需要が高まり、メーカーとしてもそこに注力してマーケティングを考えているとも聞いています。さらにいえば、この”家食”への変化が意外と心地よかったという生活者も多く、今までの外食産業が抜本的な変化を遂げたのかもしれません

しかしながら、当時の”家食”のコンセプトは「外食に近づけるプラン」であったことに対して、昨今は「外食を近づけるプラン」という点は気になるところです。

食起点から

個人的には、この”家食”こそ食時間のリズムをとるベースとなっているのでないかと感じ、日本人にとって貴重な変化であると捉えています。そこには当然、食材のバリエーションや色合いもあるとは思いますが、なにより大切なのは「自分と対話する時間」を持てる機会を(強制的であれ)得ることができたのではないかということです。

“食材を選ぶ、作る、食べる、考える”ことが、well-beingの基本です。過食気味になってしまった時や逆に食が進まない時にどのように自分の健康(心身共)と向き合うのか。ウォーキングやヨガ、もしかしたらゆっくり読書することでもいいかもしれない。こうして自分と向き合うことにより、自身と対話することがより容易になるのです。

【対談】料理愛好家 畑井貴晶さん

今回、料理愛好家やマーケティングコンサルタント、俳人といった様々な肩書きをお持ちの畑井貴晶さんと、約2時間にわたって対談させていただきました。
食だけではなく、彼のマーケティングコンサルト経験や哲学に至るまで、たくさんのお話をお伺いすることができたのですが、今回はその対談の一部をご紹介できたらと思います。

畑井さんのプロフィールは以下を参照ください。


調味料あれこれ

畑井:アウディカフェ(みなとみらい) 、新橋有田牛(新橋)、 アロハストリート(茅ヶ崎)での料理長経験や現在では三田菊次郎(田町) の顧問として料理に向き合ってきましたが、やはり基本は家庭料理だと思っています。
時代の変化によって、なかなか家での食事が重要視されていないところもありますし、助けてくれるコンビニエンスな料理も多く売られているので、全く困らないというのは事実とはいえ、自宅で何かしらのアレンジを加えての料理でもあるのではないでしょうか

黒木:何かしらのアレンジとは、具体的にはどういうことでしょうか?

畑井:例えば多くの家庭にある調味料の定番ってこんな感じだと思います。

畑井:さらに次点となるもの。これに豆板醤、コチジャン、甜麺醤あたりでしょうか。昔だとラー油は持ってない家も多かった。だから餃子を買うとついてきましたよね。さらにこれに加えてエスニック系。ここまでくるとだいぶ限られているかもしれません。

畑井:どう料理したら美味そうかなと考える。調味料は食材を生かさなきゃいけないあり方と、調味料そのものが美味いとなるあり方とがありますね。後者はたとえば麺類がおおよそそうです。ナポリタンとか典型。ケチャップを食っている(笑)。

黒木:なるほど、確かに私もそんなイメージを持っていました。一方でこのコロナ禍での食生活の変化がどうなっているのか、しっかり捉えたいところですね。世間では原料値上げだと取り上げていますが、味覚や嗜好の変化があるかもしれません

畑井:あります、相当あります。 家で自分で作ってると塩加減が少なくなる。久しぶりに外でフレンチを食べたらしょっぱくてしょうがないと、フランスオタクの後輩が言っていました(笑)。まったくその通りだと思います。

黒木:それは確かに感じますね。

畑井:マヨネーズも油ですからストレス解消系です。スイーツと同じ。ストレスが減ると使用量は減ります。家食の時代なのに、調味料大手は軒並み売上を落としているようです。

黒木:確かに、毎朝作る味噌汁の味噌の分量も減ってます。そういえば日本橋丸善本店で見ると、自律神経系や腸関連の書籍が増えました。

"健康志向"ではなく"健康"

畑井:減りますね。 雑駁に言って人は”健康”に振れてます。志向ではなくて実際に"健康"です。 街を歩いていても、太っているおじさんが減りました(完全に主観ではありますが)。生保は儲かってしょうがないのではと疑ってしまうくらいです。何気に生保の価格、加入条件も下がる一方です。還暦超えていても問題なく入れます。

黒木:「刺激し、鍛えて、整える」。スポーツという文脈の中で整えるマーケットサイズが大きくなっているように感じます間違いないですね。

畑井:激しい系のスポーツ人口、たぶん統計を取れば減っていると思います。

黒木:そうですね、スポーツまでいかなくても。 そういう私も「腸活ヨガ」を自宅で始めました(笑)。

畑井:身体に負荷をかけると免疫が下がって風邪をひきやすくなります。一度風邪をひくと、元どおりになるのに実は数ヶ月とかかかってるはずで、負荷をかけすぎるスポーツは体に悪いとバレてきてる。 整えるマーケットになってます。ヨガとか太極拳とかまさにその傾向。

黒木:確かにそんな感じします。スクワットしてバーベルあげると、毛細血管切れているような気がします。

畑井:あはは。そんなことやるんですか! 間違いなく切れてますね。感覚的にそう感じる。

黒木:150kgのスクワットやると身体が悲鳴をあげている気もしますよ。毛細血管飛んでます、きっと。

畑井:そんなことやるんですか!

黒木:はい、とんでもないです。周りの方が驚いています。今は、80kgのスクワットを8回 2セットに変えましたが、やはり毛細血管飛んでいる感じします。
何も考えない時間を作る、西田幾多郎先生の「純粋経験」の領域体得しようとしたのですが、いき過ぎでした(笑)。

西田幾多郎

畑井:脂汗ながして思索した人ですね。彼の思想「絶対無」は再評価されてます。ちゃんと読んだことないですが(笑)。

黒木「無分別智」の考えは、最高に面白いです。私がエスノグラフィーで活用しているのは、西田幾多郎哲学の実践です。この前、某協会の理事長にその話を言いましたら、ドン引きされましたが…。

畑井:なんかすごい。実践できる類なのですね。意外。

黒木:とてもとても西田幾多郎先生の思索の領域には及びませんが、気持ちだけは、そのつもりでフィールドワークしながら、そのままを素直に受け止める気持ちです。面白いねと言ってくださったのは、野中郁次郎先生と、去年亡くなった柏木博先生でした。主体と客体の区別が付かない領域で、相手と話をする感覚です。

畑井:面白い感覚ですね。日本ぽいところも。

黒木:その通りです。日本独自の知ですね。だから西田先生の同期である鈴木大拙氏の禅に繋がります。

見識と識見

畑井日本語の構造がそうですからね、主語はいわないし。友人の子供たちに英語を教えてるとルールが面倒で不自由で、教えられるほうが理解できないのも無理ないと思います。語順とか超きつい。単語あってりゃ通じるんじゃないのと思う。主語より述語が日本人の考え方ですね。

黒木:主体と客体もない。人間が花という対象を見ているのではなく、同時に、花が人間に向かっている状態なんですね。

畑井:文法の世界ではマイナーなようですが、すべての文節は述語にかかる修飾節である、という考え方を私は押してます。 主語とかない。副詞がこんなに豊かでほぼ副詞を言ってれば通じ合えるとか、こんな言語はないでしょう。自由極まりない。

黒木:ありのままにみるという現象学も、実は無分別智です。頭でものを考えるなと坐禅で言われますもんね。主客が未分化とも言われます。

畑井ベルクソンとか。よく哲学談義を俳人たちとしましたよ。

黒木ベルクソン懐かしいですね。早稲田の学生は確かに論議しましたね。

畑井:述語(動詞)も、モゴモゴして、最後の最後に打ち消しが来る「へ?それ言わなかったの?」みたいになる。西欧にはあり得ない態度。

黒木:はい。

畑井:個人的には、構造主義の巨人たちに日本をもっと研究してもらいたいんですよね。脱構築とか「日本は最初から構築しないんだがどうなの?」と聞きたい。

黒木:笑えますね。だからあの「野生の思考」のレビィストロースは、日本人、日本文化、自然観に驚いたのでしょうね。

畑井:私は認識論やサルトルを支持しません。主体から考えるのは好きじゃないですね。主体は出てくるとしても、後から登場させたい。
世界の見聞を見識に高め、さらに識見をもてたらいいと思って生きながらえてます。 見識と識見を混同して使う人がいますが、見識は知識の仲間、識見は意見の仲間です。すぐれた見識に裏打ちされた優れた意見。これが識見です。
料理は見識で行うものではなく、ましてただの見聞からはできっこなく、それぞれの識見のなせるもの
と考えるといいかもしれませんね。

黒木:なるほど、見識は積み重ねで足し算の哲学ですが、識見は不要なものを極限まで削っていく引き算の哲学にも、見えませんか?

畑井:まさに。ちょい足しではなくて、ちょい抜きですね。時短料理はよく手抜き料理といわれますが、手はあまり抜かずに食材を抜くのはありだと思います。同じ味が出せるなら、食材は少ないほどいい。時間も短いほどいい。安いほど優れている。これは当たり前です。現代の調味料は本当に優れていますからね。

黒木:日本人の美意識というか、先ほどの純粋経験とは、何かを加えることではなく、極限まで周辺にあるものをひくところに特長がありそうですね。話が尽きませんね。またここら辺について食と哲学をテーマに、次回お話しましょう。


まとめの代わりに

データと論理構築のマーケティングだけでは、今の時代のマーケティングは語れません。今回メインでお伝えした食領域であっても「食×マーケティング×哲学」という掛け算的発想が新しいゲームを作るには必要ではないでしょうか。

対談の後半に話題としていた哲学とは、ありのままを見ながら考えることです。「直観」の意義を問う東洋的哲学は、西洋的哲学でいう「論理と言語による証明」で語り尽くせないものがあります。

今回は私たちマーケティングに携わる人間にとって、今の時代を生き抜く為に必要なことをテーマにしてみました。基軸を変えてみると言葉ではよく耳にしますが、変化を起こすためには複合的な視点が必要となることも然りです。その重要な要素の一つに哲学があります。私たちはまだまだ学ばなければならないことが山積みなのです。

(完)

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