13年ぶりに祖父の声を聞いた
こんにちは。
いきなりだがみなさんは、
人間が持つ五感のうち、何の感覚から最初に忘れていくのかご存じだろうか?
先日、祖父の13回忌の法事があり、
祖父の兄弟や、祖父の子ども(わたしの親の兄弟)たちがわたしの住んでいる家に集まっていた。
祖父の法事に限らず、毎回法事があるたびに、前日から数時間かけて家の周りや庭の掃除をするのがわたしの役目。
これは幼少期に祖父の背中を見て学んだことの一つだからだ。
祖父から教えてもらったことは多々ある。
祖父母と一緒に住んでいたので、幼い頃からたくさんのことを経験させてもらった。
草木の剪定、外壁の高圧洗浄、芝生の植え替え、お墓掃除の仕方。
家の屋根に登らせてもらったり、自分たちで足場を組んだりもした。
車の下に入り込んで各部品を説明してくれたり、野球の仕方、自転車の乗り方、ゴルフの打ち方。
他にもペンキの塗り方や、コンクリートを一緒に作ったり、鉋(かんな)の使い方を教えてもらったりなど、挙げていくとキリがない。
それほどわたしと祖父はたくさんの時間を共にした。
祖父は寡黙な人で親より厳しかった。
孫にも本気で怒るし、本気でぶつかってくる人だった。
当然、怒られた時は怖すぎて(背が高く威圧感もすごいので)泣いたし、
よく玄関にある姿見を奪い合い、言い合いになったりもしたが、祖父のお気に入りのチョコレートをもらいすぐに仲直りするような関係性だった。
職場に連れて行ってもらったり、山や海はもちろん、あらゆる場所にもドライブで連れて行ってもらった。
祖父が運転する車の助手席に乗り、窓を開け風を感じるのが好きだった。
祖父との数々の思い出は、12年経った今でも断片的にだが思い出せる。
しかしながら、
あれほど元気で活発で面倒見のいい祖父がいなくなり、
家から人が1人減った、という事実は、
わたしたち家族に大きな影響を与えた。
今まで感じたことのない喪失感に駆られ、
祖母の顔は人生で初めて見るほど悲しい顔をしていた。
今わたしが使っている部屋は、
以前祖父が使っていた部屋で、こだわりの和室である。
祖父の物を片付けられず今もまだ色々な物が置いてあるが、先日祖父の愛用していたカラオケの機械を物置に移動させた。
祖父はカラオケが大好きだった。
家にはリビングと和室(祖父の自室)にカラオケできる機械とマイクがあり、
わたしが小学校から帰ってくる道中、家に近づくほど祖父が家で歌っている声が近所に漏れていた。
現代で考えると近所迷惑なのかもしれないが、祖父や祖母の人柄から、ご近所の方とはめちゃくちゃ仲良くさせてもらっており、関係は良好だったのでよかったのかもしれない。
学校から帰ると必ずそのカラオケに参加させられるため、わたしは今でもかなりの曲数の歌謡曲を歌えるようになっている。
ブランデーを嗜みながら気持ちよくなっている祖父に、音が外れると怒られる孫。
そんな姿を祖母が見兼ねて、無理に付き合わなくてもいいのよと言っていたっけな。
でも、怒られても好きだった。
一緒に歌うことが楽しかったからやめなかった。
わたしは幼少期からエレクトーンを習っており、
祖父の用意した歌謡曲の楽譜を見ながら伴奏を弾いていた。
その音に合わせて祖父が歌う。
その練習も楽しかった。本当に楽しかった。
一生懸命練習して、一緒に合わせ、上手く行った時が最高に気持ちよかった。
思い出話はこのくらいにして、
話は法事の続きに戻ることにする。
お坊さんに来ていただき、
家での法要が済んだのちに皆んなで食事に行った。
こんな時にしかこのメンバーで予定が合うタイミングがないため、話は尽きず盛り上がっていた。
その最中、わたしは美味しそうなお肉をお預けにし、着々とプロジェクターの準備を進めていた。
わたしの叔母はイベントごとを準備させると右に出る者はいないほどの天才なので、今回のために動画を作ってきてくれていたのだ。
それが行われることはわたしと叔母しか知らず、皆んなは不思議そうに見ながらお肉を頬張っていた。笑
準備が完成し、動画は流れ始めた。
内容までは知らなかったので初めて見たが、
わたしは一瞬にして涙が溢れ出てしまった。
あれほど、
あれほど一緒に歌っていた祖父の歌声を、
わたしは13年ぶりに聞いたのだ。
ぬぐってもぬぐっても、一向に涙は止まらない。
当時のわたしは携帯を持っておらず、祖父の動画を簡単に振り返ることもできなかった。
カセットテープで録音していたのは知っていたが、正直聞く勇気がなかったと言った方が正しいのかもしれない。
作ってもらった動画を見ながら声を聞いていると、
ここに書いたような思い出の数々が頭の中に広がった。
自分では開けられなかった心の引き出しが一気にぶわぁっと開いた感覚。
10分ほどの動画だった。
本当に叔母には感謝しかない。
最初の問いである、
人間が持つ五感のうち、何の感覚から最初に忘れていくのか。
それは「聴覚」である。つまり「声」からだ。
どんなに思い出を振り返っていても、12年が経過している。
祖父がどんな声だったのか、わたしは鮮明には思い出せなくなってしまっていた。
それがとても悲しかった。
あれほどの時間を共にしたのに、月日が経っていくと思い出せなくなるのはどうしようもなく辛い。
そう思っていた時に、だ。
叔母が用意してくれた動画のおかげで、
祖父との思い出に色が戻ってきた気がした。
これからは、頭の中の大事な思い出と共に、
温かく広大で深みのある祖父の声を聞くことができる。
声を残してくれて本当にありがとうと、
わたしの思いがじいちゃんに伝わっていればいいなと思った。
(イラストはカセットテープ。あまり使ったことないけど、懐かしい)
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