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「得る」より「失う」の方が、圧倒的に多いのに
何かを得ると「得たこと」にしか気が向かないけれど、実は同時にたくさん失っている。
冒頭いきなり、ネガティブに聞こえるかもしれないけれど、改めて実感してしまった。
しょうもないことで恐縮なのですが、「フォローするかどうかの線引き」についてモヤモヤしています😶🌫️素晴らしいnoterさんがたくさんいて、できるなら皆さんフォローしたいと思うタイプなのですが…
わたしはフォローしたらちゃんと記事を読みたいし、いいなと思ったらスキやコメントを残したいのです。
そうなるとフォローしてる方が多いと追えなくなってしまうので変に厳選してしまう一方、そのせいで本当は自分に有益な情報を逃してしまうのでは…などとモヤモヤしています😅
(Rikotto 〜自己受容を目指す軌跡を綴るnote〜 さん)
「情報」は特にそうだ。
本でさえ一日に約200冊ほど出版されている中で、インターネット上の情報は絶えず追加・編集・更新がなされている。
野球部に入部したら、「サッカー部や吹奏楽部に所属する自分」という世界線や経験を失うのと同じように、何かの情報を得ることは、その他多くの情報を失うことを意味している。
そもそも、この世の全てを網羅することはできない。全知全能にはなれない。
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昔、可能な限りたくさんの情報をインプットしたいと思っていた時期があった。
著名人やインフルエンサーと呼ばれる人をたくさんフォローして、ニュースやメディアの記事、動画を欠かさずチェックする、そんな毎日をせかせかと過ごしていた。
当時の自分を例えるなら、“予備校の授業を受けているだけで、志望校に合格すると信じて止まない受験生”だ。
授業を受けるだけ、参考書を読んだだけ、それだけでは合格できない。
大事なのは「演習」で、頭の中にある知識をいかにうまく使えるか、引き出せるかが必要不可欠なはずだ。
インプットばかりしてお腹いっぱいの自分に酔っているだけだった。
知っている知識を偉そうに他人に喋るのは、アウトプットとは言わない。
知ったこと、気づいたことを自分の取り組みに反映させて初めて、アウトプットと言えると思う。
インプットは腹八分くらいにしておいて、デザートを食べられるくらいの、そんなアウトプットの余白を残しておきたい。
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タイトルに話を戻す。
「得る」とは「失う」であり、「決める」とは「諦める」だと思う。
この先の人生もきっと、得る機会より失う機会の方が多い。
そして、得る・失うの判断も含めて、何かを決めるということは、同時に何かを諦めることでもある。
そうやって諦めるからこそ、失うからこそ、本当に大切なものを得られるのだと思う。
今自分が大切にしているものも、自分自身が諦め、失ってきた数々の上にあるのかもしれない。
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