「ムーミン」は、今改めて見ると露骨に<BL>だよね
今回は、名作アニメ「ムーミン」について書こうと思う。
これ、実はかなりややこしい作品なんだよね。
・・というのも、シリーズが異様にたくさんあるから。
そのくせ、ちゃんと見たことある人の割合は結構少ない。
これは、非常にもったいないことさ。
いくらでも無料視聴できるというのに・・。
たとえば、YouTubeで「ムーミン全話」と検索をかけてみてほしい。
すると、異様にたくさんの項目が出てくるはずなんだ。
・・しかし、それらが主に3種類に分かれてることに皆さんは気付くはず。
「楽しいムーミン一家」、「旧ムーミン」、「新ムーミン」ってね。
じゃ、それらについてまずは説明しておこう。
①「旧ムーミン」⇒大塚康生版ムーミン
これは1969年の作品で、日本で一番最初に作られた「ムーミン」である。
制作会社は東京ムービー(現トムスエンタテインメント)で、当初、これを仕切ってたのは大塚康生さんだね。
大塚さんといえば元東映動画の主力であり、宮崎駿の師匠筋ともいえるほどのレジェンドである。
彼は監督じゃなく作監だったんだけど、なぜかこのシリーズは「大塚版」と呼ばれることが多い。
②「新ムーミン」⇒虫プロ版ムーミン
これは1972年の制作、虫プロの作品である。
監督はりんたろう。
実は、りんたろうは「旧ムーミン」でもシーズン途中から監督を務めてて、というのも原作者のトーベヤンソンが「旧ムーミン」の出来を見てクレームをつけたらしく、途中から急遽制作が東京ムービーから虫プロに替わってるのよ。
ただ、トーベ先生はこの「新ムーミン」にも不満だったらしく、新/旧両方のシリーズを決して国外に輸出しないことを確約させたらしい・・。
③「楽しいムーミン一家」⇒平成ムーミン
これは1990年制作、テレイメージの作品。
前作の件を踏まえて、いよいよ原作者トーベ側のチェックを入れられながらの制作だったらしい。
そういう意味で、このシリーズが最も原作準拠といえる。
ただ、それはあくまで第1期までの話であり、「契約が切れた後」の第2期にはいきなりムーミンパパがタイムマシンを作るSF展開になったりしてるわけで・・。
うむ、どうも日本のアニメ界というのは、一時期まで著作権に対する認識がかなりユルユルだったようだ。
そりゃトーベ先生も怒るって・・。
でも我々の中には、意外と「昭和ムーミン」のイメージが強く刷り込まれてるのよ。
ねぇ~ムーミン♪こっち向いて~♪という有名な主題歌は、「昭和」のやつだからね(「平成」の主題歌に、それは使われていない)。
あとスナフキンがギターを持ってるというのも「昭和」だけで、トーベ先生的にはNGの描写である(正しくはハーモニカでなければならない)。
じゃ、「昭和ムーミン」はアニメとしてそんなにもヒドイ作品だったのか?
・・その答えは、否である。
ただ、大塚康生さんあたり、本作を初期ディズニーっぽいドタバタコメディにしようとしてたと思うのよ。
一番分かりやすいところでは、人気キャラのミイ↓↓が
「旧ムーミン」第1話から、いきなり髪の毛が全部抜けてツルっパゲになるんだから・・(笑)。
あと、主要キャラのスノークが「昭和」だとcv広川太一郎なもんだから、明らかにキャラが広川さんに引っ張られてしまい、なんかアホキャラっぽくなってるんだよね(本来の設定は秀才キャラ)。
・・え、別にいいじゃん?と思うかもしれんが、しかしトーベ先生の世界観からは全く逸脱したものである。
ちなみにだが、生前の先生が最も高く評価した映像化作品はポーランド制作のパペットアニメーション(1970年代に制作されたもの)だったらしい。
これは後に再編集され、2010年、新たに劇場用映画「ムーミン谷の彗星」として日本でも公開されたわけです(それまでは日本未公開だった)。
じゃ、<トーベ先生にとっての理想のムーミン>の一例として、それの一部抜粋をご覧いただきたい↓↓
・・うん、何より「昭和ムーミン」とのイメージのギャップに驚くでしょ?
というかね、「ムーミン」を見るなら、まず最初に押さえておくべき作品が「ムーミン谷の彗星」なのよ。
ある意味、世界で最も有名な「終末系アニメ」である。
これは「ムーミン」の前日譚的作品であり、時系列としてはムーミン一家がムーミン谷に引っ越してきてまだ間もない頃の話。
この作品では、ムーミンがスナフキンをはじめとする主要メンバーと初対面するエピソードが描かれてるわけね。
日本のアニメとしても同タイトルの作品↑↑が作られてるので、これもまた、お薦めしておきたい。
YouTubeで「Comet in Moominland」と検索すれば、無料フル動画が見られるはずだよ。
この作品は、割と原作準拠のイメージなんだ。
もともと、「ムーミン」には昔から有名な都市伝説があり、
ムーミンというのは放射能(核戦争?)の影響で遺伝子変異した<元人間>である
という話、一度や二度、聞いたことあるでしょ?
・・私は、これを断固否定するけど。
だって作中には核戦争の痕跡が出てこないし、あれだけ自然が豊かな環境は、長く続くはずの放射能の汚染に対して全くツジツマ合わないじゃん?
ただ、この映画において「彗星」が「戦争」および「原爆」のメタファーであることは間違いないだろう。
なんせ、トーベ先生がちょうどこの作品を構想した時期は1945年らしいからね。
トーベ先生って、それまでめっちゃ社会風刺/政治批判の画を描いてきた作家らしく、それで何度となく出版差し止めを食らってきた人らしいのよ。
よって、「ムーミン」からメタファーを使うようになったんだろう。
ある意味、先生にとっての「ムーミン」は、反戦のメッセージ性を込めた「超真面目な作品」なのさ。
それを、原爆被災の当事国である日本が、まさか「ムーミン」のアニメ化でそれをフザけた作風にするなど信じられなかったんじゃないだろうか?
・・で、しまいにキレた、と。
実はトーベ先生って、ちょっとややこしい人だとされている。
彼女はフィンランド在住だったんだけど、そこでは多数派(93%)のフィンランド語圏所属でなく、少数派(6%)のスウェーデン語圏所属の人だったらしい。
そして個人としては、当時ほとんど社会的に認められてなかった、同性愛者(厳密にはバイセクシャル)だったという。
・・そう、まさにマイノリティ×マイノリティという、非常に苦しい立場に立つ人だったんだよ。
つまり「ムーミン」とは、そういう背景を持つ作家の創ったものということをまず最初に理解しておいてほしい。
でね、私がまずムーミン谷という環境がスゴイと思うのが、
<人間>×<妖精>×<動物>という全く異なる生命体が言語を共有して意思疎通ができ、しかもそこに全く差別意識が生じてないというところね。
おそらく、トーベ先生自身はマイノリティゆえの差別にずっと苦しんできた半生だろうし、そんな彼女が敢えてこういう世界観を構築したのって、何か深いよなぁ・・と。
次はキャラについて。
作中、私が個人的に凄く気になったキャラというのが、上の画の左の女性、トゥーティッキである。
彼女って、確か「昭和ムーミン」だと「おしゃまさん」という呼称だったんだよね(笑)。
おいおい、おしゃまさんって(笑)。
それにしても、見るからにレズビアン、もしくはバイセクシャルっぽい感じがしないか?
あるいはトーベ先生自身の投影かもしれない・・。
そして、バイセクシャルといえば、実はあともうひとり。
今になって、改めて「ムーミン」を見ると誰しも真っ先に気付くことだが、
多分ムーミンもまた、バイセクシャルである
・・いや、これはフザけて言ってるわけじゃないんだよ。
マジである。
これを嘘だと思うなら、「昭和ムーミン」でも「平成ムーミン」でもどっちでもいいから見てみてほしい。
ムーミンのスナフキン愛は、どう考えても「友情」の域を遥かに超えてるんだから・・。
そもそもスナフキンというのは、春~秋を本拠ムーミン谷で過ごすんだが、冬期だけ本拠を離れ、放浪の一人旅をするというのが毎年のルーティーンである。
で、ムーミンはスナフキンがいない冬期は冬眠し、春になって目覚めると、そこからはスナフキンの帰還をひたすら待ち続ける、乙女モードに入るんだよ。
ムーミンは、ちゃんとフローレン(昭和名ノンノン)というカノジョがいるのに、フローレンが一生懸命に彼の気を引こうとしても、乙女モードの時の彼はほとんどそれをスルーなんだよね。
この状態はもう、ムーミンがそっち系でなければ説明つかないと思う。
子供の頃は見てても気付かなかったけど、今見るとこれ、BL以外の何ものでもないわ。
でさ、そういう前提で物語を見ていくと、妙に切ないのがフローレンなのよ。
作中には、ちゃんとフローレンがスナフキンに嫉妬する心情まで描かれてるわけさ。
でも、一人旅からスナフキンがなかなか帰還せず、その心労からダウンしてしまったムーミンの為、フローレンがわざわざスナフキンを捜索する一人旅に出るくだりとかもあって、このあたりの彼女の葛藤がめっちゃ切ないんですよ。
あぁ、もう、フローレンがいい子すぎて逆に辛い・・。
なんかさ、「ムーミン」ってオトナにしか分からない表現があまりにも多くて、どう考えてもこれ、子供向けアニメじゃないよね?
子供向けにしようってんなら、それこそ「昭和ムーミン」の方が表現としてむしろ正しかったといえる。
まぁ、今オトナの我々が改めて見ようというなら
「ムーミン谷の彗星」⇒「平成ムーミン」1期
というリレーがベストだろう。