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「四畳半タイムマシンブルース」分岐世界SFの次は時間遡行SF
今回は、「四畳半タイムマシンブルース」について書こうと思う。
これ、ノイタミナの名作「四畳半神話大系」(湯浅政明監督)のスピンオフ的作品。
いや、もっと厳密にいうなら、「神話体系」で展開されたパラレルワールド内のひとつと表現した方がいいだろう。
よって登場人物は「神話大系」と同一、舞台も同一。
もちろん、これの原作者は森見登美彦先生で、脚本はヨーロッパ企画主宰・上田誠さんというところも同一。
ただ唯一違うのは、監督が湯浅さんじゃなく、夏目慎吾だということぐらいかな。
夏目さんといえば、「ワンパンマン」「ACCA13区監察課」「ブギーポップは笑わない」など数々のヒット作の監督で知られた人物なんだけど、近年、彼はキャリア初で自身のオリジナル作品「SonnyBoy」を作り、ここにきてひと皮むけた感のある人さ。
「四畳半」シリーズを湯浅さんから受け継ぐに値する人だろう。
というか、もともと「SonnyBoy」は「神話体系」にめっちゃ似てると思ってたんだよね。
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さて、本作もまた「神話体系」同様「SFっぽくないSF」という作風であり、前作がパラレルワールドが題材だったのに対して、今度の新たなる題材とはタイムリープである。
なるほど。
これは本作の脚本家・上田誠が以前作ったヨーロッパ企画の舞台劇「サマータイムマシンブルース」とのコラボ企画ということらしい。
2005年には実写映画化もされてたやつだよ。
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瑛太&上野樹里主演のやつだね。
そこそこ話題になった映画なので、見た人も多いと思う。
実は、この映画と「四畳半タイムマシンブルース」は全く同一のストーリーなのよ。
というか、実質リメイクとしてのアニメ化いったところか。
①部屋のクーラーのリモコンにペットボトルのコーラがかかって故障したので、クーラーが使えなくなり、暑くて死にそう。
②そこに、たまたま未来人がタイムマシンに乗って登場して、マシンを置き去りにしてどこかへ行った。
③そのタイムマシンを使用し、過去に飛び「コーラがかかる前のリモコン」を入手しようと思いつく。
というストーリー展開で、一応タイムリープを扱った本格SFでありつつも、基本線は「早くクーラーのスイッチを入れたい!」というだけのスケールがめっちゃ小さい物語なんだ(笑)。
実写/アニメ、どちらも面白いんだけど、まぁ個人的な好みでいうと
サマータイムマシンブルース<四畳半タイムマシンブルース
だね。
なぜって、上野樹里より「明石さん」の方がヒロインとして魅力的だから。
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明石さんは大学の映画サークルに所属してて、自主制作映画の監督を務めるサブカル系女子である。
いまどきの女子とはややテイストが違うストイック肌で、休みの日は1人で古本市めぐりをするようなタイプ。
なんか、いいわ~。
cvが坂本真綾というのもポイントが高いし。
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さて、そろそろ作品の本題の方に入ろうか。
この「四畳半タイムマシンブルース」のユニークさをひとつ挙げるとするなら、それは
本編「四畳半神話体系」の世界観を微妙に自己否定してる、という点にある。
ちょっとややこしい話なので、説明をしよう。
まず、「四畳半神話体系」というのはパラレルワールド、すなわち分岐する世界線というものをテーマに描いた作品である。
主人公「私」が大学でどのサークルに入るかによって、その後のキャンパスライフが同時系列で様々な形に分岐する様子を描いたSFだった。
で、今回の「タイムマシンブルース」ではタイムリープ、時間遡行というのが新たな題材となる。
タイムリープは、やっぱSFの華だよな~。
SFのロジックとして、さらにややこしくはなるんだけどさ。
たとえば「タイムマシンによるタイムパラドックス」の一例として、昔からよく引き合いに出される「親殺しのパラドックス」。
タイムマシンで自分が生まれる前の時代に行き、そこで自分の親を殺したら自分はどうなってしまうのか?というやつだね。
SF的にその問題を解決したとされるのが分岐世界の考え方であり、それを図で説明するとこんな感じになる↓↓
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はい、上の図を見ての通りなんだが、「タイムマシンで行った先の過去」は既に世界線がズレており、もともと自分がいた世界線とは繋がっていないんだよ。
おそらく、タイムマシンで過去に遡った時点で既に世界は分岐してしまったものと推察できる。
だから行った先で親を殺そうが殺すまいが、もとの世界線には影響なし。
つまりタイムマシンには
・時間を遡る機能
・世界を分岐する機能
という2つの機能があるということなのよ。
いやいや、「バックトゥザフューチャー」では違うじゃん!
と言いたい人もいるに違いない。
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上の画では、「バックトゥザフューチャー」において「自分の母が父以外の男と結ばれるかも?」⇒「自分は生まれない?」となった時、マーフィの体は少しずつ透明化(消滅?)し始めたんだっけ。
このロジックだと、親殺しをすれば自分も即消滅する、ということになる。
そう、「バックトゥザフューチャー」のデロリアンというマシンは、時間を遡る機能はあっても、世界を分岐する機能は無かったということになるね。
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つまり、この作品では時間遡行による世界の分岐を否定してるわけさ。
世界線というのはタイムリープしようがあくまでも1個で、それ以外にないと。
まぁ、こういうのは机上の空論であり、どっちが正しいというのも特にないんだが(というか、タイムリープは実現しないというのが一番正しい真理だと思う)、「四畳半タイムマシンブルース」におけるタイムマシンはどっちのタイプか?というのがひとつの課題。
そこはよく分からないものの、少なくとも主人公たちはデロリアン型であると想定したみたいだね。
「過去に行って故障する前のリモコンを盗んできたら、本来故障するはずのリモコンが過去に存在しなくなってしまい、じゃ故障したあの出来事は一体どうなってしまうんだ?」
と皆が狼狽えてしまう始末。
さらにいうと、
宇宙の因果律に矛盾が発生⇒最悪、宇宙が消滅するぞ!
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と彼らは考え、大騒ぎになるわけです。
いや、もっと普通にSF的に考えりゃ、「リモコンの故障事件が起きない」という新世界線に分岐するだけだと思うんだけどね(笑)。
というか、前作「神話体系」であれほど分岐世界を経験してきた主人公が、なぜその考え方に至らなかったのか、という方が不思議である。
・・なるほど、
この「タイムマシンブルース」という世界線は、主人公が「神話体系」のくだりを全く経験してない、という分岐世界なんだな?
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そう考えると、一応のツジツマは合う。
だけどね、本作の一番のキモとなるポイントは、明石さんが最後のシーンで言うセリフの内容なんだよ。
「タイムマシンを使っても、過去は変えられないんじゃないかと。
たとえば、時間は1冊の本みたいなものだと考えたんです。
私たちはその内容を、いっぺんに知ることはできません。
一枚ずつ頁をめくって読むしかない。
でも、その内容そのものは、既に1冊の本としてそこにある。
遠い過去も、遠い未来も」
「でも、私たちは未来のことは知りません。
知らないということは、何でもできるということです。
つまりそれは、自由であるとも言えます」
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明石さんが言ってるのは、俗にいう「予定説」というやつだね。
キリスト教の神学思想である。
ポイントは、明石さんが「1冊の本」と発言してる点さ。
そう、本は1冊、すなわち世界線はひとつ。
そして本とは、途中で頁が増えたりはしないものである。
これが明石さんの考え方だとして、彼女はどちらかというと分岐世界否定派なんだろうね。
つまり森見先生は、「神話体系」では「世界は分岐する」という一方で、「タイムマシンブルース」では「世界は1冊の本」といってるわけよ。
いや、仮に「タイムマシンブルース」が「神話体系」の中における分岐世界のひとつだったとして、しかしここでも「私」⇔明石さんが結ばれるっぽい感じに物語は描かれている。
そのココロは、「どう分岐しようが行き着くところは大体同じ」、結局は「1冊の本」だということなんじゃないかな?
・・う~む、やはり「四畳半」は難しい。
まぁとにかく、「四畳半」シリーズをまだ未見の方は、是非「神話体系」⇒「タイムマシンブルース」という順でご覧になっていただきたい。
気に入れば、映画「夜は短し恋せよ乙女」も併せて見た方がいい。
これも「神話体系」同様、森見登美彦+上田誠+湯浅政明のトリオで、京都舞台のやつだから。
森見先生の作品って、見てるだけで気分が京大生になっちゃう(笑)。
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