あのピカソが絶賛した日本アニメを知ってますか?
皆さんは、「日本のアニメ賞」をどのぐらい知ってます?
私も全部を知ってるわけじゃないんだけど、ざっと挙げると
・文化庁メディア芸術祭アニメ部門1997年~
・日本アカデミー賞アニメ映画賞2007年~
・東京アニメアワード2002年~
・アニメグランプリ(アニメージュ主催)1979年~
・毎日映画コンクール アニメ映画賞1989年~
・毎日映画コンクール 大藤信郎賞1962年~
といったところだろうか。
見ての通り、最も歴史が古い賞は「大藤信郎賞」である。
なんせ、1962年からだからね。
同じ「毎日映画コンクール」内で1989年から「アニメ映画賞」が新設されて少しややこしくなってたが、どうもこの2つは統合されるらしく、次からは大藤信郎賞に一本化されるらしい。
・・うむ、ならばこれをもって、大藤賞は名実とも
「日本で最も歴史と格式のあるアニメ賞」
という扱いになっていく可能性も出てきたぞ。
上の画の通り、実は鈴木敏夫プロデューサーが
「(大藤賞を)高畑勲が欲しがってた」
と明かしてるわけで、これって結構意外でしょ?
あの高畑勲ですら、一目置くという大藤賞。
というのも、この賞は「攻めた作風」「芸術性」を評価ポイントにするクセがあるんだよ。
あ、ちなみに最新の受賞作品は「君たちはどう生きるか」(宮崎駿監督)で、その前が「犬王」(湯浅政明監督)ですわ。
さらにいうと、2020年受賞作品は「音楽」(岩井澤健治監督)だったわけで、これでこの賞のニュアンスを何となくご理解いただけるかと思う。
さて、ここで皆さんはこう思ったはずだ。
大藤信郎って誰やねん?と。
そうだよね。
日本史の教科書に載ってる人物じゃないから。
大藤信郎(1900年~1961年)
カンヌ国際映画祭短編部門2位受賞(1953年)
ヴェネツィア国際記録映画祭特別奨励賞受賞(1956年)
ウルグアイ映画祭入賞(1946年)
文化庁文化功労賞受賞
そう、東映動画や虫プロがアニメ制作を始める前からアニメ作ってた人なのよ。
開祖のひとりだね。
で、この人のエピソードで有名なのが、
あのピカソが、彼のアニメを絶賛したという話なんだ。
いや、ピカソのみならず、ジャン・コクトーまで絶賛したらしい。
・・それは、果たしてどんなアニメなのか?
言葉で説明するのは難しいので、まずは本編を見てもらおう↓↓
大藤信郎「くじら」(1952年)時間約8分
大藤信郎「幽霊船」(1956年)時間約10分
・・エグいw
なんか、ピカソが絶賛という意味がよく分かるわ・・。
私は大藤さんの人格まで存じ上げないけど、ぶっちゃけ、彼は人間の本質を穢れたものとして捉えてるんじゃないかなぁ?
どう考えても、これは子供に見せられる類いのアニメではない。
ただ、アニメ技法としてはなかなか興味深い。
これを見て「少女革命ウテナ」など、幾原邦彦作品を思い出した人も少なくないだろう。
これは影絵アニメーション(切り紙アニメーション)といって、とても古いアニメ制作技法である。
この時代って、アメリカでは既にディズニーがセル画アニメーションの旋風を巻き起こしてたと思う。
そのディズニー以降、もう影絵アニメなんてセル画以前の<旧時代の遺物>っぽいものになったと解釈すべきだろう。
いや、そのセル画ですら今ではもう使われておらず、ほぼ全部がデジタルに変わってるよね。
仮に現在のデジタルが「スマホ」、セル画が「ガラケー」だと解釈すれば、影絵アニメなど、もはや「糸電話」といったところかもしれん・・。
じゃ、影絵アニメというものは、そもそも無価値だったのか?
・・いや、断じてそんなことはない。
というのも、この影絵アニメの技法に目をつけた人物が他でもない、「日本アニメーションの父」こと、手塚治虫先生なんだから。
いや、手塚先生がアニメに憧れたキッカケそのものは、もちろんディズニーの方だよ。
断じて大藤信郎に憧れたわけではない。
実際、手塚先生は日本版ディズニーを目指したと思う。
だけど、彼も現実にアニメ制作を始めてみると、「想像以上におカネと人材が必要だ」ということに気付いたのよ。
そして、そのどちらも足りない、と。
でも、彼はそこで諦めず、「じゃ、作業を省略化すればいい」ということで開発したのが「日本式リミテッドアニメーション」。
それは、ディズニー式の1秒24フレームを諦め、1秒8フレームにする妥協に始まり、そして、もうひとつ重要なのは
「全部を動かさずに、パーツだけを動かす」
という手法に至ったこと。
これはまさに、旧時代の影絵(切り絵)アニメの手法に近い。
まぁ、この流れを分かりやすくいうと、
①ケータイっていいなぁ、欲しいなぁ
②・・うわっ、ケータイってそんなに高いの?
③よし、とりあえず糸電話を準備だ
というイメージにやや近いと思う(笑)。
ただ、それを見て
「お前ら、新時代のディズニーに憧れてたんと違うんか?
それがなんで逆に旧時代のアニメに回帰しとんねん?」
という感じで、当時の東映のアニメーターは虫プロのアニメのことを馬鹿にして笑ったという。
まぁ、確かに上の画みたく「全体はそのまま静止画、目だけを動かす」方が省力になる。
しかし、手塚先生が憧れたディズニーとは全くタイプが違うやり方。
この矛盾、先生自身がどう捉えていたかはよく分からんけど。
・・ただね、手塚先生が初めて作ったアニメは「鉄腕アトム」(1963年)ではなく、「ある街角の物語」(1962年)なんですよ。
見ての通り、ディズニーというより思いっきり大藤信郎テイストなんだわ。
実をいうと、前述の大藤信郎賞、その記念すべき第1回受賞作品というのはこの「ある街角の物語」なのね。
ある意味、大藤賞は虫プロの原点だということさ。
さて、一方で東映の方は一体どんなアニメ作りを志向していたのか、そこも見てみようか。
たとえば、この作品↓↓、皆さんは見たことありますか?
「安寿と厨子王丸」(1961年)
レジェンドアニメーター・森康二の渾身作のひとつといっていいだろう。
こっちは虫プロと違い、1コマ24フレームのフルアニメーションであって、そのモーションの綺麗なことは本当にハンパない。
背景の作画も芸術の領域だし、そもそも作画の文法が我々のよく知る「漫画から派生したアニメ」的じゃないんだよね。
むしろ、大和絵を動かしてるイメージだわ。
このへん、森康二さんの<匠>の技だろうなぁ
でもね、東映は虫プロの矛盾したアニメ作りを馬鹿にしたけど、実は彼らは彼らでまた別種の矛盾を内包してたのさ。
というのも、彼らはディズニー型のフルアニメーション技法を志向しつつも、その一方「ディズニーと同じことやってたら絶対に勝てない」と言い、敢えてその作風を「ディズニーが作りそうにないモノ」⇒和風/東洋テイストに絞ったわけだね。
その結果、この「安寿と厨子王丸」みたいな作品が生まれたわけだが、この作品、皆さんにも是非見てもらいたい。
正直ビックリするよ。
思いっきり鬱アニメだから・・(笑)
こういう言い方はあれなんだが、こいつら技法はディズニー形式のくせに、作ってる作品は、どっちかというと大藤信郎形式なんだわ(笑)。
この皮肉ともいえる矛盾構造、分かります?
<虫プロ>
アニメ制作技法は大藤信郎寄りの旧式でありつつも、作品の本質はディズニー寄りのエンタメ路線
<東映動画>
アニメ制作技法はディズニー寄りの新式でありつつ、作品の本質は大藤信郎寄りのウエットな芸術志向
皆さんは、どっちのタイプがお好きだろうか?
私はね、実をいうと東映支持派なんですよ。
そりゃ、当時としてエンタメの手塚作品の方が人気あったと思うけど、今の我々は腐るほどエンタメ作品を見てるわけだし、正直虫プロ作品に新鮮味はとりたてて感じないのさ。
でも、初期東映作品は、逆にめっちゃ新鮮!
だってこんなアニメ、今の時代には絶対にないもん。
・・いや、でもね、実は当時、東映社内でも「安寿と厨子王丸」には否定論が強かったらしいぞ。
エンタメがなさすぎる、と。
で、東映は1966年「サイボーグ009」を作るに至り、もうその時点で「東映の初期コンセプト」は終焉したと思う。
それは<リミッテッドアニメ><エンタメ路線>、ほとんど虫プロと同質になってた。
個人的には、あ~あ、という印象だけど。
「わんぱく王子の大蛇退治」(1963年)
じゃ最後に、古き良き東映の最高傑作ともいえる作品をご紹介しよう。
多分、このあたりがピークだろうなぁ。
だけどこれ、タイトルの付け方がダサすぎるのよ。
「わんぱく王子」って・・。
言っとくがこれ、スサノオが主人公の日本神話のアニメ化だよ?
そう、実写版では東宝が三船敏郎を主演させた超大作なんだが、実をいうとクオリティでは東映のアニメの方が遥かに上である。
ただ、東映はネーミングセンスで東宝に負けてるわ。
タイトルはシンプルに「スサノオ」でよかったのに・・。
とにかく、これは森康二、大塚康生らの作画力爆発である!
もうね、スサノオのみならず、アマテラス、ツクヨミも出てくるし、これは日本神話の学習教材として子供たちに是非見てもらいたいアニメである。
そして、やはり圧巻はクライマックス!
・・これ、ホントに1963年作品?と疑ったほどさ。
間違いなく、アニメ黎明期における最高傑作のひとつだろうね。
で、大事なのは、この作品は大藤信郎賞第2回受賞作品なんですよ。
ね?
大藤賞って、やっぱ重要でしょ?
なお「わんぱく王子」の下っ端スタッフには高畑勲もいたらしく、彼は本作の大藤賞受賞を見て、あぁ自分も将来は・・と思っていたのかもね。