「地獄少女」閻魔あいは、なぜ藁人形を渡すのか?
今回は、「地獄少女」について書いてみたい。
このシリーズの初回放送は、2005年。
ほぼ同じぐらいの時期に、深夜ドラマ「トリハダ」というのも地味に人気があったよね。
一応どちらもホラーなんだが、幽霊よりも人間の方がよっぽど怖い、というテーマが共通している。
微妙に、人間不信になりそうなホラー。
なぜ、こんなタチの悪いものが流行り始めたのかというと、やはりネットの浸透が大きかったと思う。
その頃に「2ちゃんねる」が爆発的人気となったところまではよかったんだけど、そこで我々が目にしたものは、ネットの匿名性を隠れ蓑にした、人々の悪意のぶつけ合いである。
当時、私はつくづく思ったよ。
ああ、人間の本質とは、こんなにも醜いものだったのか、と。
私の友人にも掲示板運営者がいたんだが、日々悪質な投稿の削除でめっちゃ大変そうだったね。
ネットによって、人々の悪意が明確に可視化されるようになった流れの中、「地獄少女」は時代に沿ったリアルなドラマとして評価されたんだ。
いや、もちろん皆さんも分かってると思うが、ネットに書き込まれた悪意が人間の全てだというわけじゃないさ。
・・たとえば、ある人物が何かスキャンダルを起こしたとしよう。
当然、ネットでは大バッシングが起きる。
ただ一方で、「このスキャンダル、そこまで叩く必要ってあるの?」と思う人たちも数多くいるはず。
ところが、ネットではそういう人たちの声がほとんど可視化されない。
思うに、これって熱量の問題でしょ。
ディスってやる!という悪意の熱量は、なんか可哀相・・という同情および良識の熱量を遥かに上回ってるものである。
だから、仮に悪意が日本全人口のうちのせいぜい2割程度だったとしても、ネット上では9割ぐらいの大多数にまで見えてしまうものなのさ。
こういうの、ネットならではのマジックだよね。
で、「地獄少女」はこういうネット時代を反映してなのか、依頼者はネットで呪いのアポイントをとるシステムになっている。
ついに、呪いもIT化の時代かぁ・・。
便利になることは、逆に恐ろしいことでもある。
よく考えてみてくれ。
本来呪いというのは、かなり強いモチベで、能動的な行動を起こさない限りは絶対に成立しないものである。
この画像のように、わざわざ人形や装束等を準備し、深夜丑の刻に神社まで行き、藁人形を樹に打ち付けるという作業は、生半可な覚悟ではできるものじゃない。
こんな常軌を逸した行動をとってまで人を呪いたいというのなら、もう我々も認めざるを得ないよね。
あと、学校のイジメにしても、テンプレでこういうの↓↓があるでしょ?
こういうのって、書く人はわざわざこれの為に早起きして、油性マジックや彫刻刀を準備して、一応は先生の所在位置を確認するなど安全面も考慮し、それなりの労力と神経を使うと思うんだよね。
筆跡が残るから大きなリスクもあるし、自身が犯人と発覚すれば内申に響くことも分かってるし、それでもこれをやるというのはそれなりの覚悟があるということだ。
私は、自身でリスクを引き受ける覚悟の上の行動は、それなりに認めたいと思う。
だけど、ネットはダメだ。
匿名に甘えて、リスクを引き受ける覚悟もなく、ただの衝動だけでイジメや呪いを実行できちゃう、そんなコンビニエンスは害悪以外の何ものでもないだろう。
いや、厳密にいうと「地獄少女」は「人を呪わば穴ふたつ」、呪いをかけた者は自ら死後地獄に落ちるという代償を背負っており、決して安いサービスではないんだけど。
とはいえ、自分の死後、そんな何十年先か分からない遠い未来のことより、とりあえず今の欲望を優先させちゃう、人間とはそんなもんですよ。
結局、この物語って誰得?
・呪われた者⇒地獄に行く
・呪った者⇒一時期スッキリするが、でも地獄に行く
・閻魔あい⇒地獄が盛況になり、彼女の評価が上がる
突き詰めると、閻魔あいのひとり勝ちか・・。
これは復讐譚なので、視聴者は「必殺仕事人」的な「被害者の恨みから悪人が成敗される」っぽいものを期待し、クライマックスにカタルシスを得ようとするんだが、でも実際はコレ、さほど爽快感がないよね。
なんか毎回、モヤ~っとした感じで終わる。
ヒロイン・閻魔あいは、ホントに謎めいたキャラクターだよね。
生きた人間ではなく、モトは安土桃山時代に恨みを抱いて死んだ実在の少女で、そのへんの過去は1期24話~26話あたりで明確になっている。
ただ、彼女自身は主体性のある存在じゃないんだ。
・依頼者に呼ばれたら行く
・依頼者が決断したら、呪いを実行する
呪いを成すのはあくまで依頼者であり、閻魔あいはただのシステム。
よって依頼を断るということもなく、それゆえ理不尽な執行も結構あるわけよ。
時には、善人っぽいのが地獄に流されたりもして・・。
閻魔あいは常に「決めるのは、あなたよ」と言い、自分はあくまでオーダーに従うだけの存在だというエクスキューズをもっている。
こういうところ、実に悪魔っぽいというか、「魔法少女まどか☆マギカ」のキュウべえみたいな立ち位置だな。
結局、「まどマギ」でキュウべえは何の為に魔法少女勧誘をしていたのかというと、確か「人間の感情エネルギーの収穫」が目的だったよね。
悪魔というのはそういうもんで、なぜか人間の負の感情を収穫したがるものなのよ。
閻魔あいも、そっち系だろう。
彼女の復讐代行は、正義の執行じゃないし、弱者の救済でもない。
そのへんをちゃんと踏まえておかないと、変にカタルシスを期待して「地獄少女」を見たら、きっと後悔することになりますよ。
地球上で「感情」を持つ生物は、おそらく人間だけである。
生態系の中で肉食獣は草食動物を襲うけど、そこに怨恨なんてないんだよ。
本来の生態系に、怨恨なんて存在しない。
怨恨が生まれなければ、そこには悪魔も生まれない。
ある意味、人間が生まれたからこそ、そこに悪魔が生まれたともいえるわけで、もっとシンプルにいうなら【人間=悪魔】かもしれないよね。
前述の通り、悪魔やキュウべえは感情を収穫するのが生業。
感情って、そんなに価値があるものなの?
まぁ、量子力学的な話をするなら、人間の「観測(意識)」が量子(宇宙を構成する最小単位)の状態を確定する要素だと定義されてるわけだし、その意識としてのMAX形態「感情」が無価値なものだとは確かに思えない。
こういう話がある。
ユング心理学として、生物の無意識というのは「集合的無意識」という形でみんなひとつの大きなライブラリーに繋がってて、仮にそれを「アカシックレコード」と名付けるなら、それは地球という一個の大きな生命体の知性、つまり地球規模の情報の蓄積体である。
そして我々人間は、そこに情報を供給する目的で生み出された、いわば地球の知性の端末なんじゃないか、ってね。
言ってる意味、分かる?
だから悪魔もキュウべえも、あるいは閻魔あいも、こういう感情収穫を促す存在って、突き詰めるとアカシックレコードの機能、すなわち地球そのものの機能とも解釈できるわけよ。
まあ、そういうややこしい話は専門の人にでも聞いてもらうとして(あまり私はそっち系に興味ないので・・)、あくまで私は「人間とは?」を考えるツールとして、この「地獄少女」をお薦めしたいんですよ。
ただし、これのイッキ見は控えてくれ。
そんなことしたら、心が病むから。
基本、一話完結型なので、用量としては一日一話が上限かな?
どれも似たような話が多く、正直全部は見なくてもいいんだが、前述の1期
24話~26話は閻魔あいのバックボーンとして絶対に押さえておくべき話だし、ここに出てくる柴田つぐみ(cv水樹奈々)という子は後の3期にも出てきたりして、結構重要な子である。
1期⇒柴田つぐみ
2期⇒紅林拓真
3期⇒御景ゆずき
4期⇒寒河江ミチル
とりあえず、上記4名の名前をインプットしてもらって、この子たちが絡むエピソードだけをピックアップして視聴する形で十分だと思う。
精神衛生を考えて、くれぐれもイッキ見しないように。
どうしてもイッキ見したい!という人たちには、次の視聴パターンをお薦めしたい。
①地獄少女1期
②ゆるキャン△
③地獄少女2期
④のんのんびより
⑤地獄少女3期
⑥からかい上手の高木さん
⑦地獄少女4期
⑧ご注文はうさぎですか?
・・多分、これで大丈夫だと思う。