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【献本】 『ゴースト・イン・ザ・プリズム』 感想

 この度、黒田八束様より新刊YA小説の『ゴースト・イン・ザ・プリズム』(HIBIUTA AND COMPANY 2024年)の献本をいただきました。素敵な御本をいただけて、とても光栄です。

 私は現在文系の大学生をしており、日常的に扱う文芸がどうしても古典や権威あるとされているものに偏っています。整然と並ぶ湿り気のある文章、とでも表現しましょうか。重く穏やかで静寂。私はそのような世界に浸っています。
 『ゴースト・イン・ザ・プリズム』は先にあげた形容とは全く違う作品と言えるでしょう。非常に力があり、瑞々しく、鮮やかです。本そのものに声があるような、生き生きとしたエネルギーを感じます。しかしそれは決して人を傷つけるものではありません。固く閉ざした自分の心の奥深いところまで入り込んで、そのあとそっと手を当ててくれるのです。「手当て」という言葉があるように、人に優しく触れてもらって和らぐ痛みもあります。私が思うにこの作品というのは、「手当て」の作品であり、主人公と同じような悩みや苦しみを経験しながら生きてきた人にとってのある種の救いをもたらすものだと思います。

夏休み、中学生のジュンは、ハチドリ型分身ロボットに乗り移った妹ミナと友達のザジとともに、急に亡くなった叔母・アンの住んでいた街へ出かけることに。
途中、死んだ人に会える『プリズム』のうわさを聞いて……。
閉スペクトラムの子どもの旅の物語。

同著のAmazonの〈本の概要〉より

 物語の舞台は、地球から遠く離れた星に人間が移り住んでいる未来です。主人公のジュンは自閉スペクトラム(ASD)の13歳であり、生活の中での苦悩が見受けられます。家族がジュンに対して「良かれ」として行ったことも、ジュンにとって大きなストレスなことも多々あるようで、家族とのコミュニケーションも探るようなものになっています。そんなジュンの支えは彼女の叔母であるアンでした。アンもジュンと同じ自閉スペクトラム(ASD)であり、ジュンは同じような感覚を持つアンにとても懐いていました。しかしアンは急に亡くなってしまいます。ジュンと彼女の妹のミナ、そして友達のサジはアンの家に行くことになります。彼女たちはその旅の中で「プリズム」の噂やアンの秘密を知っていきます。

 ところで皆さんはどんなところで「生きづらさ」を感じますか?おそらく「生きづらさ」を感じたことがない人は非常に少数であり、大なり小なり人はそれぞれ悩みがあると思います。そんな世界で自閉スペクトラムの生きづらさ、というものは、そうでない人にとって非常に理解がしづらいものだと思います。一番は人とのコミュニケーションの問題です。作中でジュンの会話はとても面白く描写されています。というのも、ジュンがいる時だけ会話のテンポが非常に悪いのです。これは実際の自閉スペクトラムの方でもよく見られる光景で、小説でこのピリピリ感というか絶妙な居た堪れなさをよく表現してあります。もし一切自閉スペクトラムと関わりのなかった人には、会話がすぐに躓くこの感じに困惑されるのではないでしょうか。しかしこの全てに悪意は全くなく、むしろ本人も悩んでいることもだということは、読めばすぐわかることです。読んでいる中でこのムズムズ感、みたいなものをジュンと一緒に感じられるという点だけで見ても、特異な作品だと思います。

でも、みんなわたしのほうこそどこか別の星に行くべきだと思っている。良い意味でも、悪い意味でも。

同著、本文より

 物語のはじめ、ジュンの視座を通してアンの頼もしさや輝かしさを読者は感じるでしょう。ジュンと同じ世界を知っていながらも、「あちら側」でも上手くやれる、豊かで余裕のある完璧な存在に見えます。しかし物語を追うごとにジュンと我々は、アンもまた「自閉スペクトラム」なのだと、そしてそれに苦しんだ1人なんだと気づかざる得なくなります。またアンの苦悩だけでなくミナやサジの悩みも通して、ジュンは「自分はどう生きていくか」を考えていきます。これは彼女自身の変容でも社会的な成長でもなく、彼女が彼女らしくあるために「自分とは何か」とどう社会と折り合いをつけていくかを模索するということです。ジュンの年齢はちょうど思春期であり、親から離れて友達と過ごしたり将来の進路を考えたりする時期です。要するに同年代の他の子は大きな一本道の時間軸のようなものを、まっすぐ歩み、その中で選択をしているのです。雑な言い方をすれば、社会の一員として社会に何かしらの貢献できるような大人へと歩み出しているのです。ジュンはそれをしていませんでした。この作品の、それで良い、とする姿勢はある種の人々に対しての最大の救いであり、祝福なのだと思います。


 黒田八束様はこの作品で自閉スペクトラムを含め、いくつかの「生きづらさ」を扱っています。私たちは誰かにとって「有用」な人間にならなければならないのでしょうか?阿部謹也から始まる「世間論」では日本の世間と社会が言及されています。日本は学校や会社という場では和を乱さない世間的な人間が必要とされる一方、建前的には何か特徴のある社会的な人間を欲します。しかし世の中には最初から世間が求める「和」の中に収まらないような人も、能力や特性が社会的に価値があると言われるものでもない人もいます。その人たちに「社会にとって有用になれ」というのは違います。なぜなら社会があって人間がいるのではなく、人間がいて社会があるからです。私たちはまず「ある」のであって、その「ある」を社会にとって有用か否かで変える必要はないのです。正直私は『ゴースト・イン・ザ・プリズム』を読みながらすごく「攻めて」いるな、と感じました。このような主張は、資本主義が進んだこの世界において、世間が強い日本において、攻撃的な意見にさらされるものだからです。近々のSNSで言えば車椅子ユーザー周りの問題とかですかね。このような「攻めた」どこまでも柔らかく優しい主張をここまで丁寧に書き上げたのは、本当に頭が下がる思いです。 




 私は『ゴースト・イン・ザ・プリズム』を「手当ての作品」と表しました。この作品は薬ではありません。歩みを進めさせる補助器具でもありません。かつて傷ついた人々の傷に手を当てて、今の人々に「誰かにとって役に立つ人にならなくてもいい」といってくれる作品です。どこまでも優しく、それでいて作者様の強さを感じる作品です。良い作品を読ませてもらった、と心から思いました。
 私は一応絵を描くので軽くではありますが、ファンアートを描きました。ジュンのこの先が少なくとも彼女にとって少しでも息がしやすいものだといいな〜と思います。

ファンアート

 『ゴースト・イン・ザ・プリズム』はHIBIUTA AND COMPANY様から出版された作品です。HIBIUTA AND COMPANY様のショップからご予約、ご注文いただけるそうです。また黒田様のご出席される文学フリマや書店のイベント等にも持ち込まれるそうです(詳しくは黒田様のX他SNSアカウントでご確認ください)。ぜひ皆さんも、御本をお手に取っていただければと思います。

 最後に、献本してくださった黒田八束様に改めてお礼申し上げます。この度は、素敵な御本を本当にありがとうございました。また何かありましたら、いつでもお声掛けください。これからもより一層のご活躍をお祈りしております。

黒田様 Xアカウント

HIBIUTA AND COMPANY様 Xアカウント

追記 2024.11.21.
現在Amazon、楽天でのこちらの本の注文ができないそうです。書き換え前にお読みくださった方に誤解を与えてしまってすみません。ご注文の際はHIBIUTA AND COMPANY様のオンラインショップをご活用ください。

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