短歌まとめ(2022年9月、22首)コメント付
#今日の短歌 でつぶやいた短歌のまとめとコメント。
コカローチことゴキブリさんがカサコソしている。今年はあまり見なかった。
たまに夢を見ることがあるが、夢の中の空が青空だったことはない。雨も降らないがいつも曇っている。
夜空の星の光は、何億年も前の恒星の光。地球でキャッチする雑音もこれまた永い時を超えて届いたもの。埋めきれない時間と空間の膨大さ。
この世で最も「読まれぬ本」は聖書だという。多くの人の目に晒されるものほど無視される量も多い。そもそも見られぬ詩は無視されもしない。
水洗トイレは下水道を通じて川や海と繋がっている。磁性に引き寄せられる磁石を用いることで、南極を釣り上げてしまおう。
平行である2線が、地平線にかかると交わって見える。それはもちろん錯視である。「いつか」遠い将来には平行線も交わるように思えても、それは錯誤でしかないかもしれない。
美術館で油絵などを生でみると、絵の具の塗り重ねなどから画家の絵筆の動きの軌跡が見えてくる(気がする)。絵が提供するイメージだけではなく、創作のプロセスまで鑑賞を試みると、また違った面白さに出会える。
わかりやすいものはわかった途端にさよならすることになる。わかりにくいものほど長いあいだ付き合うことになる。
意味もなく終点まで乗ってみるのもたまにはいいかも知れない。
自分は何かを作っているんだろうか、それとも取り繕っているに過ぎないのだろうか。自分のものかも他人のものかもよくわからないものを。
子供や孫が、「できる」ようになったことは、親や祖父母にとっては「大したこと」なのだろう。感動するって、そういうものなの。
世の中にいるようで、世の中はやはり「ある世の中」である。ほかの「世の中」というのもいくらでもある。それは「世の中」の外から語る視点だ。だから「世の中」を語る時に、それが「すべて」だと思わないことを心に留めておきたい。
ひとり山中でまれびともなく包丁を研ぐ老婆。自らの腹の中をひけらかすこともなく、声に応じる山彦もない。
〜かなで終わらせる歌が多いので、何度もカナカナ鳴いてみただけかな。
死は生の報酬であると誰かが言っていた。上乗せボーナスである満足が欲しい。終までには。
心は無尽蔵ではないから、心配のしどころを見誤らない程度には、手元に残して置きたいものだ。
キレイなものから汚いものへ。「耳」ずくと、百「舌」の対比はお気に入り。
タスクリストに追加して、しっかり処理する人には希望、追加したまま忘れる人には失望だろうか。
既に他人事の雑用に慣らされた脳は、繰り返しのなかで習熟する。AIが人の仕事を奪うなどという論点以前に、人が行っている既存の仕事はそもそも人の尊厳を奪っていないのか、という問いを忘れてはならない。
出来もしないことを詠んだほうが、優しげな歌になる気がする。
秋の夜長に虫の声。番を探す必死な声を、たまたま僕が盗み聴く。でも僕に向けられた人のどんな声よりも耳を傾けたくなる音なんだな。
吟遊への憧れ、あるいは流浪、漂泊のこころかも。人はみな異邦人だから。
かかれどもかけども遠き歌あわせかきつらねるほど離れゆくもの
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