ヤマブキに火をともす
令和7年1月最初の日曜日。
滋賀県多賀町河内にあるお寺へ、年に一度、観音様の御開帳をする「ようかさん(オコナイ)」に寄せていただきました。
本来、「ようかさん(オコナイ)」は1月8日ですが、今年初めて、寄る村の人々のご都合で、平日ではなく日曜日の5日になったそうです。昔は夜に行われていたそうです。
「昔は河内4集落から順にお参りに来はって、50人ほどお参りしはった」そうです。
和ろうそくに火をともす
午後2時過ぎから和ろうそくに火を百八本灯します。
下から順に火を灯していきます。
外はうっすら雪景色の寒い日でしたが、全部ろうそくが灯ると、火で部屋が暑いくらいになり、ストーブの火は消していました。
何故、ろうそくを灯すのかも、昔からしてきたことなので分からないとのこと。
昔は、山の上の方までダケ(畑)を作っていて、ごぼうやら、大根やら作っていたそうです。今でも山の斜面に土が流れるのを防ぐ石積がたくさん残っています。
雪深い集落。1mほど毎年雪が積もり、竹や木で作った手作りのソリやスキーでよく遊んだそうです。よく、落とし穴を作り、穴の上にカヤを敷いて、雪をかぶせて、上の集落のぼんさん(お坊さん)を落としていたずらしたんや。悪いこといっぱいしてきたわ、と、楽しそうに話しておられました。
家には囲炉裏があり、色々温めたり炊いたりしていたそうです。
上昇気流で、上のろうそくほど、減るのが早くて、上下入れかえながら約2時間灯していました。
灯芯は自分で作った?!
観音さんの前では、燈明がともされていました。
カワラケに油が注がれ、灯芯に火がともっています。
「昔はな、灯芯も自分で作ったんやで」と聞き驚きました。
「山にヤマブキが春になったら咲くやろ?花が咲いた後にな、茎の髄(ズイ)をとって灯芯作っとったんやで」と。
ヤマブキを山の蕗と聞き違えていて、おかしいなあ・・・。フキは芯が空洞なのに??と・・・。春に花が咲いてそのあと茎を取る・・・??
ヤマブキ違い
帰宅して、調べていたら、「灯芯・ヤマブキ」で出てきました。ヤマブキ違いで、山の蕗でなく山吹色の山吹でした。
灯芯の材料はイグサが一般的のようですが、昭和初期までは山吹の灯芯が存在したとあります。
お話くださった方は昭和20年代生まれの方。その方の記憶にあるので、昭和30~40年頃までは作られていたのでしょうか。
ちなみに、写真の灯芯は「仏壇屋で買うてきたもんやけどな。」と。
燈明油はどんなものを使っているのですか?と伺ったら、「サラダ油やで!」と。
河内の一番奥のこの集落では、1月にお寺だけでも行事が3つもあるそうです。8日と16日と28日。今は、行事をまとめて8日にすべてされるそうです。
お餅や、栗、干柿、酒粕をお供えし、村の方々の軒数に分けて暗くなる夕方には、この村を出て帰られます。
ヤマブキの灯芯に火を
住民票は置いておられますが、住んでおられる方は今は無く、行事を世話される一番年下の「スソ」も町外に住む50代。次世代の若い人は興味が無いから(負担もかけたくない・・・)。と言われ、また、ここに住んでおられないので、新たに村入りする人もおられません。
和ろうそくを灯し続け、いつか、山吹の灯芯で火を灯してほしいなあと思います。