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原点としてのロンボク島バヤン村

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30年以上前から交流が続くロンボク島バヤン村。今回のインドネシア滞在中に何度訪れることができるか。
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#インドネシア生活

ロンボクの織物の市場価値

うちのダイニングチェアはデンマークのヴィンテージ家具である。20年ほど前に購入したものであ…

伝統的な穀倉ゲレンの存続

先日、アグンさんから論文のドラフトにコメントを求められたので、インドネシア語ながらも、De…

ロンボク島の山奥で歯が折れた話

10月29日午前中、家のテラスで作業をしていると、Kさんが家の中から出てきて、滑って顔を強打…

インターネットというより、スマホが村を変えてしまった

インターネットが普及しはじめて、私がプロバイダーと契約したのが、1996年の初めだっただろう…

自分たちのルールで伝統を守る

今日は朝からグマンタールGumantar村へ。カヤンガン区役所のコミュニティ・サービス担当責任者…

幸せとは何かを考える旅

日差しが強く、暑い毎日が続く。ジョグジャにいる時よりも、ここバヤン村の方が格段に暑い。実…

しがらみの世界:ムラに泊まることから見えるもの

ムラに行く時には、ムラの人の家に泊めてもらっているが、それは32年前からずっとそうである。 最初にロンボクのバヤン村に泊まった時は、バリのカランガセム王宮で紹介状を書いてもらった覚えがある。バリの東に位置するカランガセムの中心にはかつての王宮があり、都市調査とともに王宮の調査に訪れていたんだと思う。32年前のことなので、記憶は曖昧だ。 王宮の所有者は、かつての王の末裔であり、現地の議員を務めている方だったと思う。バリにはかつて王国が7つか8つかあったはずだが、クルンクンや

災害の復興インパクト調査なんだけど、、、

今週末から1週間ほどロンボクへ行く予定である。調査テーマの一つはこれまでも行ってきた、20…

観光は必ずしも地域に活力を与える魔法の杖ではない

来週、バヤンに訪れる予定だ。マウリッドが18日19日に行われるとジャナから連絡があった。イス…

バヤン散策

9時にマタラムまで迎えにきてもらって出発。村に着いたのは昼11時過ぎであった。食事の後、…

スンバゲ村の存在を知る

マウリッド・アダット・バヤンをみにバヤンに来た。18日19日が本番であるが、前日の17日は16時…

神社のお祭りをロンボクで感じる

マウリド・アダット・バヤン初日 初日はカラン・バジョでの米つきの儀式である。ガムランがな…

儀礼の意味

マウリド・アダット・バヤン2日目 2日目は、それぞれのルーマー・アダット(慣習法の家/始…

チョベ・バトゥ(石のすり鉢)を買う

バヤン村2日目の夜だったか、テラスでブルム(地酒)を飲んでいた時に、周りにいた子どもたちが、チョベ(すり鉢)でサンバルのようなものを作り始めた。何をすりつぶしていたのか、酔っ払っていたこともあって、もう忘れてしまったが、マンゴーとあえるサンバルのようなものである。 うちのチョベは、近くの市場で買った400円のものである。何度もサンバル作りやブンブ・クニン(黄色い調味料)作りのためにチョベを使っているが、なかなか上手くすりつぶされてくれない。唐辛子の皮やバワンメラ(赤い小さい