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自分たちのルールで伝統を守る

今日は朝からグマンタールGumantar村へ。カヤンガン区役所のコミュニティ・サービス担当責任者であるラデン・サウィンギ氏に9月に訪れた時から調査の段取りお願いしていた。カヤンガン区はバヤン区の西隣の区であり、いま泊まっている家のお父さんはカヤンガン区長の秘書官でもある。

お父さんに連れてってもらおうとお願いしたが、今日はタンジュン市に朝から用事があって行かないといけないらしくて、車で連れて行くのは無理だとのことであったが、タンジュンにはバイクで行くので車は使って良いとのこと。色々と検討して、サウィンギ氏に運転してもらい出発することになった。

まず区役所へ。そこでグマンタールへ向かう運転手を確保して、村へと出発した。村の事務所の前で村長に挨拶した。その後、村へと向かう。村の入り口で村の人と話をして、ガイドを一人つけてもらって入ることになった。

今回訪れたのは、グマンタール村のデサ・ブレと呼ばれる住区である。彼の案内で中心部を歩いた。中心部に入るには、正装が必要であった。事前情報があったので、用意済みであったが、その場で借りることもできるらしい。腰に巻くサロンと、頭に被る鉢巻sapukをして中心部へ向かった。

入り口の看板

中心部は5つのエリアに分かれている。それぞれに別々の社会や伝統の規律を担う人たちが居住しており、この5つはタウ・ロカク・リマtau lokaq limaと呼ばれている。

信仰に関する儀式や伝統の継承を担当するプンフルPenghulu、自然に関する慣習行事を担当するプマンクPemangku、割礼行事の実施を担当するラデンRaden、慣習法の適用に問題が生じた場合に調査を担当するトゥルンTurun、慣習法に関する紛争の調停や裁判を担当するプムクルPemekelの5つである。

プンフルは、葬儀menukang、故人のためのtahlil(祈り)(nelu/3日、mituq/7日、nyiwaq/9日、matangpuluh/40日、nyatus/100日、nyiu/1000日)など故人に関連する行事や、taek berat(ラマダン月を迎える行事)、nyyedekah(大収穫祭)、災害から村を浄化する行事(bersih desa)、 預言者ムハンマドの誕生日を祝うムルド・アダット、レバラン・ロカークなど、人々の生活に関連する儀礼の指導を通じて、伝統の継承に関わっている。

プマンクは、この集落で最も神聖な行事であるpegaweq gumiを担当する。村を浄化し、災害を避けるための儀礼である。他、トウモロコシの収穫に対する感謝を表す儀礼ngaturang jagungや、慣習林の中にある建物Bale Pawangの修理など、自然との関係を調整する儀礼をつかさどっている。

ラデンは、割礼行事を担当する。割礼の儀礼の開催時期は特定されているわけではなく、それぞれの住民の意思で決定される。実施に先立って行われる割礼儀礼の周知の活動pesilaanもラデンの任務であり、割礼行事全体に対して責任を持つ。

トゥルンは慣習的なルールの違反に関する調査実施の役割を担う。例えば慣習林の伐採は慣習法違反であり、その旨報告があったり、トゥルン自身が見つけた場合は、その報告の真偽を確かめるための調査を実施する。違反が事実だと認定された場合は、違反した者に対して、罰金や贖罪のための供物の提供などの制裁を科す。その際、その制裁に不服がある場合は、プムクルに申し出ることができる。

プムクルは紛争に対する調停や裁判を行うわけであるが、その機関は慣習法廷Mahkamah Adatと言われる。その裁判の場所には2つのブルガが当てられている。ブルガ・スランガンBerugak Selanganとブルガ・スクネムBerugak Sekenemである。裁判の場合には、タウ・ロカクの5名と加害者・被害者、両当事者の家族、場合によっては他の住民が参加する。家族やその他の住民は裁判の証人となる。

ガイドとともに中心部を歩いたが、ほとんどの場所は見せてもらえたが、プマンクのエリアには入ることができなかった。今日は儀礼のための準備をしているとのことであった。実際、3時過ぎから集落の中心部で儀礼が始まり、中心の建物があるエリアも入ることができなくなった。

村の中央にある建物はバレ・プガランBale Pegalanと呼ばれる。村で初めて建てられた建物とされる。住居の機能は持っておらず、建物の中には特別なしつらえは何もないという。

バレ・プガラン。始原の家

人一人が這って入ることができるような入口が一つあるだけである。集会の場として使われるという。

守るべきルールは慣習法によって規定されている。慣習法アウィク・アウィクawik awikで禁じられているのは大きく3つある。

一つは、相手を非難し侮辱すること、一つは、窃盗、慣習林の木の伐採、慣習行事の秩序違反であり、一つは、嘘をついたり、人を欺いたり、他人に危害を加える行為である。

有罪となった際に科される罰が興味深い。

侮辱の罪の場合の罰は、供物の提供である。米料理アンチャックancak、ジャックフルーツのココナッツミルク煮、餅米のデザート、鶏肉の野菜スープ煮を供物として罪の償いをするとのことである。罪の程度と違反が行われた月によって、必要となる米料理の数が変わるという。窃盗の場合は、罰として古い貨幣の提供が科せられることもあるという。

今回訪れた際に、この貨幣を見せてもらったが、以前にバヤン村でも見たことのある中国のコインであった。以前のヒアリングでは、伝統的な住宅を建てる際に柱の下にこのコインを埋めるとのことで、家に財力が宿るように祈念するためのものだという。

中心部にある40棟近くの住居やブルガは、かつての状態で維持することが決められており、家族が増えることで新たに住居を建てる必要が生じた時には、この5つのエリアの外に建てている。中心部には電気は通っておらず、夜は植物性の油に火を灯して生活する。

収穫したカカオ

今回は半日のみの滞在だったので、十分な時間が取れなかったが、デサ・ブレのすべての建物の写真撮影を行った。周辺部は2018年のロンボク地震以降の建物がほとんどであった。従前の状況はわからないが、地震で被害を受け、建て替えられたという。

ガイドの彼は24歳で、東ジャワのパレ村で英語を勉強したという。両親は中心部の伝統的な住居に住んでいるが、周辺部にももう一つ住居があり、彼は基本的にはそちらで生活しているという。儀礼など村の行事の際には、伝統コミュニティの一員として行事に参加する。

木造・茅葺の伝統住居が建ち並ぶエリアと、近代的な材料で建てられた住居が建ち並ぶエリアが明確にわけられ、相互に行き来することで、伝統的な生活習慣や儀礼を維持しつつも、いまの生活を送ることができる仕組みが出来上がっている。若者たちも都市部に出ていくことなく、集落に住み続けている。

興味深いのは、その選択が行政や外部から言われて行われたのではなく、自らの選択として行われていることである。慣習法の遵守や儀礼の伝統の遵守が自らの仕組みとして内在している点が非常に興味深い。

継承されているのは、自然環境、建築、伝統儀礼、伝統行事、生活習慣など様々であるが、その中には慣習法の強い拘束を受けることで継承されているものもあれば、慣習法には記載はないが、彼らの意識や相互認識にもとづいて継承されているものもあるだろう。それらの詳細を知ることができれば、自分たちの判断として伝統を継承する際に、どのような方法がありうるかを検討する貴重な資料になると思う。

行政的なルールによって拘束する伝統継承とは異なる、自律的な伝統継承の方法論につながる可能性がある。241029

https://doi.org/10.24036/humanus.v19i2.109877

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