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スンバゲ村の存在を知る

マウリッド・アダット・バヤンをみにバヤンに来た。18日19日が本番であるが、前日の17日は16時から行進があるとのことで、メインの道路をうろうろしていた。時間になってもいっこうに始まらないので、モスクの前の土産物屋に行ってみた。カラン・サラに住むラデン・スウィンギが書いたバヤン村の歴史に関する本がここで売られていると聞いたからだ。尋ねてみると、ここでは売ってないので、彼の家に行けと言われた。近くにいた親戚の子に案内してもらって、家に行ったが、案の定、いなかった。

夕ご飯を食べた後、テラスでまどろんでいると、彼が来てくれた。確か2016年にSesait村とGumantar村を案内してもらった時に会って以来である。初めて知ったが、どうやら、この家の主人と職場が一緒らしい。色々話をする中で、森の中で伝統を守る村が近くにあるから連れて行ってやろうという話になった。Sembagek村という。ここから20分程度で行けるとのことである。森の中に切り開かれた村で、現在も電気や油で揚げる料理などを拒否した生活をしているという。住居は、バヤンのような高床のイナンバレを家の中に持つ形式ではなく、かといって南部のサデ村のような住居の中に1m近い土壇を持つ形式でもなく、ブギス族のような家全体が高床の住居である。

ネット検索で調べてみると、集落内の家々は、リンジャ二山を意識しながら、南北方向に並んでいる。集落は緩やかな斜面に設けられ、南西端にカンプが配置されている。バヤン村と同じ形式の木造モスクのあり、マウリッドなど年に数回の儀礼の際に使われるという。高床の住居と6本柱のブルガとで住居が構成されているようである。

バヤン村を中心としたロンボク島北部には、バヤン文化圏のようなものが形成されていて、行政的にはバヤン村ではないが、スサイ村、グマンタール村、スンバゲ村もバヤン文化圏の集落と言える。

リンジャニ山をもとにした方位観、住居とブルガの並行配置、儀礼の場であるカンプの存在が共通しつつも、住居の形式はそれぞれ異なっている。アニミズムをベースにした基層文化と15世紀に伝えられたイスラーム教、その際に同時に伝えられたと考えられるジャワのクジャウェンの影響を見て取れる。ロンボク全体でいうと18世紀初めのバリ・カランガセム王朝のロンボク侵攻の影響で西部を中心にバリ・ヒンドゥーの影響を見ることができる。今後、現地調査を継続的に行い、それぞれの集落の状況を相互に比較しつつ、住居・集落の構成原理や地域性の形成について検討を深めたい。240917

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