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儀礼の意味

マウリド・アダット・バヤン2日目
2日目は、それぞれのルーマー・アダット(慣習法の家/始原の家/伝統住居)での料理づくりから始まる。予定表には7時からとあったが、なんとなく8時9時ごろから始まる感じだろうか。私の住まいのある東バヤンでは、山羊2頭と鶏5−6羽が処理されつつあった。前日の夜にカンプの入り口の区画のブルガに山羊2頭がつながれていたが、朝にはいなくなっていた。肉に手を加えるのは男性の役割である。カンプの釜屋前に2つのブルガで作業が行われていた。5−6人の男性によって手際よく山羊が解体されていた。女性は、カンプの中の伝統住居のある区画で、住居のテラスでの作業である。こちらでも5−6人の女性が野菜の下ごしらえの作業を行なっていた。確認できなかったが、西バヤン、カラン・サラ、カラン・バジョそれぞれのカンプで調理が行われているはずである。

東バヤンの調理の様子を確認した後、カラン・バジョに向かった。米を洗う儀式を見るつもりで行ったが、始まったのは屠殺の作業であった。牛3頭と鶏何十羽がカンプ前の広場で対象となった。山羊も30頭前後はいたと思われるが、カンプの中から出てくることはなかった。これらは男性の仕事である。実際に手を下すのは、白装束の3名であった。カンプの向かって右側のブルガに座って時を待っていたようである。準備がととのうと、刃物を洗い流す水の入った壺を持つ人たちと列をなして、広場にやってきた。牛は、それなりに厳粛な感じがあったが、鶏の方は機械作業である。次から次へと処理済みの鶏が白い袋に放り込まれていった。

終わったのが12時過ぎだっただろうか。しばらく待ってみたが、何も起こりそうにないので、昼食のために家に戻った。残念ながら、その間に米を洗う儀式が行われていたという。ここからは文献の情報である。川は500mほど離れたバイソン・セガ川(ロコック・マサン・セガの泉)である。伝統的な衣装を身にまとい、足は裸足で、米が入ったカゴを頭の上に載せて川に向かう。川に到着すると、女性たちはまず手と顔を洗う儀式を行う。身を清めた上で、米を清める作業を行う。

この川の場所や川へのルートは重要だと思っていたので、是非とも記録に収めたかったが、残念である。アトマジャヤ大学の学生チームが撮影したとのことなので、そのデータで我慢しよう。儀礼の場所は、地域の将来を考える上で重要である。日常的にはなんでもない川であっても、儀礼の際に洗米の場になるということは、その集落の歴史にとって大切な場所であるということである。集落からのルートや、道から川へと降りる通路や、手と顔を清めるための場所や、米を清める場所は、儀礼が繰り返されるたびにその重要性が繰り返し認識される。日常的にはその重要さは目に見えないが、儀礼の時には、その場の潜在的な価値が現れるのである。

3時以降はマウリッド・アダットのメインの行事になる。西バヤンのカンプで準備の作業が行われる。カンプの北側の区画の西側のブルガ(向かって右)で行われる。ブルガの山側が上座として意識され皆が着座する。山側の上部に梁と梁にかけるように白い布が設置される。儀礼の場として位置付けるための仕掛けである。その後、モスクの中での食事の準備に入る。皿いっぱいのご飯と、(定かでないが)鶏とココナッツのあえものとサンバル(これも定かでない)がバナナの葉の包みにまとめられ、竹で作った運搬道具に載せられる。手際よく作業が行われる。

次は化粧の時間である。西バヤンとカラン・サラからは茶色とピンクの伝統服と白のサロンを着用した男性が、女性の象徴として、東バヤンとアニャールからは黒の伝統服と赤いサロンを着用した男性は、男性の象徴として、ブルガに着座している。女性の象徴の役割を果たす男性は、花飾りを髪につけられたり、ターメリックなどを混ぜたオイルを身体に塗られ女性としての役割を与えられる。彼らは貴族の末裔として認識されるとともに、男女のシンボルとして認識される。

その後、モスクへの行進である。モスクへの近道である北側の出口からは出ずに、カンプから南に抜けた後、東に曲がり、メインの道路に出て北に向かう。道路からモスクへは、通常の観光客が使う階段を用いずに、手前の(南側)階段を降りて進む。モスクの周りは大勢の人である。行進を追おうにも人が多くて追えなかった。一行は、白い布で覆われたモスクの内部へ入っていった。中の様子は外からは伺うことができない。プマンク、プンフル、キアイなどの宗教指導者によって、祈りの儀式が行われた後、用意した食事を皆で食べる。

カンプもモスクもいつもは静かな場所である。子どもたちが遊んでいたり、鶏が走り回っていたりはするが、特に使われることない場所である。カンプは、ルーマー・アダットとブルガの区画と釜屋の区画、いくつかのブルガが置かれる区画の3つで構成される。今回の儀礼では釜屋の区画は儀礼の日の料理のための作業の場として重要な場となる。西バヤンではブルガの区画がマウリッドの中で重要な役割を果たしていることがわかる。また、モスクも日常的な礼拝の場所としては機能しておらず、日常的にはただ静かに丘の上に立つのみであるが、年に1度のマウリッドの際にはその中心舞台として機能を果たす。

場を設定する際の白い布の使い方も面白い。西バヤンのブルガでの準備の際に梁に架けられた白い布や、モスクの内部に多用された白い布である。加えて、供犠の担当者が白い服を着ている点も興味深い。定かではないが、場のヒエラルキーを高めるための材料として白い布が、モスクのできた16世紀から使われていた可能性もある。

何よりも社会組織の統合を果たす役割を儀礼がになっている点も指摘できる。カラン・バジョ、カラン・サラ、西バヤン、東バヤンといったモスクを中心とした4つのエリア、加えて北側少し離れたアニャールが、それぞれ役割を与えられながら、儀礼全体が構成されている点が興味深い。相互の連携を促進、確認する場として1年に1度のこのマウリッドが機能していると言える。240919
https://doi.org/10.24114/jk.v20i2.45638


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