自分が自分である証明『代体』
こんにちは、石川由弥子(ゆみこ)です。
私は少しSFが苦手なのですが、山田宗樹先生の作品に出会って、こんなにもSFが面白いものなのかと気づきました。
今日は、読まず嫌いを克服したきっかけになった、山田宗樹さんの小説『代体』をご紹介します。
こんな人におすすめ
SFが好き / 「あの人と脳みそが入れ替わったらいいのに…」なんて考えたことがある / 風邪を引いて寝込んでる時に自由に動き回れる体が欲しいと思っていた
『代体』のあらすじ
近未来、日本。そこでは人びとの意識を取り出し、移転させる技術が発達、大病や大けがをした人間の意識を、一時的に「代体」と呼ばれる「器」に移し、日常生活に支障をきたさないようにすることがビジネスとなっていた。大手「代体」メーカー、タカサキメディカルに勤める八田は、最新鋭の「代体」を医療機関に売り込む営業マン。今日も病院を営業のためにまわっていた。そんな中、自身が担当した患者(代体)が行方不明になり、山の中で無残な姿で発見される。残される大きな謎と「代体」。そこから警察、法務省、内務省、医療メーカー、研究者……そして患者や医師の利権や悪意が絡む、壮大な陰謀が動き出す。意識はどこに宿るのか、肉体は本当に自分のものなのか、そもそも意識とは何なのか……「科学が倫理を押しつぶす世界」を描いた、「百年法」を凌駕するエンタテインメントがここに誕生!
(『代体』あらすじより)
『代体』のおすすめポイント
自分を自分たらしめるものの正体
本作は、今後ありえるかもしれない未来が舞台。事故や病気で体の治療が必要になった時に、代わりの人造人体の中に意識を移すことによって、治療に伴う苦痛や不自由から解放されて生活ができるというもの。そして、治療が終わった際に、意識を元の体に戻して完了というわけです。
肉体は魂の入れ物に過ぎない
ここでのポイントは「永久的に代体の中にい続けることができない」ということ。代体の脳デバイスや人口筋肉が消費するエネルギーは30日分しか持たないからです。
また、「代体」から「代体」への移動はできない、というのもポイントです。これはつまり、例え「代体」の中に意識があったとしても治療中に何なかの原因で肉体が死んでしまった場合は「人間の死」という意味になるのです。心は死んでいないのに、肉体が死んでしまったら、本当に死んでいることになるのか…?
高度な技術を持ちながらも、「死」の定義が現代と同じ。これが本作の面白いところです。
当然、長く生きながらえたい人もいるわけで、「代体」に伴う犯罪も増えてきます。「代体」の中に意識を移した後、30日のリミットがきてしまった場合、秘密裏に別の「代体」に意識を移したり、生身の人間の意識を勝手に抜いてその中に別の意識を移したり…。そうなった時、「自分」が「自分」である証明は一体どうやってできるのか? 永遠に解けない謎を私たちは投げられているのです。
我思う、故に我あり
科学技術が進歩して、本当にこのような技術ができてしまったとしたら。便利な一方で、強固と思っていた「自分」という存在がとても頼りないものだということに気づきます。便利なものこそ、諸刃の剣。人は欲深い生き物だから、技術を間違った方法にも使ってしまうもの。利権争いはいつまでたっても無くならないですよね。
他人に「自分」が「自分」である証明をするのは確かに難しいかもしれません。しかし、「我思う、故に我あり」。意識そのものや意識する自分の存在は、疑うことができないのです。人類が意識という禁断の領域に踏み込んだとしても、自分は自分の体で今ある生を精一杯生きようと改めて思ったのでした。
では、また〜