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道について

20年近く前、私は田舎から上京し勤労学生をしていた。
昼間はフォトストック会社に勤務し、夜は専門学校で写真や映画を撮っていた。

フォトストックというのは、主にデザイナーなどがデザインの材料として使用するための写真画像を「ストック」し、依頼に応じて提供するという仕事だ。

現在はオンラインで画像データでのやりとりが当たり前になっているが、あの頃はポジフィルム現物でのやりとりが主流だった。

デザイナーから電話やファクシミリで依頼がくる。「XX市XX公園の桜(8分咲き)」「XXヶ月の男の子の赤ちゃん、ハイハイをしてこちらを見ているポーズ」「20代の男女が喧嘩をしているイメージ」などなど。
そして何万枚とあるストックからこちらが任意で、もしくは物理カタログの指定品番からピックアップして、直接お届けする。
……そんな仕事をしていた。

私が選んだ写真を使ってデザインされたものが、トラベルミステリの表紙になり、おむつのパッケージになり、週末の折り込み広告になった。
なかなか楽しい仕事だった。

さて、今では考えられないが「ポジを持って電車に乗り都内中のデザイン事務所を訪問する」という仕事。
まだ上京したての私の地図帳は、あっという間に付箋だらけになった。
時は大江戸線全線開通から間もなく。(汐留駅はまだなかったが)
上京してから俄に電車好きとなり、大好きな大江戸線沿線に引越すような私にとって、東京の地下鉄を縦横無尽に乗り尽くし、街を歩き回る仕事は楽しくて仕方なかった。

東京の道はおもしろかった。
つい最近まで海だった土地が街になっているのは有名な話。江戸の数度にわたる大火、大政奉還からの第二次世界大戦、そしてオリンピック。幾度もの大きな転換を経て、道が何度も作り替えられ、そこに住宅街ができ、おしゃれなビルの横に民家があり、行き止まりがあればそこは住人の花畑になっていた。
京都のように四角く規則正しい街は少なく、主に皇居を中心に道が放射状に広がり、その線をぐるぐると道路や線路が環状に繋ぐ。

CLAMPなどを田舎で読んで育った私にとって、そこはリアルな「魔法陣」だった。
暇さえあれば、延々と地図帳を読み込んでいた。

地下鉄同士が上下に交差しているのも魅力だった。
身近な地理といえば河岸段丘と盆地と豪雪地帯。そんな私にとって、地下で鉄道が立体交差しているなど、もはやSFであった。
当時、旧営団地下鉄の公式サイトにあった大江戸線の運行グラフィックアニメーションを何度も見て、好きすぎて、大江戸線内で8ミリフィルム撮影までした。街と道がとにかく面白かった。

そのような好奇心とマニア心を刺激する毎日の仕事で、気付けば地下鉄をほぼ覚えてしまった。
良く歩く早稲田から青山、表参道、築地周辺、恵比寿界隈など、身体が道を覚えていた。

まだガラケーでささやかな乗換検索ができた時代(メールで駅の名前を送ると案内がリターンされてくる仕組みなどもあった)。
体で覚えた方が早い。

案内ではここで乗換と出るけどめっちゃ歩かされるから遠回りに見えるこっちの駅で降りる。
そんな知識を人に聞いて、自分で歩いて、覚える。
地図帳には「地下鉄のホームから地上まで何分かかるか」など、載ってはいない。

今ならNAVITIMEやGoogleマップでサッと出る。とても便利になった。

だから、道を覚えて乗換も覚えてしまったのは、きっと時代のおかげでもあった。

さて、私は5年ほど前に大阪府へ引っ越してきた。毎日同じ場所に出勤して、それきり外出のない仕事をしている。

また街を一から覚え直しだな、と意気込んで5年。

毎日乗っている阪急以外、全くわからない。

もちろん、街並みも頭に入らない。どこの駅とどこの駅が歩ける範囲なのか、どころか、地名と場所の一致がやっとかなうようになってきたばかりで、歩いたことのない街ばかりだ。

いや、歩いたことのある街は増えている。
その片手にはiPhone、画面にはGoogleマップ。
目的地を入力し、青く塗られた道を歩く。
矢印が私の背中を押して正しい道を正しい速さで歩かせる。
私は間違えずに初めての街を歩き、目的地にたどり着く。
ここにくるまでに、どんな店があるのか、一つ前の曲がり角を曲がってみた先になにがあるのか。目的地までの目印を何ひとつ知らなくても、私は大阪を歩ける。

「おねえちゃん!」
大阪の人は全員親戚か?という距離感で話しかけてくれる。
「はい?」
「スマホばっか見て歩いとったら、」
歩きスマホお叱りおじさまかな?
「おもんないで!」
「あー……ほんまやね」
おもんない、ほんまに。

「道について 2021-04-08」

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