杳 芽具見
毒にも薬にもならない。
※スマホからはアプリよりブラウザ閲覧がおすすめです /赤外線写真を主に、ただの白黒写真もあります / デジタルカメラにフィルター(R72)を付けて撮影した赤外線写真シリーズ/主に樹々や植物の自然風景/制作・使用のご依頼はご相談ください/禁無断流用、無断使用
日常以上・怪談未満の掌編小説集。土岐という男と里見という男の日常奇譚。そこに少しちがう何かがある。お好きなものからお読みください。
げん‐がく【×衒学】 読み方:げんがく 《pedantry》学問や知識をひけらかすこと。ペダントリー。 (引用:https://www.weblio.jp/content/%E8%A1%92%E5%AD%A6) 衒学的という言葉をだいぶ幼い頃に覚えた。 本を読むのが好きで、調べることが好きな子どもは同年代の子どもよりも知識がある。「なんでだろー」の声に耳を傾け「それはね、」と説明する。あの子は色んなことを知っているねと言われ、授業内容から雑学までみんなに質問される。そして
水を遣り過ぎてはいけない。根腐れを起こしてしまう。土の表面が乾いたら霧吹きで葉に水をやればいい。冬は枯れたように見えるが、そう見えているだけだ。幹を押して柔らかくなっていなければ、生きている。屋内にいれて陽の当たるところにおいて、一週間に一度程度、全体に霧吹きで水を与えるだけで良い。 そう聞いていたのに、また駄目にしてしまった。 毎日、世話をしていないと不安になってしまうのだ。 虫はついていないか、色艶は悪くなっていないか、異臭はしないか、水は本当に足りているのかー
二つ足音が山野をめぐる。 ひとつ、ふたつと数えて歩かねばならない、見える数、聞こえる数は変化する、しかし常に、ひとつ、ふたつ、それだけを数えなければならない。まやかされてはならない。 そうして里見と土岐は野を歩き、気付けば山の端を辿っていた。 霧雨が肌を覆う。虫よけに藍の風呂敷を被ってきたが、それもすっかり濡れていた。 薄の草むらを辿り、笹藪に入る。 笹藪の獣道はわかりやすい。僅かな陽に照らされた土に、可愛らしい獣の足跡が見えた。 「出るぞ」 土岐は得意げにささや
随分と遅くなった。 車窓の外は等間隔に外灯が行き過ぎるだけで、夜の中でも特に深い色をしている。その色に目を凝らすと己の顔があった。俄かに波を打つ硝子には己の白い顔と夢うつつの土岐、揺れるつり革が投影されている。車体が大きく揺れ、身体が傾く。土岐が目を覚ます。河川を渡る直前の切り替え地点で必ず大きく揺れるのが、この路線の特徴だ。 作家仲間との宴会帰りだった。仲間内の愚痴に浸した刺身を食らい、噂話を煮詰めた雑炊で〆る。 かつては笊であった土岐もこのところは一杯も飲まなくなった。
2,3歳の頃には本の虫だった。らしい。育児日記に書いてあった。 家は貧しく、ご近所の方々から子供向けの百科事典や児童書をたくさん頂いていたので、それらを片っ端から読んでいたのだ。 ただそれは好きで読んでいたというよりも、おもちゃが碌になかったからだ。遊びの一つだった。 小学校に上がり「図書館」を知った。 公民館の薄暗く広いホールの奥に図書館はあった。 透明なビニル袋にくまのイラストが入った市立図書館バッグを持って児童向けのちいさな部屋ですごす。 入学時、身長111センチ
20年近く前、私は田舎から上京し勤労学生をしていた。 昼間はフォトストック会社に勤務し、夜は専門学校で写真や映画を撮っていた。 フォトストックというのは、主にデザイナーなどがデザインの材料として使用するための写真画像を「ストック」し、依頼に応じて提供するという仕事だ。 現在はオンラインで画像データでのやりとりが当たり前になっているが、あの頃はポジフィルム現物でのやりとりが主流だった。 デザイナーから電話やファクシミリで依頼がくる。「XX市XX公園の桜(8分咲き)」「XX
私は命の重さがわからない。 21gという説があるが、1907年のずさんな実験結果によるものだ。 そんな数字より概念としての重みを言うことが多いし、私の思うところもそれである。 以前、私は大変死にたがっていた。 そういう気持ちは同じ気持ちのものを呼び寄せる、などという説もあるが、単にわざわざそういうものを探しだして身の回りに揃え、それにあてられた周囲が同じような気持ちになっていくだけのことである。 気持ちではなくて自分が意識的に呼んでいるだけだ。 自分に似ているものに囲まれる