サンプリングの『中世哲学入門』で現代思想入門を
けっこう難しい入門書。山内志朗氏のこの作品は、『現代思想入門』と関連して読めば解るのかもしれない。
そう思いました。索引によると、ドゥルーズが11回(フーコーはおまけとして4回)登場しているが、それだけではない。
テーマの存在論が、やはりハイデッガー以降の哲学と、それに先行するフッサールを思弁的実在論(ここではハーマン)で考える現代人の思考パターンが前提だと感じるからです。
哲学史として、私たちは常に現在から過去を振り返るのだけど、古代ギリシャから変わらないものと、変わるものがあって、中世の存在論が単純に「自己の不在」(例えば実存主義以降)とは言えないようでした。
ドゥルーズ的な「差異」を、どう捉えるか。(『差異と反復』では第一章でスピノザ、ニーチェとともに検討されます。ちなみに、序論では千葉『勉強の哲学』が展開されます)
本書の構成として印象なのは、作者本人の自分史をして、哲学史よりも短いスパンの歴史を大きなスケールで描いている。その点では等身大の哲学を私小説のように綴っていて、いわゆるカマシ・はったりの表現が無いことです。
そして、話は総論から各論へ進んでいくのですが、途中に用語解説が豊富に含まれて迷うことがない。もちろんその難解さに何度もつまづくのですが、転ばぬ先の杖という感じで、用語解説の『山川・倫理用語集』のような安心さがある。
それに導かれて、「中世哲学の姿」から「存在の一義性」を読み進めることができる。そこから背伸びをすれば「普遍論争」という知りたいけど敷居が高かった中世にバック・トゥー・ザ・フューチャーすることができる。
最後に千葉さん『現代思想入門』に移れば、現代思想4つの原則の話になります。
そうすると「他者性」、これを哲学史のなかで何を問題点とするかの意識にとします。(他者性は現在が重視されます。)
そして、そこから「対象」(オブジェクト)に関するハーマンと接続されるような歴史哲学を発見する。
パースペクティブ(見方)の違いが、質・質感で現れてきて、そういうループが、あふれているのが哲学史で、中世はその気づきをもってくる。
レコードの方が良いよという考えもある。カセットテープも良い。哲学は少し違うようですが、昔の哲学はアップデートしていくと現代でも通用する。掘っていく。サンプリングされる音(元ネタ)になります。
これはアイデアの有限性になりますが、同時にそこから広がる世界もある。
最後に、なんとなく考えた図式「数字の哲学」を書いておきます。
勉強しなければならない。何かのやる気がわく本です。