骨折怪我人、心療内科に行く。

これは2019年の12月から2020年の2月現在の話であって、今ようやく当時の話をnoteに書けるくらいにまで、自分の中で咀嚼できたのだと思う。気付けば3か月も前の話。noteの過去記事3つで私が書いたのは、自分がボルダリングで落下して大怪我したこと失ってしまった新卒総合職研究員としてのキャリアについての嘆き今後への不安。近況を知らせる用に、そして自分自身が忘れてしまわないためにと書いたものだった。

このノートからは、そんな状態の私がどうやって復職していくかを綴っていこうと思う。結論を先にいうと、大怪我が原因の適応障害で、ゴールも分からないまま今もまだ休職しているのだけれど、いつか時間が経って見返したとき、こんなこともあったなあって、のんきに読めるように。
そして、教えてもらったストレッチや思考法、自分がリハビリや日頃の生活で役に立ったアイテムも掲載することにした。同じようなことに苦しんでいる人に役立ててもらいたいし、もし類似したものでより良いものがあれば、教えて欲しいからでもある。誰でも簡単に病院に行ける状況ではない今、専門家の知恵はシェアすべきじゃないかとも思って。

2019年の12月末。2019年2月に怪我をし、復帰したのが7月。復帰5か月目だった。足が不自由だというのに無理矢理実験をしたり出張に行ったりして、私の身体は随分使い潰されていた。連日身体が痛くて、油断すると倒れそうな疲労感が続いていて、頭がぼうっとして、通勤の運転も危ないと思うことが増えた。誰もいない部屋で作業をしていると涙が溢れることもあった。朝起きて化粧をしながら泣いているときもあった。”辛い”という感情がただただ涙となる、そんな毎日だった。
それでも前述のように怪我をして満足に動けない私に対して「実験をしないのは研究職としてちょっと、」と上司が投げた言葉があったから、私は何も言い出せなかった。研究職としてのキャリアをたった1年で、怪我のせいで終わらせたくなかった。
とはいえ、半日しか身体が持たず、午後休を取って寝込む日が数日続くと、もうフルタイム勤務を続けるのは難しい、時短勤務しかないなと思った。ちょうどその週に産業医面談があって、もう頑張れない、と訴えたところ、その場で1か月の休業、早退となった。
当時、自分は1か月で戻ると思ったし、”本当は時短勤務でどうにかなると思うけど、まあ仕方ないか”という程度だった。けれどその考えは自分の声をきちんと受け入れていなかったためで、その後半年以上の療養となる。

年末年始、休職直後の過労状態で臥せっていた頃と比べると、少しは動けるようになった一方で精神面の異常が治らない。ぼうっとしている他にいくつか例をあげると、
・決める、ということができない。何を食べたいか、友達と何日何時に集まりたいかも、すべて「分からない」となってしまう。脳が機能的にできなくなってしまった感覚で、やろうとしても、以前できたからできるはずだと考えようとしても、脳がエラーを吐いて止まってしまう。脳に欠陥があって、その場所だけ使えなくなってしまった感覚。友達と遊べなくなった。
・少しの感情の揺らぎで泣いてしまう。ちょっと強い言葉、例えば「それは嫌だからやらないで欲しい」と家族に言おうとしただけで声が震える、お風呂に入っている時に辛かったことを思い出して泣く、寝る前にも泣く…など。
・言葉がぱっと出てこない。理路整然と話せず、のんびり首を傾げながらしか話せない。
・本が読めなくなる。まるで古文を読んでいるみたいで、日本語の文字列としては認識しているのに内容が全く分からない。IQが足りないような感覚。今まで読めていた本も読めない。
などなど。
自分が今まっとうな判断をしているのかが分からない。自分が今考えていることが本当に自分の意思か分からない。復職したいか、したくないのか。研究職でいたいか、諦めて事務職になるか。2つの考えに自分が分かれて、どちらかの自分がどちらかの自分を殺しにくるんじゃないか。そんな考えがずっと頭の中をぐるぐるとしていた。

身体の方はといえば、相変わらず走れず、階段も一足一段できず、仕事で痛めた足とそれを庇った背中とを手当するばかりで、改善傾向はなかった。筋トレは痛みがなくなるまで中止と言われていて、ずっとストレッチをしていた。体力は500m離れた店に買い物に行くので精一杯、その後すぐに寝込んでしまう。
こんな精神状態というのもあって、治る希望を抱くことはもうできなかった。現状が続く未来が見えていて、後遺症を抱える覚悟ができていた。ちなみに膝は100%人工関節になる。それも普通の人よりずっと若い年齢で。人工関節にも寿命があって、2度手術しなくて済むようになんとか今膝を延命させようという、そんな話がよく出る。脛骨高原骨折をするとこうなってしまう。外科医は皆避けられないという。仕方がない。

そんな状態の私に、理学療法士さんが足のストレッチだけでなく、背骨と肩周りのストレッチを勧めてくれた。背骨は自律神経を整えるのに良く、緊張で強張った肩周りをほぐすと息がしやすくなる、と。少しでも精神的に辛いのが緩和できればと教えてくれた。必要なものはストレッチポール。

私が買ったのはこのAmazonのスタンダードタイプ。もっと安いスポンジのようなものもあって、実家にあるから使ってみたのだけれど、上手く力が伝わってこなくてほぐれた感じがしなかった。プリマソーレのものは、リハビリ室にあった高いもの、

と比べても不足なし。もし、部屋に長いのは邪魔、という場合は、理学療法士さんも持ってるハーフサイズをおすすめと言っていた。ポールを転がせてほぐすことはできないが、今回シェアする背骨ほぐしや肩周りほぐしは十分できるという。


さてまず背骨ほぐし。ストレッチポールの上に背骨が沿うように寝転がって、ぐっと体重をかける。足は立てていても伸ばしていても大丈夫。それから身体を左右にじわじわ動かして、背骨の両側の筋肉を緩めていくイメージ。
そして肩周りほぐし。これもストレッチポールの上に寝転がって、両腕両肩をを左右に広げ、肩甲骨でストレッチポールを押す。鎖骨の下の筋肉を、ゆっくり伸ばして胸を広げてあげるイメージ。硬くてストレッチポールの上に寝るので精一杯なら、鎖骨下を手で擦ってほぐしてあげると良い。私も最初は、広げた両腕が床につかないくらい、肩周りが硬くなっていた。
この2つを寝る前にゆっくり時間をかけてやってあげることで、随分寝付きの悪さは改善された。ストレッチポールは他にもふくらはぎや太腿の前、後ろ、横などあちこち解せるから、今となっては手放せない。リハビリ中の方は、理学療法士さんに相談の上、購入検討してみてください。プリマソーレ、いいよ。

2月、ストレッチメインでリハビリをこなしながら、ようやく心療内科の初診に行った。どこも混んでいて、1月に予約を取ったが2月まで待たなければならなかった。怪我の経緯と仕事内容、今困っていることなどをたどたどしく説明すると、”怪我が原因と適応障害”と診断された。立派な病気だった。更に3か月の療養が必要と言われ、ああやっぱりまともではなかったのだと、安堵のような感情を抱いた。
とはいえ「適応障害はストレスから離れれば良くなるけれど、膝の怪我から完全に離れることはできない」と言われた。原因ははっきりしているものの、ぱっと治るようには聞こえなかった。「今後、療養しつつリワーク(復職支援)を受けて、復職を目指すとともに、社会的ストレスがかかった時にどのような反応になるか見ていきましょう」と勧められた。

リワークは医療機関によって異なる内容と思うけれど、私の通院している場所では、十数名が同じ部屋に集まって、休憩含めて3時間を前後半に分けて行うプログラムだった。前半は個人ワーク、後半は認知行動療法を受けたり、コミュニケーションの実践をしたり、軽い運動をしたりと日替わりのメニューだった。リワークの先生と臨床心理士さんが同席して行い、具合が悪くなればすぐに手当が受けられるという手厚い環境だ。
臨床心理士さんと相談し、前半では人がいる中で落ち着いて座って本が読めるか、集中できるかどうかを実施して、後半で少しずつストレスの対処法を身に着けていく、という目標が立った。まずは週2回、そして徐々に回数を増やし、週5回通えるようになったら、リワーク前後に図書館に行くなどの活動量を増やす。最終的に勤務時間に相当する時間落ち着いて作業ができるようになれば復職、という流れだ。なるほど明確。トレーニングして、必要な筋肉を鍛えてバランスを整え、怪我する前と同じ筋力に戻す、というリハビリと似たようだと思った。こうして私の身体面のリハビリと、精神面のリワーク治療が始まったのだけれど、想像以上の手強さに、何度も精神的に大きく体調を崩すことになる。

2020/11/22 追記
ブログを作りました。新規記事はこちらがメインです


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ゆき
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