不登校、フリースクール、そんなんか?
滋賀県東近江市の小椋正清市長による発言。
(フリースクール支援は)国家の根幹を揺るがしかねない。
不登校になる大半は親の責任
フリースクールに対してもこう述べた。
言い方悪いけど、遊んでいるような。
これに対して僕が思うこと。
「不登校とかフリースクールってそんなんか?」
と思う。他の発言を含めて、頑固で強い偏見に聞こえる。当事者じゃない僕にとっても。
不登校いろいろ
実際に、妹や後輩がそこから立ち直ってるのを見るとそう思う。むしろ、不登校を我慢した僕はメンタルがボロボロになっている。
僕の妹
妹は中学校の一時期、何かしらの不和を原因に「学校に行きたくない!」と言っていたことがある。
母親が話す感じや僕自身は否定的に捉えていたし、男性陣からの圧力に我慢しながらも学校に行っていた僕の方がすごいなんてことも思っていた。
ただ、大逆転してるなと思う今。妹は積極的に親に頼るし、自分よりもむしろしっかりしているような気もする。我慢しながら行っていた僕の方が落ちぶれている。
軽音の後輩
数日前に2つ下の後輩女子から「軽音部OB」によるライブに誘われた。いろんな人と話をしている中で「ギタリストの後輩」の1人が元々不登校だったという話が出てきた。
詳しくは聞けてないが、別の後輩が涙を流したり、見に来ていたお母様がもらい泣きするぐらいのここまでの成長。個人的にも彼が1回生の頃より歌が上手くなってるし、ライブ設営や音響についても僕の倍以上詳しい。
これらを見ていると、不登校がなんだと思う。
不登校したかった
僕自身も不登校したかった頃があった。物心ついた頃からコミュニケーションが苦手で発達障がいを疑われたほど。サッカーしてたグループになんとなく混じってたら、気がつけば仲間外れ。スポーツの特性上、自発性のなさでイラつかれたのだろう。あとは水泳が非常に嫌いだったっていうのも。
付き合いづらい人を、何も考えずに「友達」と称して付き合った。「絶交だ!」などと言われても我慢しまくった。1人が怖かった。
今思えば、フリースクールでも。
今思えば、僕も不登校になってもおかしくなかったし、フリースクールなどの選択肢が広がれば、僕は鉄道以外の知見も広がってたりコミュ力が上がってたかもしれない。
不登校から鉄道最前線
「小田急線」で活躍するこの運転士、実は不登校経験者。過去の経験を活かしたフリースクールを立ち上げるという。
不登校になって、鉄道に夢中になって、夢を叶えている。とある鉄道OBがラジオで「厳しい世界だ」と話してはいるが、本気だからこそ、ここまで来れたのだと思う。不登校だけで左右されることはない。
そういう人が支える側になったのは次の世代の支えになる。こういう人頼ってみたかった。
我慢した結果
嫌々で不真面目にやってて怒られまくって怖くなった反省や思い込みで言えなかった僕。否定されるのではないかと思っていた。
そうして我慢した結果というのがこういうこと。
良くも悪くも言いたいことが言えない。
興味を持っても三日坊主で終わる。
挑戦しても自信を失いまくる。
誰にも頼れない。
深い関係ができにくい。
他にもあげるとキリがないが、だいたいこれらが、仕事、勉強、恋愛、学校生活で失敗し、反省しない理由になっている。
否定的な大人
「市長」のような否定的な発言をする大人は少なくない。そういう人たちが、たぶん未来を奪ってるだろうなと感じてしまう。話し方からして曲げない性格の問題かもしれないが。
僕の親は言ってもわかってくれたかどうかは分からない。僕の育った時代は情報が少なかったというのもある。妹の「行きたくない!」に戸惑ってもいたし。
問題なのは…
否定的に見られがちな「不登校」。でも、問題なのは以下だと思ってる。
他人の言ってることに極端に流される、従う。
自分の気持ちに嘘をついて我慢する。
コミュニケーションを諦める。
「不登校しなかった」でも、ある意味、僕の生き方は「反面教師」だ。真面目なフリをし嫌々で「不登校」を我慢した結果だ。ただ、結果だから後悔したとてって話だ。
これからの世代には我慢しないことの大切さは教えていきたい。その選択肢に「フリースクール」はありだと思う。
僕みたいな人間を生まないためにも。
ストリートミュージシャンの投げ銭のような感覚でお気軽にどうぞ。