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中国語漬けの毎日

 大学入学後、私立大中国語学科の徹底した中国漬けカリキュラムスタートです。1コマ90分の授業が週に確か・・14コマだったか・・、そのうち10コマが中国、中国語関連です。

中国語会話Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ、文法Ⅰ、Ⅱ、作文、閲読、語彙、時事ニュース、慣用句&ことわざ、中国歴史、文化、etc…。

しかし中国語学科は、最初の三か月、会話であろうと閲読であろうと作文であろうと文法であろうと歴史であろうと、全ての先生が発音をやります

どの授業に出てもやる事は毎回毎回発音です。そうやって、発音の基礎を徹底して叩き込まれます。と同時に、この時期に簡体字という内陸で流通している略式漢字も徹底的に覚えさせられます。授業以外でキャンバスで教授たちと会っても、先生達とは日本語で話せません。中国語で会話です。

無題13

中国語は発音がとても大事です。音そのものも日本語にない音がある上に、全ての音の高さも決められているので、音自体と声調と呼ばれる音の組み合わせもマスターしなくてはいけない言語です。

 が、10コマの中国関連授業の内、半分は日本人教師で、日本人の先生達の授業でも同じく三か月発音のみですが、こっちはかなり個性豊かで5人5通りの中国語でした。

 中国語習いたての私でも「この先生は発音やらない方がいいんじゃないかな~」と思うくらい、癖の強い中国語を教えて下さった先生方も数名おられました。まあ、こっちはまだレベル0のズブのビギナーですから、ステップ的には癖の強い中国語も「上」という事にはなるのかもしれませんが、私的にはとても微妙でした。

日本人の先生は、もちろん中国語会話とか閲読とかを教えてくれるのではなく、歴史や文法や文化といったサイド知識や理論を教えて下さる方々でした。だから発音が日本人訛りの発音である事に何ら問題も落ち度もありません。

「言語」というものをどう捉えるか、という事です。「コミュニケーションツール」とカジュアルに捉えれば、「通じればいいじゃん」って話です。

癖が強すぎて全然相手に通じない、というレベルなら問題ですが、ちゃんと会話が成立する、自分の伝えたい事を伝えるだけの語彙力もある。これで十分なはずです。

 でも、当時は若かったのと、昔から好きな事に徹底してのめり込むタイプだった私の、意味不明なこだわりがここでも遺憾なく発揮されます。

せっかくマスターするんなら、中国人が話すマンマの音を自分の口から発したい。感嘆詞や語気助詞的な音の発声の仕方も含めて、中国人から中国人と間違われるくらいの完璧な中国語をマスターしたい!!

というギラギラした野心を心に秘めておりました。

 何せ、授業初日で音の美しさにハートを撃ち抜かれていますから、あの音を自分が出したい訳です。中に、Y教授という北京大学から来られた女性がいらっしゃったのですが、もう、授業で先生が一音発する度に私はその音の心地よさにうっとり!

そもそも日本語とは声の出し方自体が違うのですが、その声の出し方の独特さに私はもう夢中です。Y教授は中国人らしい高い声で、私は子供の頃から男と間違われるような低い地声。余りにも熱心に先生の話す通りを真似ていたので、大学在学中の私の中国語は、とても高い音でした。

私の場合、声調と呼ばれる音律の抑揚を覚え込むというより、先生の中国語そのままを録音再生するような感じで勉強していたので、全てが地声より高め設定になっていました。

結果、日本語での喋りはボソボソと低い声で、声が低すぎて途切れ途切れ系なのに、中国語を話し出すと、滑舌がよく、声も大きく、しかも高い声、という、ちょっと多重人格者みたいな気持ち悪い人になっていました。

もう、それを頑ななまでに繰り返しその音で覚えてしまっていたので、自分流に落とし込んで、日本語と大差ない自分のトーンで話せるようになったのは、大学卒業後、10数年という時間が経過して、通訳という仕事をするようになってからの比較的最近の事です。フリーになる前の会社員時代も、私はまだ依然として気持ち悪い人でした。

でも、アレ、何でしょうね・・。

若いが故のカッコつけなのか、そこまで発音にこだわっている一方で、こんなにも熱くなっているという事を他人に見せたくないってヤツ?一生懸命打ち込んでなんていないぜ、的な、虚勢(?)意味的には虚勢の逆?

中国語を中国人ぽく発音することに照れみたいなものを感じていたのです。

でも、ある時その本末転倒な、意味不明な照れを一撃でぶち破ってくれたイベントが開催されたのです。

続く

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ハザカイユウ
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