北京語スピーチコンテストで勝ち抜く③(最終編)
私に声を掛けて来た、Toastmasters International(国際演講會)と言う北京語で講演する練習ばかりしている内陸者集団。(ここまでの経緯はこちら)
その時知ったのですが、他でもない、私をこのスピーチコンテストに出るのに推薦してくれたのが、この集団の会長(北京出身)だったのでした。
その会長は、私の日本人の友達の友達で、日本語の学校をしている香港人から日本語を習っている生徒でした。つまり私の友達の友達の生徒、という薄い関係でしたが、私の北京語を聞いて、この人ならチャンスあるかも、と思い声を掛けたとの事でした。
で、決勝を目前に控え、彼らのスピーチ練習に招待してもらいました。
行くと、皆が順番に自分の用意した原稿をスピーチして、周りの人はそれにダメ出しをするのです。
その中の数名は「推薦枠」から決勝に出場するライバル同士もいるのに、とてもオープンマインドで、客観的に見て「そこはもっとゆっくり」とか「そこはもっと大袈裟に」と活発に意見交換されています。
日本人同士なら「手の内は明かさない」。ましてや相手のパフォーマンスが良くなるようにアドバイスしないのが普通?
・・・かどうかはわかりませんが、私個人的には比較的秘密主義だったので目からウロコでした。
私が決勝用に準備した原稿を読むと、皆「超つまらない」「そんな内容全く聞きたいと思わない」と超ブーイングの嵐で、スピーチの出来以前のダメ出しばかりでした。
自分でも何かイマイチ面白みに欠ける原稿だな~と焦っていただけに、「痛い所を突かれた」苦々しい気持ちでしたが、全くその通りでした。
「その原稿、文章としては悪くないんだけど、スピーチとしての持って行き方がつまらないんだよ。」
と決勝に出る予定の一人が、立ち上がって、私の原稿の内容そのままに、強調したいポイントだけを変えて読んでみてくれました。
10秒もないくらいの、ちょっとした強弱と、ちょっとした手振りでしたが、それに触発されて、私は「そうか!この原稿内容を全く違う切り口で突っ込めばいいんだ!」と急に閃きました。
どっちかと言えば人情的な感動を誘う系の原稿でしたが、完全に方向転換して、観客を笑わせる方に重点を置く事にしました。原稿自体はそれほど変更していないので、書き換えはその場ですぐ出来ました。
そして、もう一度読み直すと、皆が先ほどと打って変わって「いいぞいいぞ」と大盛り上がり。
練習と言っても、20人ほどいる場で、表現者として自分の原稿に入り込むのも結構緊張します。(緊張というかこっぱずかしい。)
このセリフの時はステージのあっちに歩いて、このセリフの時にはステージのこっちに歩いて、縦横無尽にステージを動き回ったらいいよとか、ここの部分は強調するのに、まだまだもっとグッと話すスピードを落としてメリハリをつけるといいよとか、本当にスピーチの為の具体的なテクニックをたくさん教えてもらいました。
そして決勝に向けて、仕事から帰るとひたすら原稿を読み込み丸暗記の日々。毎日練習です。何せ私は北京語を離れて久しいわけですから、淀みなく感情の籠もった北京語スピーチをする為には、徹底的に声に出して行くしかありません。リズムを、音律を、強弱を、スピードを自分で完全にコントロールできるようになるまで。
迎えた当日、大学の立派な講演会場を貸し切って、一般公開して数百人の観客の前でのパフォーマンスです。当時まだ彼氏だった旦那Kも友達を連れて見に来ました。
登壇者たちの中には、自分のパフォーマンスをよりよく見せようと、コスプレしたり、小道具を持ってきています。見た目も大事です。
ちなみに私は地味なダークグレーのスーツでした。
そう、香港の人たちは基本パリピなので、何かのイベントがあると、やり過ぎ感満載のドレスアップをしてきます。
(友達同士でホテルのビッフェを食べに行くのに、イブニングドレス着て来たりとか。なので、逆に日本人だったら、数年に一回しかいないような衣装も、何かにつけて活躍の場を持たせるという意味では無駄がないと思います。)
さて、登壇前に大切な事は、緊張コントロールです。
よく緊張が口から出て来そう、だとか、手に人を書いて飲みこむってあるじゃないですか。私の場合、あれは人でも何でもよくて、ポイントは深呼吸と唾液をしっかり飲みこむ事で震えが止まります。
あ~、ホントに緊張っていうのは、口から出かかっているんだな~と思います。「唾液を飲みこむ事で緊張は呑み込める」文字通り緊張を抑え込んで、食べてしまえれば、逆に発表のエネルギーとして燃えてくれます。
ちなみにガラスの仮面という漫画では、主人公のマヤがステージに立つ前に、仮面をかぶるという動作(妄想)をする事で役になり切るという場面が出てきます。
自分なりの克服アクションを色々試してみるのもいいでしょう。
私は確か、二番目か三番目というベストポジションでした。ラッキーでした。
一番は「一番目」という大きなプレッシャーのみならず、まだ解れていない会場の空気までをアイスブレイクしないといけない不利なポジションです。その為ライブではアイスブレイクの為に前座というものが用意されています。
ステージ裏の控室にモニターがあるのですが、私は発表までは後の人の発表は見ないで自分のスピーチだけに集中して過ごしました。
―――自分の出番—―—
一歩ステージに足を踏み入れたら、そこはもう舞台です。ステージが一番低く、観客席が後ろに行くほど高くなっていきます。
自分の思い描いた第一声からのパフォーマンス。全てがイメージ通りです。
観客とも目を合わせながら話す速度をぐっと抑えて観客の期待を煽ります。ジェットコースターが下りに差し掛かる頂点までの上り坂を殊の外、ゆっくり上がっていくあの感じです。
スポットライトはステージに当たっているので、観客側は仄暗くて見えるのは前の座席の人たちくらいです。
ステージを左に斜め横断して前に出て、笑わせるポイントのワードを投げかけます。会場からどっと笑い声。もう一回今度は右側に歩きます。
観客が今度は何が出てくるんだろうと期待の視線を投げかけます。その視線をキャッチし満面の笑みで期待させながら、右前に辿り着き、もう一つ仕込んだワードを投げかけます。笑い声と共に拍手も上がりました。
その笑い声と歓声を受けて、自分の中の興奮が高まります。
思う存分、「エクスタシー」に酔いしれたいところですが駄目です。
例えばお笑いでも、自分の言ってる事に自分で笑ってしまったらこれは興ざめです。自分の中のボルテージが上がるのは悪い事ではないですが、心にインタークーラーも作動しておくことは大事だと思います。最後の一言まで完全にコントロール内で納めた方が観客的には面白いと思います。
興奮も緊張と同様、再び飲み下して、拍手が鳴りやむのを待ってスピーチを続けました。
「謝謝大家(皆さんありがとうございました)」
拍手に包まれてステージを後にしました。
ぶっちゃけ自分がこれを感じられる事がホントの「勝利」であって、入賞云々は付随的なものに過ぎません。(もちろん入賞できれば、それは客観的に自分の実力を認めてもらえた証拠にはなります。)
全員の登壇が終わり、各部門の入賞者発表。
外国人部門優勝のトロフィーを手にしました。(二位が韓国人、三位がアメリカ人)
ライバル視していたアメリカ人の彼は、緊張の為、途中原稿を忘れて1分ほど立ち尽くしてしまうというハプニングがありました。(それでも三位入賞は逆にすごいです。他全員は誰一人として詰まることなくやり通したのですから。)
そう、コンテスト当日のステージには魔物がいます。プレッシャーを撥ね退ける緊張コントロールが出来なければ魔物の餌食になってしまいます。
さて、このコンテストは、これで終わりではありませんでした。
各部門の優勝者4人が、今度は、自分が練習し抜いた原稿とは関係なく、登壇してから出されるお題に対して、3分間の即興スピーチをする、という総合優勝を賭けての闘いが待っていました。
その即興は練習量も何も、自分の話す事を登壇してからしか考えられないので、緊張が湧きあがりましたが、諦めも尽きました。
私は外国人だし、そもそもお題自体が何言われてるか聞き取れなかったらどないすんねん、という可能性もありますし、これは完全なる「手持ちのカード」での勝負です。自分にあるものしか出しようがない勝負。
緊張したって無駄なのです。ダメな時はダメなのです。
完全に諦めました。
もし万一お題自体が聞き取れなかったら、開き直って「あ~らごめんなさあ~い!私日本人だから、何言われてるのかわかんなあい♡」と中国語で言ってステージを下りたらいいわ、と心に決めました。捨て身ってヤツです。
そして厳正なくじ引きの結果、私は持ち前のくじ運の悪さを遺憾なく発揮して一番目を引き当てました。
・・・オワタ・・・。
心の準備もしようがないまま、私はステージに上がりました。
お題「あなたの休日の過ごし方を教えてください。」
聞き取れた。こんな盛り上がりようもないようなお題をスピーチにするってどないせえっちゅうんや・・・。20秒のシンキングタイムが与えられます。
3分の中での起承転結を大体まとめて、何とか無難にまとめる事ができました。話した内容は取るに足らない内容ですが、あと一つ特筆することがあるとしたら、私は話す時の時間感覚がいいという特技があります。
3分、と言われたら時計を見なくても大体3分。時間感覚がいい、というより、使う文字数で時間を計れるのです。一秒一音で刻めば150個くらいの音で構成すれば抑揚など含めて大体いいところに来ます。
私が〆の「謝謝」と言うと同時に、タイムオーバーの鐘がなりました。
内容的には、無難にまとめ過ぎて、かなり後々(数年単位で!)まで「あそこで、こう言えば最高だったな」と尾を引く内容でした。
で、総合優勝は北京出身の北京語の先生。
・・・チーン。
ってなんでやねん。北京語スピーチコンテストに北京人出たらそら優勝やろ!
「推薦枠」と呼ばれる、このコンテストを盛り上げる立役者として集められた内陸出身者たち。そうあの集団Toastmasters International(国際演講會)の人たちでした。
ただ一人の総合優勝以外は何もありません。
こうして私の社会人としてのスピーチコンテストは幕を閉じたのでした。
如何でしたか。たかがスピーチコンテスト、されどスピーチコンテスト。もしこの原稿が参考になった、お役に立てたという方がありましたら、是非シェアやおすすめなどしていただけますようお願いします。