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演目、人間
自分に向き合う、という事については恐らく人一倍時間をかけているのだろう。と思う事がある
理由のひとつは、もう長い事心療内科に通い、トラウマ治療としてしっかりカウンセリングを受けている為だ
私のトラウマは幼少期から青年期の家庭環境や境遇に起因するのだが
自己を愛する、という当たり前の事が非常に難しく、成人してからも希死念慮や自傷行為であったり、自暴自棄のような性交渉など
人との関わり方に関しては常識から逸脱した10年があったように思う
そんな私の『ずれ』が少しずつ修正されてきているな、と最近感じるようになった
継続した病院通いは勿論だが、転機としては2021年の結婚。
それに伴う主人との同居生活が大きな要因だろうと思う
また、自暴自棄と共に激太りした20代前半に受けた『デブに対する周囲の雑な扱い』から、新しい視点を得られた事も今にして思えば大収穫だった
人は鏡。
周りの人にどう接されるか、どんな仲間が近くに居て、自分はその人にどんな感情を抱いているか
ストレスなく過ごせるように人間関係を整理する事があるのだが、その時に切り離したり距離を置いた『個性』とは、少なくとも今の自分との乖離がある。
過去にどれだけ癒着していようとも『今の自分』との大きなズレがあり、だからこそ大なり小なりストレスとなる
誤解を恐れずに言えば、友人を含めて『自分』だと思うのだ。
人は良くも悪くも変わり続けるものだと思う
個体として同一だとしても、平等に年はとるし、生きる環境も人間関係も価値観も変わる。
だからこそ、過去に縛られたく無いと強く感じる
しかし『過去』とは自分が歩いてきた道であり、否定するのもまた違う
過去は過去、いろんな事があったけれどそのおかげで今の自分がいる。
それくらいシンプルな心の持ち様が理想なのだが、ここにその時々の感情が乗っかってくるので一筋縄ではいかない
理屈じゃない。が、感情だけでもいけない。
人間をやる。というのは実に難しい
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