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中庸であることへの覚悟:山口周『人生の経営戦略』を読んで


自己紹介

読書好き人生模索系会社員(国家公務員→ウェブマーケ→コンサル)
読書を通して自分の人生のあり方を模索しているアラサー突入男性です。
ハードワーク・長時間労働ができない自分を認められなかったけれど、
読書を通して少し光が見えてきた。そんな思索と哲学について書きます。
服と筋トレも好き。

世間にある二つの人生論

本書において、世間で目にする人生論を「マキャベリ的人生論」「ルソー的人生論」の2つに分類しています。

昨今の人生論には二代潮流とも言うべき流派があるように思います。

一方の流派のメッセージを端的に表現すれば
「残酷な社会ゲームを冷徹に戦って生き残り、経済的・社会的成功を手に入れろ」
と言う考え方です。
いかにもドライかつ現実主義的な主張で、本書ではこのような人生戦略の考え方を「目的達成のためには全ての手段は合理化される」といった中世の政治学者、マキャベリに倣って「マキャベリ的人生論」と命名しましょう。

このようなメッセージを訴える書籍は書店にごまんと並んでいますが、ふと横に目をやると、真逆の主張を展開している書籍群も目に入ります。

これらの書籍が訴えているメッセージは
「経済的・社会的成功の虚像にとらわれず、自分らしく生きて本当の豊かさを手に入れろ」
という考え方です。

いかにもナイーブかつ理想主義的な主張で、本書ではこのような人生戦略の考え方を「人間は本来善良なもの、個人の内面的道徳を重視せよ」といった近世の思想家、ジャン・ジャック・ルソーに倣って「ルソー的人生論」と命名しましょう。

山口周『人生の経営戦略』より引用

第三の人生論

そして、経営学的視点から、先述した2つを超える新たな人生論、「アリストテレス的人生論」を提唱されています。

経営学におけるイノベーション理論では、一見すると2つしかないトレードオフ、つまり「どちらか=ORの選択肢」を安易に受け入れることを否定し、それらのトレードオフを超克する3つ目のオプション、つまり「どちらも=ANDの選択肢」を目指します。

それはすなわち「自分らしく生きる」ということと、「経済的・社会的に成功する」ということの両立を目指す、ということです。

ルソー的人生論ともマキャベリ的人生論とも異なる、この「3つ目の人生論」を言葉にするなら、
「自分らしいと思える人生を歩み、経済的・社会的にも安定した人生を送る」
ということになります。

本書ではこのような選択肢を、人生の目的を「エウダイモニア=善き生」におき、その実現のために、極端を避けて「中庸」を重視せよ、と訴えた古代ギリシアの哲学者、アリストテレスに倣って「アリストテレス的人生論」と名付けましょう。

山口周『人生の経営戦略』より引用

この内容を読んだとき、自分の人生に対しての許しと覚悟をもらったように感じた。

いいとこ取りの人生を目指すことへの許し

世の中を見渡せば、
「ハードワークして、成功を掴み取れ」的主張(マキャベリ的人生論)と、
「ゆっくりでもいい、自分らしさを追求しろ」的主張(ルソー的人生論)という両極の主張
が溢れているように思う。

これらを見て、「自分はどっちにするか?」という二者択一を考えていた。

しかし、本書では、二者択一ではなく「どちらも達成する」といういわば「いいとこ取り」を提案している。

ここに、「ああ、どちらも目指していいんだ」と気付かされ、安心した。

自分は過去の経験から、ハードワークに耐えられないタイプであるということがわかっている。

よって、マキャベリ的人生論は無理→ルソー的人生論を採用するか…と考えていた。

しかしその時、
「ああ、自分はハードワークして経済的成功はできないんだな」
という諦めと悔しさも感じていた。

しかし、本書では
「どちらか一方ではなくどちらも達成するということ」
を考えている。

この点に心強さというか、「目指してもいいのだ」という許しのようなものをもらったように感じられた。

いいとこ取りの人生を目指すことへの覚悟

しかし、いいとこ取りを目指すためには当然、その方法を考える必要がある。

世の中にある2つの生き方=マキャベリ的人生論orルソー的人生論については、その人生を目指すための方法論に関する情報はたくさんある。

いずれの立場も(そのスタンスが極端であればあるほど)情報はセンセーショナルなものが多く、目に入りやすい。

つまり、「何をすれば良いのか?」がわかりやすい。

一方で、いいとこ取りの生き方=アリストテレス的人生論における方法論はどうか?

これは、先述の2つに比べれば何をすればいいのかわかりにくいと言えそうだ。

そして、正解が世の中に明示されていない以上、自分の頭で考え続けることを求められる。

この点において、「覚悟が必要である」と感じたのだ。

中庸であること

そして本書では、「人生の経営戦略」というタイトル通り、アリストテレス的人生論の実践方法論を豊富に解説してくれている。

これらの方法論を通して重要なキーワードの一つとして「中庸」がある。

本書ではこのような選択肢を、人生の目的を「エウダイモニア=善き生」におき、その実現のために、極端を避けて「中庸」を重視せよ、と訴えた古代ギリシアの哲学者、アリストテレスに倣って「アリストテレス的人生論」と名付けましょう。

山口周『人生の経営戦略』より引用

極端な生き方というのは、ある点において楽ではある。

極端だからこそ具体的な実践方法が確立されていたり、対極の生き方を捨てている分、取り組むべき課題も絞られていてわかりやすい。

しかし中庸ではそうはいかない。

両極それぞれを見て判断しなければならず、実践方法が確立されておらず、自分の頭で考え続けなければいけない。

中庸でいるのは、結構大変そうだ。

中庸の実践

これを経営戦略の視点を用いることで実現しようというのが本書である。

経営戦略の視点というと、いわゆるビジネス的発想であり、
マキャベリ的人生論の「残酷な社会ゲームを冷徹に戦って生き残り、経済的・社会的成功を手に入れろ」
という観点に寄りすぎているようにも聞こえる。

しかしそうではない。

なぜなら、目的はあくまでも
「エウダイモニア=善き生」であり「自分らしいと思える人生を歩み、経済的・社会的にも安定した人生を送る」ことだからだ。

この目的だけを見れば、
ルソー的人生論の「経済的・社会的成功の虚像にとらわれず、自分らしく生きて本当の豊かさを手に入れろ」
よりもはるかに理想主義的だ。

つまり、
手段としてマキャベリ的人生論を取り込むことで、目的としてルソー的人生論を超える理想を達成する
ということなる。

この考え方は両極を見た上で、自分の頭で考えて生み出されたもの=中庸だからできることだと言える。

中庸という生き方

中庸でいるのは大変そうだ。

けれど、得られるものは大きい。

本書では「人生というプロジェクトの長期目標」を次のように設定します。
時間資本を適切に配分することで持続的なウェルビーイングの状態を築き上げ、いつ余命宣告をされても「自分らしい、いい人生だった」と思えるような人生を送る
<中略>
注意して欲しいのが、この目的設定における「持続的」という要件です。
これは何をいっているかというと、本書では「人生の最後にウェルビーイングを実現すればいい」という考え方を採用しない、ということです。
理由は単純で、私たちは「自分がいつ死ぬか」を知らないからです。
「人生の最後」がいつなのか、その時期が確定しない以上、これを目的に設定することはできません。
だから「いつか」ではなく「いつも」、つまり「持続的」ということが重要なのです。

山口周『人生の経営戦略』より引用

中庸というのは、
人生に対して自らの意思を持って真摯に取り組むという生き方
だと思う。

そんな生き方ができれば、もし突然人生が終わってしまったとしても、後悔することはないんじゃないだろうか。

そしてそれはきっと幸せなことだ。

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