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世間とは誰でしょうか?本当の成功とは?~心をまっすぐに整える心理学~最終回!

こんばんは、チーママやよいです!
冬になってもアイスはやっぱりやめられません。
中でも、いつもハーゲンダッツのクリスピーサンドで
買っているのはきまってザ・キャラメルでした。
先日久しぶりにコンビニに行きました。
なんだか美味しそうなアイスだなとつい手を伸ばしたのがこちらの
お濃い抹茶ラテ”というアイスです。
濃いに”お”がついているのが面白いですね。

抹茶の味がしっかりしているのですが、
確かに、抹茶というよりは抹茶ラテでした。
おいしかったです。
でも、ザ・キャラメルに勝つアイスは
まだありませんが(笑)


娘用に買ってみました。
あれっこれは雪見だいふくシリーズではないのかしら?
形が似ていたのでてっきり。。。

東京の書道教室 書道のはな*みち 主宰 スパルタ書道家 高宮華子先生の双子の姉、はな子ママのラジオ番組「はな子ママのお部屋」を聞いて、学んだこと、気づいたこと、感じたことなどを愛弟子兼チーママやよいの独自の視点も加えて書き連ねていきます。はな子ママのお部屋のnote支店としてもご活用ください。

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書道のはな*みち きれいな字が書けると人生はもっと美しくなる

人と比べるといいことは一つもありません。
それでもある程度は仕方がありません。
どうしても比べてしまうのですから。
自分というものがある以上、人と比べてしまうこともあるでしょう。
今回のテーマは、人と比べて落ち込んでしまうのはどうしてか、
世間とは誰か。
本当の成功とは?
についてお届けしていきたいと思います。

皆さまは、人と比べて落ち込んだことはありますでしょうか?
あの人の方が私よりすごい。。。
いつもあの人にはかなわない。。。と。
例えば、インフルエンサーでしたら、この人にはフォロワーがたくさんいて、すごいな、羨ましいな。。。
書道の世界でしたら、みんなどんどん昇段するのに自分だけ昇段できない。みんなと比べて私だけ成績が悪いな・・・。
と、このような感じです。
皆さんもこのように人と比べてしまう経験がおありではないでしょうか?
”理想像にしがみつく”というお話はこれまでの記事の中でもさせていただきました。
例えば、”いいお母さんでなければいけない”というような理想像。
まわりには美しく素敵なお母さまたちばかり。
そういう素敵なお手本のようなお母さんたちを見て、
私もそうならなければならないと思いすぎると、すごく無理があってしんどくなったりしてしまうことがあるのではないでしょうか。
そのお母さまたちが素敵であるということと、自分の理想というのは必ずしもイコールではありません。
そのお母さまたちのことを”すごく素敵なお母さま”と認めることはいいことです。
でも、自分も同じような素敵なお母さまにならなければいけないと思う。
さらに、本心ではないのに憧れを持ってああいうお母さんになりたいと思う。
これも、それらの理想が自分の中の執着なのかどうかということに気づかなくてはいけません。
理想とする素敵なお母さまがお家にいたらとっても幸せだと思います。
でも、ひるがえって自分ができるかいうとできません。
人様が素敵なお母さまだなと思うのはいいことですが、
それとイコール自分というようにいきなり置き換えるとしんどくなってしまうでしょう。

自分の中で、どういうお母さんがこどもたちにとってのいいお母さんであるか、自分の中で気付きを得ることが大切です。
自分が思う理想の母親と、子どもが思う理想のおかあさんが違うこともあると思います。
しっかりお子さまと向き合うことで、理想に振り回されないお母さんになることができるでしょう。
ただ、お子さまの望みを全部叶えるだけということが理想のお母さんということでもありません。
自分自身がどうしたいのか、
全部いちいち自分の心に聞くことが大切です。
ただ子どもにとっていいお母さんでありたいという理想像にしがみついているのか、それとも本当にやりたいことなのか、そういったことが見えてくるでしょう。

また、自分の中で勝手に、いわゆる世間の理想のお母さま像を作らないということも大事です。
いわゆる世間の理想のお母さま像に無理やり自分の意識を向け、無理やり合わせていったら、それはとてもしんどいことですから。

このように人と比較するということはすごく疲れることです。
自分に向き合って、”それでもやっぱり勝ちたい!”
”それでもやっぱりなりたい!”というのがあればもちろん別ですが、
そのまま理想を鵜呑みにして生きていくと大変でしょう。

noteの皆さまは、ひょっとしたら特定の誰かと比べたことはないかもしれませんが、知らず知らずのうちにいわゆる世間というものと比べてしまったりしていることがありませんでしょうか?

この世間というのは誰のことなのでしょうか?
これもすごく重要です。
皆さまは、いわゆる世間というのは誰のことだと思いますか?

「世間様が・・・だから、恥ずかしい・・・」
「世間が○○と言うから・・・」
というようなことを、よく口にしませんか?耳にしませんか?
では、この世間とは誰なのでしょう?

例えば、
世間は。親にこんなこと言われたら恥ずかしい・・・。
世間は例えば自分の配偶者パートナー
夫や妻にこんなこと言われたら恥ずかしい・・・とか。
それとも世間は子供でしょうか。
「こんなお母さんは嫌だ!」と言われたり・・・・
「お母さんはこうじゃないと嫌だ!」と言われたり・・・。
子供が世間でしょうか。
これも気づくことが大事です。
皆さまはどう思うでしょうか?

では、世間の人は近所の人でしょうか?
親戚の方でしょうか?
などなどいっぱい出てきます。
お友達・・・、学校の先生・・・、
会社の人、上司、部下でしょうか?
世間とは何でしょうか。
この世間という巨大なお化けみたいなものがあって、
その世間様に対して、”こうである自分は恥ずかしい”という感覚がもしあったら、これはすごく息苦しいことでしょう。

世間とは誰か・・・?
という例をいろいろ出しました。
しかし、
世間の正体というのは、そう、実は
自分なのです。。
世間様っていう、鎧をかぶせた自分のことなのです。

例えば、
一昔前だったら、離婚したとき。
離婚した自分は恥ずかしい。
世間様に何て言われるかわからない・・・。
そういうセリフをよく聞いたものです。

これも、もちろんとやかく言う人はいるかもしれません。
でも、それもその人の世間なのです。
”一度結婚したら離婚するべきではない”とその人の世間が言っています。
そういう価値観を持っている方が、他の人のことをそのように縛っているのです。
その離婚に関して、事例として出して好ましいかそうでないかというのも、それはやはりご本人たちの問題です
だから、世間がとやかく言うことではありません。
でも、自分の中にもその世間があって、
”こんなことをしたら言われちゃうな”という声が聞こえることがあるのです。

起業を考えていても、
「起業したら絶対うまくいくわけないよ。」と言われてしまいそう。。。

自分の今までのイメージと違うお洋服を着た時に、なんか周りの人の反応が恥ずかしい。。。
「そんなお洋服どうしたの?」「派手じゃない?」などと言われたら恥ずかしい・・・。
その新しいお洋服や、今までと違った雰囲気のお洋服を着た自分というのに自分が慣れてなくて、そのために恥ずかしいと思ってしまう。
何か言われたらどうしようと思う。
世間様にそうやって何か言われたらどうしよう、恥ずかしいな。
それも自分です。

このようなことに気づくことが大事です。
見えない声、
自分で勝手に決めた巨大お化けの世間様が
そう言っている。
それは本当に幻想で、自分の心の中の声が言っているのです。
それらを全部無視してはいけません。
ちゃんと自分の心の声を聞きます。
世間様ではこれが恥ずかしいと言われていると自分では思っていたけど、本当に果たしてそうなのかな?
自分の心に正直になって、”これは本当なのかな?”と考えます。

よく、人の人生を生きてはいけないと耳にします。
「○○さんが言ったから。」
とか、「旦那さんに相談してから」とか。
それも家族の問題で、家族で話し合うべき内容であったらいいでしょう。
本当に自分がやりたいことなのか自分の心の声を聞いてあげることが大切ですね。

では、なぜそのしがみつきたい理想像というのが生まれるのでしょうか。
原因のように感じないことであっても、ちゃんと内観して意識を向けると、実はそういう理想が生まれたのには理由があることに気付きます。
良き夫、良き妻になりたい。
良き成功者になりたい。
ヒーローになりたい・・・。

ヒーローに憧れる人というのは、子供の頃、お父さんお母さんの横に立ちたいと思った経験がある人が多いようです。
例えば、そういう人が経営者になった時に、経営者としてヒーローになることができました。
でも、例えば、社員さんが辞めたいと相談してきた時、
そういう時にも自分はヒーローなのです。
その経営者さんは、社員さんが辞めたいということは、自分が社長として、その社員さんを救えていないと思ってしまいます。
全く違う理由で転職を希望していて、会社やこの経営者さんに不満があって辞めたいわけではないときもです。
それが本心だとしても、辞めること、つまり自分から離れていくということが、自分が救えなかったからだと思ってしまうのです。
そういう人は落ち込んでしまいます。
なんとしてでも全ての人を救いたいと思っているのは幼少期の体験であっても、ヒーローに憧れている人というのは、そういう思考に陥ってしまうことが多いようです。
結局、執着や理想の像にしがみつくと何がいけないのかというと、
視野が狭くなるので本質に気づけないからなのです。
だから、コンシャスネスの学びを持って”今ここを生きる”と、
視界が広がり正しく美しい選択と判断ができる
ようになるのです。

辞めたいと相談してきた社員さんに対しても、
ヒーローというのを一旦外して冷静に見ると、
ちゃんと事情がわかり判断できるようになります。
例えば、ご両親の面倒を見るためにどうしても東京を離れないといけないという理由の場合は、もちろん転職を応援します。
紹介できる人があったら紹介し、もしまたどこかで仕事で繋がるかもしれないから、その時また一緒に仕事しようねと明るい前向きな話し合いができるようになります。
こういうところがコンシャスネスの学びなのです。

成功とは
成功者
それこそ世間ではいろいろです。
自分の中の成功というのは何なのでしょうか?
しっかり稼ぐことが成功という人もいます。
自分の理想の状態で生きていくということが成功という人もいます。
だからこそ、自分の心の声にきちんと気がついて、世間という自分に踊らされず、自分が本当に求める成功というものに気づいていけるといいですね。

私たちが追い求める成功というのは何なのでしょうか。
エゴで成功を求めていくと、ものすごく大変でキリがありません。

”これで成功!”という人もいれば、
”いやいや、まだまだ全然成功ではないです。”という人もいます。
成功の意味合いは本当に人によって全然違います。
エゴがモチベーションになっていることもあります。
いい学校に行く、いい会社に入る、人より多く稼ぐ・・・これが成功だから・・・と。
エリートになる、綺麗な奥様をもらう、お金持ちの奥様と結婚する、逆もしかり玉の腰に乗る、背が高い彼と付き合いをする・・・人も羨むような。
これらもやはり成功の一つだからと。
ただこれらを成功に置いておくとものすごくしんどくなることも多いのではないでしょうか。

自分の心の声に従って、そういうことをしたいのであれば、それでいいでしょう。
しかしエゴが元で、いい学校、いい会社、いい配偶者、いいお家・・・というように求めていると大変です。
これはいわゆる、”海水をずっと飲んでいるような成功”です。
海の水はしょっぱいから、飲めば飲むほど、また喉が渇きます。
一瞬は水分を得て満たされても、また喉がすごく渇き、飲めば飲むほど喉の渇きがまた早くなってしまいます。
つまり、海水を追い求めるような生き方をしてはいけないということです。

本当に自分にとって何が大事なのか。。。
常に自分の心に素直に聞いて意識を向けることが大切です。
そうすると、本当に自分が心の底から幸せだと感じられる状態になるでしょう。

自分に意識を向ける。
大切な人にもちゃんと意識を向ける。
そして、今を生きる。
これがすごく大事です。
そうすることで苦悩から解放されます。
過去のことを考えたり、未来のことを考えたりすることも絶対にいけないというわけではありません。
人を羨んだりすることも本当にいけないわけではありませんが、
必ず自分に意識を向け、そしてその人にも意識を向けるということを忘れてはいけません。
そうすると”翻弄され、自分の体なのに、自分じゃない人生”。
”人が決めた価値観で生きている”というようなことにはならないでしょう。

よく、「誰々さんのために○○してあげた」と言います。
でもそこは、本当にその人が喜ぶかどうかということを考えなくてはいけないのです。
思いやり思慮深さというのも、自分と大切な人にそれぞれ意識を向けることが大切です。
以上で長くなりましたが、コンシャスネスの学びについてのお話は終わりになります。
参考になれば嬉しく思います。

それでは最後に恒例の
今日の水書き書道のコーナーです。
今日の草書はこちら!
何の漢字でしょうか?

正解はこちら!
まずは行書で

次に楷書で

でした!


今日も最後まで読んでいただきありがとうございます😊

おやすみなさい💤

今日のロアくん🐈
クリスマスが近いので🎄

また娘がいろいろ着せ替えて
遊んでいました😆



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