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目を閉じても情景が思い浮かぶnoteたち

読んだ分だけ書くのなら、毎日noteを書いていればそれだけ読んでいるんだなと気づかされます。

文字を読んでいるだけなのに、書いた方の気持ちが、感情が流れ込んできて夢中になる。

漫画や小説でもこの体験はあるけれど、それよりもドラマや映画に近くて、文字を読む以上に視覚や感情がうごめく感じ。

私の心の奥底に引っかかっていたものが、言葉で確かなものとして形づくられていくようで、嬉しくなって。

それでも全く同じではないのだから「私はどうだろう?」なんて考えてみて、それが次の書くにつながってゆく。

こうして目を閉じてもまだ余韻が残るnoteを、この場を借りてご紹介させてください。

* Contents

▼ 1.「原風景がここでよかった」はるさん

タイトルの通り「ここでよかった」と強く思いました。

特にいいなぁと思ったのは写真の部分。instagramではどうしても誰かによく見せようとする節があるように思えてしまって。

はるさんの写真はおそらくご自身への記録なのだと思うのですが、それが思い出の1ページのようにとても鮮明で。

この原風景が残り続けてほしいなぁと、勝手ながら思ってしまいました。

▼ 2.「どうして神社に行くのだろう」水野和奏umiさん

とてもかっこいいなと、強く思いながら読ませていただきました。
以下、引用させていただきました。

それにしても

人はどうして神社に行くのだろう

そして、わたしはなぜこうも神社に行きたがるのだろう

わたしの場合、自ら突き動かされるように神社に足を運ぶときは、小さくも、大きくも、

何かが終わった時だ。

私も昔、京都にいた頃、そういえば何かが終わったとき、もしくは何かを終わらせたいと願ったときに神社に訪れていたことを思い出しました。

▼ 3.「今のうちに、消えてしまう前に、」皐月まうさん

それは今しか書けない文章よ。今のうちに書いといた方がいい。

この出だしにすべて持っていかれました。究極の締切効果。いま書くことへの真っ当な正当性。

今までのnoteで書く経験はすべてこれに当てはまるんじゃないか?と思うくらいに。

なんだかとてもお礼を言いたくなりました。読ませていただき、ありがとうございました。

▼ 4. 「たのしいのに、生きたくないとはどういう状態だろうか。」izuhaさん

楽しいとは、気持ちの熱をあげて、意気込んで、飛び込んでいくものだなと常々、感じています。

だからか、なぜだかizuhaさんのタイトルにとても共感しました。その前のめり感が疲れることもあるし、生きること=前のめり感ではない。

手を繋げば繋ぐほど、気にすること増えて、心配ごとは増幅していく。
手を繋げば繋ぐほど、心地が良いと感じることも多くなる。
矛盾した事柄を矛盾したまま愛せればいいと思う。

izuhaさんのこのまなざしがとても優しくて、物事と向き合うときに大切にしたい距離感だなと思いました。

* おまけ

noteを書くときに気持ちとリンクする作業用BGMを選んでいます。日常から非日常にトリップするためのおまじない。

今回はこの曲です。

降りしきる雨が、暗く静かな時間にリンクして、囁くように歌うReoNaさんの言葉が染み入ってきます。


※勝手ながら取り上げさせていただいたはるさん水野和奏umiさん皐月まうさんizuhaさん、どうかお許しください。



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