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親切は誰のため?自己肯定感の高め方(情けは人の為ならず)
人が感じる幸福感はホルモンによる影響が大きい。それらは幸せホルモンと呼ばれますが、中でも人間関係の中で分泌されやすいのがオキシトシン。これは特にスキンシップで分泌されますが、実は人に親切にすることで高めることができます。この点について、先日触れました。
この「親切にする」について、もう少し深く探ってみたいと思います。
人に親切にすると、相手に幸せホルモンが分泌されるのは納得できますが、自分にも分泌される、これって理解しにくくないですか?相手はもとより、自分のオキシトシンも増えてしまう。それはなぜか?
これは自己肯定感にそのヒントがあるのではないかと思います。
親切は誰のため?
電車で高齢の方に席を譲るシーンをよく見かけます。私も日頃そうしています。やったことがある人は感じたことがあるかと思いますが、譲った後、気恥ずかしさとともに、嬉しい気持ちになりますよね。
これは、社会通念上誰が見ても「善い行い」をやれた自分を、自分で誉めているのだと思います。
しかも譲ったおばあちゃんからは「ありがとうね」と感謝され、周辺の人からは「マナーのわかるステキな人」という眼差しを感じたりもします。
これを習慣的に繰り返すと人はどうなるでしょうか。「私は人に優しくできる人」「私は自分以外にも気遣いができる余裕のある人」と自分に対してポジティブな自己イメージが膨らんでいきます。
つまり、親切をすればするほど、自分がどんどん好きになるという善循環が回り始めるということです。
人に感謝される人の共通点
私の知人にスポーツインストラクターやウォーキングのトレーナーなどがいますが、みな一様に明るく元気でイキイキしています。こうしたいわゆる「先生」といわれるような人は、日常的に感謝される頻度が多いと思います。
「ありがとう」を言われるほど、自己肯定感は高まります。感謝されることで、自分は意味のある存在、価値のある人間であることを認識します。
つまり、自己肯定感を高めるにはたくさん感謝される環境に身を置くのが近道です。人に何かを教える立場に立てば、自己肯定感はぐんぐん上がっていきます。
noteもそういう場なのかもしれません。私もnoteを書きはじめて3週間が経ちますが、ポジティブなフィードバックを頂けると嬉しい気持ちになりますし、少なからず自己肯定感は高まっていると感じます。
そして、この自己肯定感はやはり「人間関係の中」で芽生えやすい感覚といえます。引きこもりの人で自己肯定感高くイキイキしている人の話はあまり聞きません。人との関係の中で、相手の役に立つ「善行」をすることで、結果、自分の自己肯定感は高まるのです。
情けは誰のためのもの?
「情けは人の為ならず」という言葉があります。この言葉の意味をご存じでしょうか。「人に情けをかけることは甘やかす事になるので、その人の為にならない」と思われがちですが、これは全くの誤解です。
実際は「情けは人の為ならず」とは 「人に情けをかけると巡り巡って自分に良いことが返ってくる」という意味です。「人の為ではなく、自分の為にある」という意味です。
誤解している人の多くは、「ならず」を「~ではない」ではなく「~にならない」と誤訳しているんですね。
先の親切の話は正にこれです。自分に返ってくる多幸感こそ「自分の為」になっているポジティブなフィードバックです。
電車で席を譲るケースで見ても、例えば自分の親切行動をたまたま同じ車両に居合わせた知人がそれを見ていたとしたらどうでしょうか。「彼は自然に親切なことができる善い人だ」というポジティブな噂が広まれるかもしれません。それによりさらに自分にプラスの影響が起こるかもしれません。
こうした、社会的な評判を通じて間接的に行われる互恵関係のことを間接互恵性と言います。自分が知らない相手でも、親切に振る舞えば、善い評判が広まり、周りからプラスの影響が巡ってくるということです。これも正に「情けは人の為ならず」ということですね。
そう考えると、「情け」はどんどんかけるべきです。困っている人を見つけて、どんどん人助けをする。そうすることで、結果的に自分の人生が潤っていくのです。
因果応報という真理
因果応報とは 「良い行いをすれば良いことが起こり、悪い行いをすれば悪いことが起こる」という意味です。日ごろの行いによって、その先に起こる事が良くなったり、悪くなったりするという意味ですね。
この言葉は「善」だけでなく「悪」も巡ってくると教えてくれています。
例えばイジメの問題。実はイジメをした人は相手だけでなく、自分も傷つけることになります。悪意のある行為をしたときには自分の心の中にも癌のようにネガティブな感情が芽生えます。
イジメまでいかずとも、例えば「高齢者に席を譲らなかった」という日常よくあるシーンでも似たようなことは起こります。できたのにしなかった善行に対し、「あの時、席を譲れたのに...」という罪悪感がチクチクと残ります。これが積み重なると、自分を嫌いになっていく。
やらなかったという回避行動は続けると回避癖がつきます。結果、自分の人生そのものを軽視してしまうことになります。他人を軽蔑すると、結局自分を愛せなくなってしまうということです。
人が嫌がる事はしない。これは相手の為でもあり、実は自分を好きでいる為にとても大切さな事なんですね。
自分で自分を大切に想うためにも、目の前でできる善行は積極的にやりましょう。
まとめ
「親切をする」という行為は、単純に目の前の人を救う、という利点だけではなく、自分自信の自己肯定感をあげるとともに、間接互恵性によって、巡り巡って自分にポジティブな影響が回ってくる可能性につながります。
「情けは人の為ならず」=「情けは自分の為になる」
そう考えて、半径5mで今自分にできる「善い行い」をどんどんやっていきましょう。その小さな行為が、自分をどんどん好きになるきっかけとなり、また、人間関係の中で周りから頼られながら、豊かに生きていける未来につながるのだと思います。
今、世の中的には我慢の苦しい時期です。誰もがみな葛藤し、少なからず困り事を抱えています。だからこそ、助け合い、親切し合えるように行動していきましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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