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人は密にならずにはいられない? 人間の進化から考える不可避な行動とは
「私たちは『社会的』であることをやめられない。それは進化的なパラドクスのせいかもしれない」
なるほどという記事を目にしました。今我々は「3密を避ける」ことを求められていますが、これは我々にとって、本能レベルで非常に難しいことをつきつけられているのかもしれません。
「人間」と「密」の関係について考えます。
「密」な行動は脳に埋め込まれている
今回気付きを与えてくれたのはこちらの記事です。
人類の歴史をさかのぼると、祖先にあたる霊長類は、協力することで安全を確保し、捕食者から身を守り、生存の可能性を高めてきました。「協力し合う」という仕組みの上で進化してきたということですね。
この記事では集団が複雑化するにしたがって脳も複雑化し、社会的交渉に対して報酬を与える仕組みが神経回路の中に形成されたと説きます。そして、生き残る上で社会的交渉の重要度が増し、結果的に「社会的交渉への依存度」が高まっていったそうです。
つまり、「人と接したい」という気持ちは長い進化の歴史の上で形成された感情であり、それに抗うのは非常に困難なことであるということですね。
この記事の中で英オックスフォード大学の進化人類学者ロビン・ダンバー氏はこう話しています。
私たちは日々の生存と繁殖の成功のために、集団レベルでの協力に頼っています。それこそが霊長類にとって最大の適応的な進化なのです
「人と接したい」という人類が持っている社会的接点に対する依存に漬けこんできたのが新型コロナウイルスなのかもしれません。「ソーシャルディスタンス」に対して誰もがみな違和感を感じていると思います。それは本能的に人類の進化にそぐわない行為であることが、原因です。
シェアすることはケアすること
こうした社会的接点を大切にしてきた我々人類は資源や経験を分かち合いたいという基本的な欲求も備わっています。人類と他の霊長類との最後の共通祖先は他個体と協力して採食していたことが分かっているそうです。そののち、人類は食料採集や狩猟文化が生まれますが狩猟に参加しなかったメンバーにも食物を分け与えるようになります。
人間の社会では、直接的なメリットがなくても、食物を分け合ったり労働を分担したりします。こうした行動は「共感」によって動機付けられています。協力することで、共に生きる。そのためにシェアをする。
つまりシェアとは自分の身や社会における人間関係をケアするという行動だということです。そしてシェアは「人と接したい」という衝動と同じく、人類の歴史の中で脈々と気づいてきた行動とも言えます。
社会的行動はよくGive&Takeと言われますが、見返りを求めがちです。私たちは、社会的または文化的つながりを持つ他者に対して、より利他的にふるまう傾向があり、見返りが期待できる場合はなおのことそのふるまいは色濃くなります。
Withコロナ時代の本能に沿った行動とは
「人と接したい」「シェアしたい」という欲求は人類の長い歴史の中で培われてきた本能的な欲求です。しかし、この欲求を今のwithコロナの世の中では許してくれません。
こうした報酬系を刺激する社会的な行動を完全にやめてしまうのは、本能的かつ原始的な欲求に抗うことであり、それは人間にとって不自然な状況とも言えます。
一方で3密を避けなければならない環境下で、それができるのがデジタル上での人との接点です。つまり、今私がパチパチとタイピングしているこのnoteもその行動の一つだと思います。
noteは創作活動を続けるための非常に優れたプラットフォームですが、その根底にあるのは、自分で創った文章やクリエイティブを誰かに伝えるということです。情報をシェアする、少しでも誰かの役に立ちたい、そうした思いで日々みなさんnoteに向き合っているのではないでしょうか。私もそうです。この欲求は人間の本能に根差した行為なのかもしれません。
今は直接会わなくても、触れられなくても、人と接することができ、シェアすることができる世の中です。noteに限らず、世のSNSサービスは、こうした本能を発散させるための進化として形作られたのかもしれません。
まとめ
我々人間は社会的な生き物です。社会的な活動をやめることはできません。それは人類が辿って来た進化の過程で、植え付けられた根元的な本能であるからです。
人は人と接したいし、人とシェアしたい生き物です。
しかし、withコロナの今、3密を避け、ソーシャルディスタンスをキープすることを強いられています。ソーシャルな生き物の人類に、ソーシャルな距離を取らせる、それは非常にストレスフルな要求と言えます。
そんな現代において、リアルでは物理的距離で分断されたとしても、デジタル世界では「接する」こともできるし「シェア」もできます。そういう意味では本能的な欲求を発散する場所はあります。
ご紹介した記事の中で「この危機の時代、自分の日常世界の外にいる人々とつながることは、自分と似ていない人々との絆を形成させてくれるという意味で極めて重要」という言葉があります。
このnoteもそうしたフィールドだと思います。自分とは違う異なる価値観の方と接点を持ち、互いに刺激し合いながら、お互いが利他的にふるまう。原始の時代とは全く異なるカタチですが、やっていることは本能に裏打ちされた行動なのかもしれません。
改めて、人類にとって、そして自分にとって「3密」とは何なのか、「ソーシャルディスタンス」とはどういう意味を持っているのかを考えるきっかけとなりました。そして、その本能を抑えながらも、発散する術もまた我々にはあることを再認識しました。
利他的な行動で、お互い支え合い、学び合いながら進化していけるといいですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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