万物は流転し続けるのだからね。
全ては流れ去っていく
古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスは「自然は絶えず変化し続ける」点を万物の根源だと着目し、『万物は流転する』と説いたそうだ。
時は流れ、2025年。令和も7年目となり、平成の面影も感じ取れなくなってきた。時代は刻一刻と進んでいき、あらゆる物事が過去に蓄積されていく。
彼が唱えた言葉は今にも伝わっているが、時代は絶えず変化し続け、私が生まれ、君が生まれ、今日に至る。
時々、あらゆる存在が一緒の時間を歩んでいることを忘れそうになる。私だけが変化していて、周りは過去のまま。そんな風に思ってしまう。
また、私だけが過去に生きているなと思うこともある。私だけ変化していないと…そんなことはあり得ないのにそう思ってしまう。
君が私のことを覚えていないように、私もいつかこの苦しみを忘れることはできるのだろうか?
正直なところ…もう君を殺したいだなんてことすら思っていないんだ。
万物は流れ去っていく。
君もやがて朽ち果てる。
どうか私より先に朽ち果ててくれ。
そう思った感情も明日には忘れてしまうだろう。
煙のように漂うのも悪くない
苦しみも悲しみも煙のように漂い消えていく。火種が消えない限り、煙は立ち上がり、ふわりと宙を舞う。
万物は流転するのに、なんで私の苦しみは姿形を変えながらも残り続けているのだろう?
ヘラクレイトスは絶えず変化する万物の背後に不変のロゴスとして『火』象徴として位置付けしている。この「不変の炎」が絶えず変化し続けるはずの世界で、変化せずに残り続け、私を蝕んでいるのかもしれない。
私たちは絶えず変化する物質的な肉体と、変化しつつも留まり続ける概念的な精神を同時に保有している。ヘラクレイトスは流れ去る万物の奥にはこの精神性が宿っているのではないか?と感じたのかもしれない。
火は変化の象徴でもある。火は万物に破壊と創造の変容をもたらす。私たちの中に宿る火もまた同じく破壊と創造の変容をもたらしている。
私の中に生じるこの感情は火種から生まれた煙のようなものなのかもしれない。
ならばその煙を…ただただ流れ去るように眺めることで私の苦しみも消え去るのかもしれない。そんなことを思いながら火種に薪をくべていく。