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家族のはなし みんなそれぞれ生きづらかった

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変な人である私は、自分と同じ変なところがある人が好き 自分の子どもたちももちろん変わっていて、主人も変わった人 大人である自分たちはいいとして、子どもたちは少なからず生きづらさを…
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繊細と思いきや敏感

2年前の出来事から私が人として親として気づいたことが多々ありました。 そこからいろいろと私の学び直しが始まりました。 私の気付いていなかった繊細さ 逃亡劇後の彼女の話から高校時代くらいから周りの友達とのズレが増えていってバイト先でもうまくいかないことが多々あったり、とにかく何もかもがうまくいかないという思いが自分を追い詰めていたということを知りました。 それを誰かにうまく話すこともできずに抱えていたのです。 私に話してくれてたら、とも思いますが、以前の私だったらそれこそ自

何をしようか? 一見 元気になった次女は何を思う?何ができる?

2年前の出来事から私が人として親として気づいたことが多々ありました。 そこからいろいろと私の学び直しが始まりました。 思考も行動もフル回転 次女の活動的な時間が増え、部屋にこもる時間が少なくなってきて、この変化を(病院の)先生なんというだろうと、少し次の受診が心待になりました。 彼女が話せるようになった時にいろいろ聞いていて、話ができなかった期間中(ほぼ寝ていた時)も彼女の思考はフル回転だったのではないかということを感じました。 うちに帰って来る前のことや帰ってきてから

事実は小説より奇なり

2年前の出来事から私が人として親として気づいたことが多々ありました。 そこからいろいろと私の学び直しが始まりました。 目覚めた彼女は別人だった ホラーではないけれどそれに近いかもしれません。 逃亡劇後 変なスイッチが入って胸の内を泣きながら吐露し続けた次女は、今まで何をやってもうまく行かなかったことや もう何も出来ないし 何もやる気もない等々いろんなことを喋り続るのを聴いてて涙が止まらなく、あまりにネガティブか止まらないで悲しいを通りすぎて笑ってしまうと彼女もつられて笑

みんな思い込みで生きている

2年前の出来事から私が人として親として気づいたことが多々ありました。 そこからいろいろと私の学び直しが始まりました。 思い込みからのミス "思い込みで生きている"と感じることが私の日々のなかでたくさんあり、仕事でのミスでは、確認が甘かったり、ちょっとの違いを見逃す時、思い込みで見てしまってることがほどんどです。 誰にでもあると思えることが救いになる そんな思い込みでのミスは、ないに越したことはないのだけれど ”誰にでもある”と思えることで少しは救いになります ミスをす

なんとなくは分かっていたが、想像を超えていたこと

2年前の出来事から私が人として親として気づいたことが多々ありました。 そこからいろいろと私の学び直しが始まりました。 声を取り戻した次女の口から出てきた言葉 突然堰を切ったように言葉が出てきた娘が語ったことは、生きていることへの辛さ、生まれてきたことへの恨み、憎しみ、自己嫌悪、自己否定、などなど、しばらく止まることがなかったです。 彼女が病んだ理由がだんだん理解できてきました 病んだ理由 人間関係にかなり問題があったこと その上職場では仕事がうまくできないことも多か

伝えたいことが上手く言えない理由 その答えがズバリ ドラマの台詞で代弁されてた

自分もそうだったので、娘もそうなのかと思っていた テレビドラマ「18/40〜ふたりなら夢も恋も〜」4話を観ていてそれ!それ! と、私の言いたかったことか深キョンのセリフでありました。 「傷つけたくなくて 肝心なこと 話さなきゃいけないことがうまく言えない」 あぁ まさにこの一言。 結局 考えすぎてしまうのだ。 これを言ったら相手がどう思うか、どう言ったら上手く伝えられるのか。 ただ 傷つけるつもりはなく、自分の思ったことを言いたいだけなのに。 けれども自分も誰かの言葉

それは、突然に起きた、そして思わぬ展開に

2年前の出来事から私が人として親として気づいたことが多々ありました。 そこからいろいろと#私の学び直しが始まりました。 そして事件は起きた 自分が仕事を辞めるべく有給休暇をそれに充てていた時期に自分のいないところで何だかんだと話が進んでいて、結局シフトを減らして仕事は継続することになりました。 休職期間に、次女と一緒に過ごせたので、ちょうどよかったです。 と、思っていたのですが復職する頃に事件が起きました 突如、逃亡 次女の初診の数日後に、それまで日中ほぼ寝て過ごして

心療内科の初診

2年前の出来事から私が人として親として気づいたことが多々ありました。 そこからいろいろと#私の学び直しが始まりました。 初診までの変化 受診までの間に他にも少し変化があり 姉である長女に対してはかなり心許してる様子は見ていて分かりやすく 長女がいると食卓に来る回数も増えてきて お笑い番組などを見て面白いのがやっていると誘うと、テレビを観に来ることも出てきて、少し笑えるようにもなりました。 ただまだ、言葉は出ずに、椅子に座ってることも疲れるのかすぐにベッドへ戻るといった感

自分の思いを言いたいけれど、言葉にできない、話せない、喋れないという症状

2年前の出来事から私が人として親として気づいたことが多々ありました。 そこからいろいろと#私の学び直しがはじまりました。 このまま終わってならぬことか、親の気持ち 娘の状態に ほんの少しづつ変化がみれるようになりました。 これはあくまでも私の視点からの私の感じ方ですが殻に閉じこもってしまったように見えていたのが 少しづつ外界との繋がりの手がかりが出てきたように、言葉かけへの反応が出てくるようになりました。 今思えばですが、毎日家族が言葉をかけているのを、無意識とはいえ

彼女は世界を拒絶した

2年前の出来事から私が人として親として気づいたことが多々ありました。 そこからいろいろと#私の学び直しが始まりました。 異変発覚直後の娘の様子 次女を我家へ強制帰省させた時点では私の少ない知識の中で思い当たったのは”うつ病の症状"で勝手に”うつ病"だと判断しました。 なんとか歩行は指示すればできるので移動は自力でしてもたのですが 指示が入って本人が行動するまでの時間がかなりかかり、歩行を開始してもその速度は非常に遅かったです。 そしてこちらの指示のインプットはなんとかでき

心はどこへいってしまったのか

2年前の出来事から私が人として親として気づいたことが多々ありました。 そこからいろいろと#私の学び直しのまりでした。 私自身こころがどよ〜んと沈み もっともっと沈み続けてもう上がってこなくなるのでは と思うことは何度かあったので、感覚が少しはわかるのだけれど その度に「これって鬱かな」と友達に言うと「大丈夫、顔つきでわかるから、それに鬱の人の目って見ればわかるから」と言われ その時の自分の目は”鬱の目”ではないのかな?と鏡を見て十分力のない自分の目を見てこれが違うの?と納得

そろそろ 胸の内を書き連ねていこうと思います

なかなか文章を書くのが苦手で遠のきがちでしたが そろそろ日々の思いを書いていこうと こころに決めました。 毎日ふつふつと生まれては消えていく泡のような気持ちを覚えている限り そして同じような気持ちでいる人や同じような経験をしている方から意見やアドバイスがいただけたらいいなと思います 人が生きていく上でライフスタイルは変わっていくのは必須で 避けては通れないことです 家族がいればその人数分変化が増すことでしょう 我が家にも数々の変化がありましたが一番新しい大きな変化は