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自分の思いを言いたいけれど、言葉にできない、話せない、喋れないという症状

2年前の出来事から私が人として親として気づいたことが多々ありました。
そこからいろいろと#私の学び直しがはじまりました。

このまま終わってならぬことか、親の気持ち

娘の状態に ほんの少しづつ変化がみれるようになりました。


これはあくまでも私の視点からの私の感じ方ですが殻に閉じこもってしまったように見えていたのが 少しづつ外界との繋がりの手がかりが出てきたように、言葉かけへの反応が出てくるようになりました。


今思えばですが、毎日家族が言葉をかけているのを、無意識とはいえ無視し続けるというのが難しいというのもあったのかもしれません。ちょっとした根比べのようなものです。

拒絶状態とはいえ彼女自身の生きる力も垣間見ることができたので、絶望感はなかったです。どうにか改善させねば、その一心でした。

親としての意地のようなものもありました。
この世に生み落とした責任というか、彼女が絶望でこの世を拒絶したまま終わらすなんてことは私が許さないという気持ちもありました。

何より、私自身の人生で大袈裟ではなく彼女からもらった幸せやよろこびは 言い表せないほど大きなものだったからです。
母親になったことがある方には共感していただけると思いますが、こどもの存在そのものって大きなものだし生まれる前から生まれた後もその存在そのものが母親にとっての幸せそのものです。
それを思うと20年以上自分を幸せにしてくれた存在が絶望の真っ只中で「消えたい、4にたい」とあらゆるものを拒絶してる姿をそのままにしておくなんて(自分のことが)許せません。

”まだ20代前半で人生のスタート地点のようなものなのに、これからいくらだって楽しいことがあるでしょう”という私の勝手な意見と親としての願いが胸中を渦巻きます。うつ病は寛解があるのかよくわかりませんが、社会復帰を目標にしたとしてそこまでは長くかかる人もいるというので覚悟はしました。5年かかったとしてもまだ20代後半だしと思うことにしました、(それ以上だとしたらまた不安になってしまいますが)そういうと周りは「一番いい時なのに」という人もいます。
確かにそう言われると、今が一番楽しめることがいっぱいあるだろうなぁというのも分かります。でも目の前にいる娘の状態を目にしていたら、今の状態をどうするか、最良と思えることをしてあげるしかないしそのために時間をかけるのすら惜しまない、としか思えませんでした。

どんなことが彼女の意識下で起こっているのかは想像するのは難しいけれど    
家族の思いが言葉や、抱きしめたり触れたりする体感で伝わってることは間違いなし、それを本人が心も体も拒絶しようにもあくまで一方的に愛情だけを注ぐつもりで語りかけ続け、触れ続ければ、迷ってしまった心の出口を見つける手助けになればいいという思いしかなかったです。

「失語症」を疑うがちょっと違った

そんなこんなで家に帰ってきて2週間が過ぎた頃
家族の言葉掛けに反応するようになってきて、自分から何か言おうとする姿もみれるようになります
しかしその声は細く、絞り出すように言葉を発しようとしているのですが、ほぼ出ていないので聞き取るのもやっとな感じでした。

そしてこの話したいけど言葉(声)が出ない状態は「失語症」ではないのかと疑い
まだ受診をする前だったので、ネットで色々と調べた結果、「緘黙」という言葉を見つけました。

「緘黙」

「緘黙」(かんもく)とはこちらを参照にしてください

娘の場合は「場面緘黙」が当てはまる!と思いました。
その言葉を見つけたときに、ふっと記憶が蘇ってきて、過去にこの「場面緘黙」という状態が多々あったことを思い出しました。

親の立場から見てこれはダメだろうと思うことがあった時に
なぜその行為をしたのかと尋ねても、答えないことがあって
そんな時は、結局「わからない」と泣き出すこともありました。
だとすれば、「わからない」の言葉には「なんと言えばいいのかわからない」と言いたかったのではないか、と思いました。

この「わからない」という言葉への解釈はまだ実は他にもあったことを今になって知ることになったのですがそれはまた別の記事で書いていきたいと思います。

中学生くらいの時に本人から「言いたいことがうまく言えない」という話を聞いたこともあり「そんなこともあるし、自分の気持ちを言葉にするのは難しいけど、だんだんできるようになるよ」と私自身もそうゆうところがあったのでひどく共感したことがありました。
友達や家族とで話してる様子は時におしゃべりで、そんなに困ることはなかったのですが、自分の本音をいうという大事な場面では言葉が出ないというところがあるのは見ていて感じるところはありました。
たとえば謝らなければならない場面など、素直に謝って自分がとった行動の説明ができれば人間関係がもっと円滑にいくのに、と思う場面は多々ありました。
けれども自分もそうだったので それは人生経験の上でだんだんできるようになるものだと思っていました。

そんなこんな過去の出来事や思いが頭の中をぐるぐる巡り
この娘の今の心の内が言葉で吐き出せたら本人はかなり楽になるのではないかと勝手に思っていたりもしていました。


ここまで読んでいただきましてありがとうございます。

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yasu
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